高学歴社会の罠 - 岡田克敏

2010年01月26日 22:00

 池田先生が書評として、学歴インフレの問題を取り上げられています。早稲田の政経でも一般入試は40%しかいないという話には驚きましたが、ここで指摘されていることは重要な問題であり、もっと注目されてもよいと思います。重複するところもありますが、少し別の観点も交えてこの問題について私見を述べたいと思います。


 現在、大学進学率は現在55%を超えているそうです。20年ほど前でも40%程度あったので、遠からず国民の半数が学士さんという時代になりつつあります。高等教育が普及することは喜ばしいことですが、テレビ番組の低俗化や書籍販売の長期低落傾向などを見る限り、日本人の知的レベルが上ったという実感はありません。その一方で、教育に対する家計の負担はたいへん大きいものがあります。

 国の教育ローンを利用している家庭を対象に実施した日本政策金融金庫の09年度の調査では、小学生以上の子どもを持つ家庭における教育費が家計に占める割合は、平均で33.7%、年収800 万円以上900 万円未満の家庭では26.4%、600 万円以上800 万円未満の家庭は30.2%、400 万円以上600 万円未満の家庭は35.7%、200 万円以上400 万円未満の家庭では実に48.3%と、教育費が家計にたいへん重くのしかかっていることがわかります。

 進学する能力と意欲がありながら経済的な理由で断念せざるを得ないという状況は避けるべきです。そこで、公教育の無料化や援助によってこの状況を改善すべきであるといった議論は盛んに行われるのですが、残念なことに、これほどの負担を強いる現在の大学教育にそれだけの意味があるのか、という議論はあまり聞こえてきません。

 大学教育が効果的で、教養豊かで専門知識を身につけた人材が大量に輩出されるのなら意味があります。しかし4年間の教育内容をしっかり身につける学生は多くありません。私も含めてですが、多くはまともに勉強しません。親が高額の教育費に苦労して、子供が4年間の大半を遊ぶという状況はどう考えても不合理です(人によっては勉強をするしないにかかわらず4年間が有益となることも否定しませんが)。

 大学入試は高い能力をもつ人間を選抜するという機能を果たしてきました。多くの企業は社員採用時、自ら学力試験を行わず、指定校制などを通じて、〇〇大学卒というブランドを選抜の基準にしてきました。

 つまり企業は社員の採用を大学入試の選抜機能に大きく依存してきたわけで、大学での成績はあまり問題にされませんでした。このことが本来の目的である大学教育が軽視されてきた大きい理由でしょう。またそれは学歴社会の原因ともなりました。

 しかし、進学率が高くなると、一部の難関校を除き、大卒の価値が下がるのは仕方のないことです。日本よりも顕著な学歴社会といわれる韓国では、進学率は8割にもなるそうですが、正社員として就職できるものは半数程度と言われています。家計の教育費負担が極めて大きく、合計特殊出生率が1.19(08年)と最低レベルであることも日本と似ています。教育費負担の重さが出生率低下に関わっていることは容易に推定できます。

 現在、学生の約8割は873校ある私立大学に在籍していますが、少子化のため06年度には私立大学の40.4%が定員割れを起こし、学生獲得のため推薦入試・AO入試が増加して、入学試験による入学者は50%以下になっているそうです。試験による公平な選抜機能は既に怪しくなっています。

 また多くの大学では学生の学力が低下して、授業レベルとの開きが問題になっています。進学率が高くなり、大衆化が進むと避けて通れない問題です。大学は大学生にふさわしいレベルの知識を身につけさせて社会に送り出すという本来の機能を十分はたしているのか、たいへん疑問です。

 現実に大学の機能でもっとも重視されてきたのは入学試験による選抜の機能です。ならば多額の費用が必要なその後の4年という時間はまことに大きな無駄という気がします(もろんきちんと勉強する人は別ですが)。

 例えば、企業が社員を採用する場合、学歴を一切問わず、自ら学力試験を実施して採否を決めれば状況はずいぶん変わると思います。応募が多すぎれば統一のセンター試験のようなもの成績で絞ればよいでしょう。これは思いつきに過ぎませんが、その気さえあればいろいろとできることはあると思われます。既に形骸化が進んでいるにもかかわらず、根強く残る学歴重視の考え方も徐々に変わるかもしれません。

 教育への重い負担が少子化への大きな理由になっているとされています。就職にあたり採用側が選別の基準を学歴から能力などへ移し、大卒などに限定することをやめてより広く門戸を開けば、形式だけの大卒資格の無意味さが認識されるでしょう。

 少子化への対策に子供手当てなどの金をばら撒くような彌縫策(びぼうさく)を実施する前に、まず政策課題として教育への重い負担の意味を改めて問うことが必要ではないでしょうか。

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