池田先生が書評として、学歴インフレの問題を取り上げられています。早稲田の政経でも一般入試は40%しかいないという話には驚きましたが、ここで指摘されていることは重要な問題であり、もっと注目されてもよいと思います。重複するところもありますが、少し別の観点も交えてこの問題について私見を述べたいと思います。
現在、大学進学率は現在55%を超えているそうです。20年ほど前でも40%程度あったので、遠からず国民の半数が学士さんという時代になりつつあります。高等教育が普及することは喜ばしいことですが、テレビ番組の低俗化や書籍販売の長期低落傾向などを見る限り、日本人の知的レベルが上ったという実感はありません。その一方で、教育に対する家計の負担はたいへん大きいものがあります。
国の教育ローンを利用している家庭を対象に実施した日本政策金融金庫の09年度の調査では、小学生以上の子どもを持つ家庭における教育費が家計に占める割合は、平均で33.7%、年収800 万円以上900 万円未満の家庭では26.4%、600 万円以上800 万円未満の家庭は30.2%、400 万円以上600 万円未満の家庭は35.7%、200 万円以上400 万円未満の家庭では実に48.3%と、教育費が家計にたいへん重くのしかかっていることがわかります。
進学する能力と意欲がありながら経済的な理由で断念せざるを得ないという状況は避けるべきです。そこで、公教育の無料化や援助によってこの状況を改善すべきであるといった議論は盛んに行われるのですが、残念なことに、これほどの負担を強いる現在の大学教育にそれだけの意味があるのか、という議論はあまり聞こえてきません。
大学教育が効果的で、教養豊かで専門知識を身につけた人材が大量に輩出されるのなら意味があります。しかし4年間の教育内容をしっかり身につける学生は多くありません。私も含めてですが、多くはまともに勉強しません。親が高額の教育費に苦労して、子供が4年間の大半を遊ぶという状況はどう考えても不合理です(人によっては勉強をするしないにかかわらず4年間が有益となることも否定しませんが)。
大学入試は高い能力をもつ人間を選抜するという機能を果たしてきました。多くの企業は社員採用時、自ら学力試験を行わず、指定校制などを通じて、〇〇大学卒というブランドを選抜の基準にしてきました。
つまり企業は社員の採用を大学入試の選抜機能に大きく依存してきたわけで、大学での成績はあまり問題にされませんでした。このことが本来の目的である大学教育が軽視されてきた大きい理由でしょう。またそれは学歴社会の原因ともなりました。
しかし、進学率が高くなると、一部の難関校を除き、大卒の価値が下がるのは仕方のないことです。日本よりも顕著な学歴社会といわれる韓国では、進学率は8割にもなるそうですが、正社員として就職できるものは半数程度と言われています。家計の教育費負担が極めて大きく、合計特殊出生率が1.19(08年)と最低レベルであることも日本と似ています。教育費負担の重さが出生率低下に関わっていることは容易に推定できます。
現在、学生の約8割は873校ある私立大学に在籍していますが、少子化のため06年度には私立大学の40.4%が定員割れを起こし、学生獲得のため推薦入試・AO入試が増加して、入学試験による入学者は50%以下になっているそうです。試験による公平な選抜機能は既に怪しくなっています。
また多くの大学では学生の学力が低下して、授業レベルとの開きが問題になっています。進学率が高くなり、大衆化が進むと避けて通れない問題です。大学は大学生にふさわしいレベルの知識を身につけさせて社会に送り出すという本来の機能を十分はたしているのか、たいへん疑問です。
現実に大学の機能でもっとも重視されてきたのは入学試験による選抜の機能です。ならば多額の費用が必要なその後の4年という時間はまことに大きな無駄という気がします(もろんきちんと勉強する人は別ですが)。
例えば、企業が社員を採用する場合、学歴を一切問わず、自ら学力試験を実施して採否を決めれば状況はずいぶん変わると思います。応募が多すぎれば統一のセンター試験のようなもの成績で絞ればよいでしょう。これは思いつきに過ぎませんが、その気さえあればいろいろとできることはあると思われます。既に形骸化が進んでいるにもかかわらず、根強く残る学歴重視の考え方も徐々に変わるかもしれません。
教育への重い負担が少子化への大きな理由になっているとされています。就職にあたり採用側が選別の基準を学歴から能力などへ移し、大卒などに限定することをやめてより広く門戸を開けば、形式だけの大卒資格の無意味さが認識されるでしょう。
少子化への対策に子供手当てなどの金をばら撒くような彌縫策(びぼうさく)を実施する前に、まず政策課題として教育への重い負担の意味を改めて問うことが必要ではないでしょうか。
コメント
「大学進学にシグナリング以上の役割を与えるには、企業が採用方法を変える必要がある」というのは本当にその通りだと思います。
