衆愚政治をどう克服するか? - 松本徹三

2009年12月03日 17:57

先回のブログで、私は、民衆は「もっとパンを、もっと見世物を」と叫び、皇帝はこれに応えることによって民衆の支持を得ようとした「帝政ローマの末期症状」に喩えて、現在の民主党政権の危うさを憂いました。

実は、ローマが世界を支配するそのはるか昔、「直接民主主義」が機能していた古代ギリシャの都市国家アテネでも、同じような危惧を持った人がいました。それは「衆愚政治を必然的にもたらす民主主義」に代わる「哲人政治」を提唱したプラトンです。


プラトンの師であったソクラテスは、「物事の善悪は、その時々の状況によって判断されるべきものである」とするソフィスト〔法律家〕達に反対し、「物事の善悪は、客観的、普遍的、絶対的な基準で判断されるべきである」という「イデア論」を展開しますが、結局ソフィスト達の策謀によって死に至らしめられます。

このことを深く心に刻んだプラトンは、移り気で強欲な「普通の人間」が政治を動かしていれば、数々の不正義や不合理なことが世の中に満ち溢れざるを得ず、これをなくすためには、政治は「イデー」を理解した一握りの哲人達によって行われるべきと考えました。

プラトンの考える理想の国「ユートピア」では、「子供達は幼くして両親から引き離され、国家によって教育される。その教育の過程で、国家は子供達それぞれの資質と個性を見届け、彼等を『哲人(支配者)』、『兵士』、『農民や商人』の三つのグループに選り分ける。(職業選択の自由はない。)私有財産は認めない」ということになっていました。彼は、実際に、シラクサというところで、この「理想の国」を実現させようとしましたが、大混乱を招いただけで、結局この試みは失敗しました。プラトンは、ここで「現実」を理解し、以後は「法治国家」のレベルまで自分の「理想論」を後退させたのです。

さて、このような考えは、近年になって、SFの世界で復活しています。いくつかのSF小説には、「マザー」と呼ばれる巨大なコンピューターが登場し、これが、人間に代わって、政治、経済のすべてを仕切っています。地球上のすべての人間はこのコンピューターの支配下で、快適で公正な社会生活を営んでいます。圧倒的な力を持ったロボットの警察官が日常生活のすべてに睨みを利かせていますから、犯罪やテロも起こるべくもありません。

これはまさに全体主義国家ですから、人々の日常生活は無気力で鬱屈したしたものになりそうな気がしますし、そうならないと、この種の小説の筋書きは成立しなくなってしまうのですが、よく考えてみると、そうはならない可能性の方が多いのです。

コンピューターには一切の私心はなく、ひたすら「個々の人間が自分の幸福を追求するのを支援する」ようにプログラムされています。そして、「それぞれに幸福を追求する個々の人間達」の間に利害の相克が生じた時にのみ、「最大多数の最大幸福」の原則に従って、完全にコンピューター管理された役所や、裁判所が介入します。生産や流通のシステム、雇用システムなどは、超高性能のコンピューターが緻密に計算しつくして構築していますから、「不効率」や「不公平」なところは、どこを探しても見当たりません。

さて、何でこんな話を持ち出したかといえば、日本国民が自ら民主的な選挙によって選んだ現在の民主党政権下で、今や日本経済は市場の信頼を完全に失い(藤沢数希さんの今日のブログにはその姿が如実に示されています)、我々は、自分達の勝手気ままな欲望を追求するのに熱心なあまりに、我々の子供達や孫達の世代に、大きな負担を残そうとしているかのようだからです。

とどのつまり、我々は、我々の信奉する民主主義故に、プラトンの言う「衆愚政治」を現実のものにし、その「不効率さ」によって、「恥ずべき不公正」を将来にもたらそうとしているかのようなのです。この状況を見ていると、前後の見境もなく、プラトンの言う「哲人」に代わる「マザー」のようなコンピューターによってでも、この状況を何とかできないものかと、ついつい思ってしまう訳です。

勿論、私はSF作家でもないし、コンピューターが実現出来ることに過大な幻想を持っているわけでもありません。コンピューターは、少なくとも当面は、補助的な仕事しか出来ず、それを動かす人間の動機付けの方がはるかに重要だと理解しています。しかし、もう少しましな「マン・マシン・システム」はないものか、それによって、現在の状況をもう少しだけでも良くする訳にはいかないのかと、ついつい夢想してしまうのです。

労組がコンピューターの導入に抵抗し、非近代的なシステムでトロトロと仕事をしていた社会保険庁が、国民にあまりにも大きな損害を与えてしまったことは記憶に新しいところですが、このことはもうこれ以上は言いますまい。しかし、行政や報道・言論の世界へのもっと積極的なコンピューターの導入が、全てをもう少しましな状況にする可能性はあるように思います。

我々は、どんな時でも、「全体主義の誘惑」には決して負けてはなりません。我々は、歴史の中に、「全体主義の不効率と不公正」を、もう嫌というほどに見てきました。ですから、「民主主義」は何としても維持しなければなりません。となると、「民主主義」を「衆愚政治」から救うことにこそが、何よりも大切です。

この為には、「立法」「行政」「司法」の3権に「報道・言論機関」の第4権を加えた国の上部構造が、「哲人政治」ならぬ「マザーコンピューター支配」の理想から少なくとも何かを学び、最低限、「ICTによる正確で徹底的な情報開示」「『客観的なデータ』による国民の啓蒙活動」「事実と論理に基づいた公正で徹底的な討論」をあらゆる機会を通じて実現すべきです。つまり、「衆愚」を「衆賢」に変える為のあらゆる努力が、官民を通じ、とりわけ報道・言論機関の手によって、あらゆる場面で展開されなければならないということです。

「改革路線」を途中で挫折させた自民党政権に失望し、「チェンジ」の掛け声を信じて、今回の選挙で民主党に投票した私自身も、「衆愚」の中の一人だったのかもしれません。しかし、民主党政権にも、まだ何がしかの期待は出来ます。

この期待を実現する為には、「報道と言論」がその役割を果たすことが、何よりも必要です。「報道と言論」に携わっているあらゆる人達が、あらゆる機会を捉えて、国民に正確なデータを示し、問題点を指し示した上で、頻繁に世論調査を行い、その結果を政権担当者に見せつけていくことが、先ずは必要な第一歩です。

これによって、民主党は、もしかしたら(そうです、もしかしたらです)、「国民はそれ程愚かではない」ことを認識し、「マニフェスト」の呪縛から解き放たれて、「選挙の為の政策」ではなく、「国の将来の為の政策」へと、或いは転換して行ってくれるかもしれません。

松本徹三

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