貸し手責任--池尾和人

2009年09月30日 22:05

先の記事に対するコメントとして、債務者監獄を提案するようなものがありました。また、池田さんも、「消費者金融については、浪費癖をコントロールできない債務者には金を止めるしかないという論理も成り立ちますが、中小企業が浪費のために資金を借りることはありえない。」と書いています。これらをみると、借り手側に問題の所在があると理解されているのだと思われます。こうした理解は、きわめて常識的なもので、過去の私の経験からも、ほとんどの人が普通はそういう考え方をするようです。しかし、これは問題を考えるフレームとして正しくはありません。


カネを借りることを職業としている人は(一部の詐欺師を別にして)いません。他方、カネを貸す方は、それを職業としています。要するに、借り手はアマで、貸し手はプロだということです。実際、貸し手の方が普通は金融の知識や交渉力の面で借り手よりも優位にあります。そうだとすると、「法と経済学」の基本的な考え方からすると、問題解決の責任を貸し手側に配分することが効率的だということになります。

返せる当てもないのにカネを借りるのは、不道徳なことです。では、通常の形で返せるはずのない者にカネを貸すのは、どうでしょう? 職業倫理としてプロの貸し手は、返せる見込みのある者にしかカネを貸すべきではありません。返せるという判断をした者にだけ貸し、もし返せないということになったとしても、それは自分のみる眼がなかったとして、限度を超えた取り立て行為は行わない。これが「貸し手責任」ということです。

貸し手が、この意味での貸し手責任を全うしていれば、借り手がどれほどいい加減で、非合理な行動をとるような者であったとしても、問題は起こらないはずです。浪費癖をコントロールできないような者にカネを貸す貸し手というのは、どういう存在なのでしょうか。そうした者が悪意のない存在といえるのでしょうか。愚かな借り手も少なくないし、最初から踏み倒すつもりでカネを借りようとする者もいます。しかし、職業として金貸しをやっているということは、そうした借り手の特性を見極めて、貸すべき者には貸すが、貸せない者には貸さないということのはずです。

借り手が悪いかのようにいうのは、貸し手のプロとしての立場を自覚しない者です。行動経済学的なバイアスのある愚かな貸し手につけ込んで、利益を上げるのは、プロからすれば、赤子の手をひねるようなものでしょうが、そういうことをするというのは、プロとしての品格を捨てている(外道だ)ということです。問題の所在は貸し手側にあるというフレームで、問題を考えてみて下さい。

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