民主党の非民主的性格 - 岡田克敏

岡田 克敏

 小沢幹事長の側近議員など3名が逮捕されたことを受け、主要メディアの論調にも変化が見られます。17日の朝日の社説でさえ「首相も党も一丸の異様」と題し、首相が一緒になって検察と対決する姿勢を批判しています。ようやく独裁的政権の本性に気づいたのでしょうか。

 強制捜査後の様々な反応の中で、共産党の志位和夫委員長の「(民主党議員が)誰一人、この現状に対してものを言わないのは異常だ」という発言はなかなか興味深いものです。


 他の誰でもなく、共産党の委員長が「ものを言わない」ことに注目したのは、かつて(今も?)共産党も同じ体質を持っていたためではないかと思われます。「ものを言わない」ではなく「ものが言えない」という表現の方がより適切でしょう。

 「ものが言えない」ということは小沢幹事長への権力集中が相当進んでいることを示しており、宮本時代の共産党を思わせます。3名の逮捕後は散発的に批判が党内から出ているようですが、多くは匿名を条件とするボヤキのようなものです。これでは自浄能力など期待できそうにありません。

 民主主義には自由な言論が不可欠です。政党内部だけは言論の自由がなくてもいいという理由はありません。小沢氏に対する反対意見が言えないようでは、小沢氏の独裁を許すことになります。「もの言えば唇寒し」では自由な議論に基づく民主主義など、絵に描いた餅でしょう。

 しかし残念なことに、陳情の一元化など、「ものが言えなくなる」ほどまで、小沢氏が権力を集中するための方策を次々と打ち出していく過程で、主要メディアは権力集中に対してあまり警戒感を示しませんでした。暫定税率廃止などの大問題が小沢氏の一声で決まるといった権力集中に対してもう少し危機感があってもよいと思うのですが。

 民主党の内部構造が明らかになることによって、議員あっての政党か、政党あっての議員かという問題も浮上してきました。小沢チルドレンはじめ、小沢グループは指示通り一糸乱れず動いてきたと言われています。彼らは小沢氏の持ち駒という色合いが強く、志を同じくするものが集まるという政党本来の意味から外れています。先に政党ありき、なのです。小沢氏に忠誠を誓うものが公認されるという仕組みから生まれる議員に自由な意見の表明を期待することは無理でしょう。小選挙区制の下では、公認は絶対的な意味を持ちます。

 鳩山首相は小沢幹事長に「闘って下さい」と述べたそうですが、これは首相の実質的な立場を表しているようです。首相は政府のトップであり、政府の組織である検察と闘うのはおかしい、また首相自ら検察は信頼できないと言っているようなもの、と指摘されていますが、鳩山首相は日本国首相というより小沢氏に従属する立場という意識の方が強いのではないかと疑われます。まあ正直な方だとは思いますが。

 鳩山首相は小沢氏の発言を伝えるとき「おっしゃっていました」などと敬語を使うのが常でした。ところが16日の会見では「幹事長は辞めるつもりはないと、申しておりますから・・・」と一転して謙譲語になりました。首相の心理に微妙な変化が生まれたのでしょうか。もっとも首相は閣僚の発言などには、常々「・・・と申されています」と謙譲語と尊敬語を同時にお使いなので、その宇宙人的用語法は凡人の理解が及ばないものかもしれません。

 この逮捕劇によって小沢氏の旧来の金権的な政治手法が明らかになりつつあります。しかし、より重要なことは民主党の権力構造、その名前とは裏腹の非民主的な独裁的性格が明確になってきたことではないでしょうか。

 そして独裁的な政権の成立を許す土壌となったのは、議員に対する政党の優越という環境を提供した小選挙区制であったことにも注意が向けられるべきだと思います(十数年前、その小選挙区制を導入したのは当の小沢氏であり、まさに深謀遠慮なのかも知れません)。

 もしこの資金疑惑の露見がなければ、民主党が参院選挙で過半数を握る可能性が大きかったと思われます。それは「ものが言えない政党」による独裁体制の完成を意味するものであり、あまり歓迎したいものではありません。

