民主党の非民主的性格 - 岡田克敏

2010年01月18日 22:17

 小沢幹事長の側近議員など3名が逮捕されたことを受け、主要メディアの論調にも変化が見られます。17日の朝日の社説でさえ「首相も党も一丸の異様」と題し、首相が一緒になって検察と対決する姿勢を批判しています。ようやく独裁的政権の本性に気づいたのでしょうか。

 強制捜査後の様々な反応の中で、共産党の志位和夫委員長の「(民主党議員が)誰一人、この現状に対してものを言わないのは異常だ」という発言はなかなか興味深いものです。


 他の誰でもなく、共産党の委員長が「ものを言わない」ことに注目したのは、かつて(今も?)共産党も同じ体質を持っていたためではないかと思われます。「ものを言わない」ではなく「ものが言えない」という表現の方がより適切でしょう。

 「ものが言えない」ということは小沢幹事長への権力集中が相当進んでいることを示しており、宮本時代の共産党を思わせます。3名の逮捕後は散発的に批判が党内から出ているようですが、多くは匿名を条件とするボヤキのようなものです。これでは自浄能力など期待できそうにありません。

 民主主義には自由な言論が不可欠です。政党内部だけは言論の自由がなくてもいいという理由はありません。小沢氏に対する反対意見が言えないようでは、小沢氏の独裁を許すことになります。「もの言えば唇寒し」では自由な議論に基づく民主主義など、絵に描いた餅でしょう。

 しかし残念なことに、陳情の一元化など、「ものが言えなくなる」ほどまで、小沢氏が権力を集中するための方策を次々と打ち出していく過程で、主要メディアは権力集中に対してあまり警戒感を示しませんでした。暫定税率廃止などの大問題が小沢氏の一声で決まるといった権力集中に対してもう少し危機感があってもよいと思うのですが。

 民主党の内部構造が明らかになることによって、議員あっての政党か、政党あっての議員かという問題も浮上してきました。小沢チルドレンはじめ、小沢グループは指示通り一糸乱れず動いてきたと言われています。彼らは小沢氏の持ち駒という色合いが強く、志を同じくするものが集まるという政党本来の意味から外れています。先に政党ありき、なのです。小沢氏に忠誠を誓うものが公認されるという仕組みから生まれる議員に自由な意見の表明を期待することは無理でしょう。小選挙区制の下では、公認は絶対的な意味を持ちます。

 鳩山首相は小沢幹事長に「闘って下さい」と述べたそうですが、これは首相の実質的な立場を表しているようです。首相は政府のトップであり、政府の組織である検察と闘うのはおかしい、また首相自ら検察は信頼できないと言っているようなもの、と指摘されていますが、鳩山首相は日本国首相というより小沢氏に従属する立場という意識の方が強いのではないかと疑われます。まあ正直な方だとは思いますが。

 鳩山首相は小沢氏の発言を伝えるとき「おっしゃっていました」などと敬語を使うのが常でした。ところが16日の会見では「幹事長は辞めるつもりはないと、申しておりますから・・・」と一転して謙譲語になりました。首相の心理に微妙な変化が生まれたのでしょうか。もっとも首相は閣僚の発言などには、常々「・・・と申されています」と謙譲語と尊敬語を同時にお使いなので、その宇宙人的用語法は凡人の理解が及ばないものかもしれません。

 この逮捕劇によって小沢氏の旧来の金権的な政治手法が明らかになりつつあります。しかし、より重要なことは民主党の権力構造、その名前とは裏腹の非民主的な独裁的性格が明確になってきたことではないでしょうか。

 そして独裁的な政権の成立を許す土壌となったのは、議員に対する政党の優越という環境を提供した小選挙区制であったことにも注意が向けられるべきだと思います(十数年前、その小選挙区制を導入したのは当の小沢氏であり、まさに深謀遠慮なのかも知れません)。

 もしこの資金疑惑の露見がなければ、民主党が参院選挙で過半数を握る可能性が大きかったと思われます。それは「ものが言えない政党」による独裁体制の完成を意味するものであり、あまり歓迎したいものではありません。

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