関連拙記事 小沢政治への不安(2)

コメント

  1. taguidobu より:

    本稿のコメントは控えますが、この記事のタグは「政治」ではないかと。

    岡田克敏さんは、定期投稿者ですから「ゲストブロガー」タグは[itnypartners]アカウントのみにとどめた方がいいと思いますが。

  2. courante1 より:

    taguidobu さん

    はじめ「ゲストブロガー」になっていましたが、「政治」と修正しました。
    ご指摘、ありがとうございました。
     岡田克敏

  3. masboku より:

    あたかもワイドショー的な世論に後押しされるがごとき「検察は正義だ」的な思い上がりの危険、しかもそれが巧妙なメディアを通じての世論操作の上での「国策捜査」の弊害を国民はもういやというほど見せられてきたのにメディアはなんの反省もない。このことをどう先生はお考えですか?これは記者クラブの開放問題とも無関係ではなく、結局旧態依然の「官僚支配」時代のほうが居心地がいいというメディアの責任こそ糾弾されてしかるべきなのではないでしょうか?

  4. masboku より:

    追記です。当方が過去に5年ほど住んでいたイギリスではこの手のスキャンダルは刑事事件にはほとんどならないそうです。それは社会に何らかの貢献をする人々にはその分野で存分に力を発揮させるべきという考えがあり、大事に至る前に「タップオンザショルダー」といって事前に注意がなされ、よほどのことがない限り目をつぶるのが常で、そのほうが国民の利益になることが常識感覚としてあるからだそうです。小沢氏という不世出の政治家を形式的なミスなどで退出をせまるという考えにはメリットデメリットからみても納得がいきません。こんな足の引っ張り合いばかりではこの国の社会の成熟はおぼつかず、検察は成熟した民主主義の発展を阻害しているということこそメディアは伝えていくべきなのではないでしょうか

  5. ismaelx より:

    政権政党になるってことは、国を私するってことじゃない。民主党の議員さんは、ここんとこをカン違いしてる人が多そうです。ただのド素人集団でしょうか。党内に反検察グループが2つも旗上げしたそうで、やれやれです。

  6. courante1 より:

    masboku さん
    マスコミが大騒ぎし、検察が腰を上げるという例は少なからずありました。しかし今回は検察が先でマスコミが追従です。
    国策捜査と言われますが、政権は民主党にあるわけで国策の主体とは何を指すのでしょうか。
    イギリスの例を出されていますが、形式的なミスや少々の不透明さがあっても、社会に有益な政治家なら目を瞑ってもよいと思います。
    しかし小沢氏がそれに該当するのか、また単なる形式的なミスに過ぎないのか、これは考え方の分かれるところですね。

    ismaelx さん
    まったくおっしゃる通りだと思います。本当に「やれやれ」ですね。
     岡田克敏

  7. mtcrk より:

    検察の横暴とか、国家権力の暴走とか、まことしやかに言う方こそ長年にわたる「公組織は悪」というマスメディアの刷り込みにミスリードされているのではありませんか。石川議員の弁護士に選任された安田好弘が、どういう人物かご存知ですか。光市母子殺人事件で広く知られましたが、それ以前から社会の安定にいかほど悪影響を与えてきたか。千葉景子も同様です。このような人物が現政府と深いつながりがある、ということはまさに社会の脅威です。最難関の司法試験に合格しながら、あえて俗世間的に報われない検事を選ぶ集団はわが国では明らかに信頼しうるほうの集団です。(もちろん田中森一のようにヤメ検として変節する方もみえますが・・。)弁護士なんか人権、人権という割りに酔うと金と女の話しかしませんよ。(全てではないですが・・。)
    マスメディアと現民主党政権が一層癒着したら、独裁恐怖国家ですよ。

  8. courante1 より:

    mtcrk さん
    やや過激な表現ながら、指摘されていることはたいへん重要なことだと思います。
    その一群の人々は議論をふっかけることにより、無用の混乱を招いただけでなく、本当に必要な現実的議論の機会を奪ってきたと思います。