ただ、日本と韓国で合計特殊出生率が低いのは、教育費負担が原因ではなく、?急速な経済成長を迎えたことによる子育ての機会費用の増加?アジア圏に根強く残る男女の文化的役割の2点からではないでしょうか。
いつも興味深く拝見しております。
社会人になって自分の懐からおカネを出すようになると
どんなものにも費用対効果が気になります。
私は20数年、IT関係の仕事をしております。
最近は大学でプロジェクト管理の講義が行われているようです。
興味はあるのですが、果たして高い授業料に見合った高度な講義が
受けられるのだろうか、プロジェクト管理の本をたくさん買って
自分で勉強したほうが安くあがるのではないかなどと思い、躊躇しています。
権威的に「学問というのはこういうもの」といって役に立たないことばかり教える教官が少なくない現実にも目を向けなければならないと思います
そんな「学問」をやって「なんになるのだろう?」と学問の実際的現実的な意義を感じられないでいる学生が多い印象を受けます
社会ではやっていけなさそうな教官も多いですし
また、文系は入試で学部まで決める必要性は特にないと思います
多くの大学では、1年生は教養科目しかほとんど取れませんし、高校生が極めて細分化された学部や学科の中から自分にベストな学部・学科を選べるとは思いません
高校が2年や3年から文理選択を決めるように、大学でも大学に入ってから2年や3年から自分の学びたいことのある学部に進むのがいい
その弊害は、学生にとって役に立たないと思われた「学問」やそれを教える教官が次第に消えていくことくらいでしょう
しかし、世の中の人々にとって役に立たないものなどあってもなくてもいい
むしろそんなものは少なくなって役に立つ知識や考え方が共有されたほうが社会全体にとって望ましい
「20年ほど前でも40%程度あったので、遠からず国民の半数が学士さんという時代になりつつあります。」
これは本当ですか??。平成12年の総務省統計を見る限り、そのようには思えませんが。
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2000/kihon2/00/05.htm
少年犯罪の数もそうでしたが、事実誤認ではないでしょうか。
ちなみに、例えば高校レベルの生物の知識が国民のどの程度にまで理解されているのかについてシビアに数を見積もっていくとぞっとする様な数字なるかと思いますが。
extend_side8823 さん
出生率低下にはいくつもの要因が関わっていると思います。おっしゃるような文化的な要因も大きいでしょう。未婚率の増加なども要因のひとつです。しかし所得の大きさにもよりますが、教育費負担の大きさがそれに関わっているのは否定できないと私は思います。寄与率まではわかりませんが、無視してよいレベルとはいえないのではないでしょうか。
takarayui さん
ありがとうございます。
今の大学を費用対効果という点から見れば、多くは怪しいものでしょう。それを支えているのは学歴が有効であるという過去を引きずった頼りない認識ですね。
e_233 さん
役に立たない教養が重視された時代があり、今でもその影響が残っているようです。これは全く否定すべきではないと思いますが、学生全員に薦めるようなものではないですね(ただ少数の興味ある人にとっては意味があるように思います)。
学部選択の時期を遅くする案には賛成です。私も昔、乏しい知識で学部選択しなければなりませんでした。
manykawau さん
総務省統計は大学卒業者の累積人数の調査ですね。私は、文部科学省の平成20年度学校基本調査の大学進学率55.3%から引いています。
累積人数での比率が低いのは高齢者人口が多いという人口構成に関係します。「遠からず」という表現に少し問題があったかもしれませんが。
たしかに多くの高校では授業レベルと学力の乖離が大きいと思います。
「企業はああすべきだ、こうすべきだ」といっても、法律でも作って強制しない限り、何の効果もないので、そんな議論には意味がない。
意味がある議論とは、
「どうして企業は採用時に、学校歴と無関係な能力判定を行わないのか」
ということだろう。
手間は、何ら、かからない。SPIや英検のような、第三者の作る能力検定を使えばいいのだから。
私の推定する答えは、
「企業は、ペーパーテストで判定される能力なんて必要としていない」
ということだと思う。
つまり、学歴インフレにより、大卒の平均学力が低下しても、企業はちっとも困らないのであり、知識の多寡はどうでもよく、扱いが容易な平凡な人が欲しいのである。
「つまり、学歴インフレにより、大卒の平均学力が低下しても、企業はちっとも困らないのであり、知識の多寡はどうでもよく、扱いが容易な平凡な人が欲しいのである。 」
レオ・ロステンの格言「一流の人は一流の人を雇う。二流の人は三流の人を雇う。」を思い出しました。一流の人は一流の人を雇いますが、二流の人は自分が抜かされるのを恐れ自分以下の人しか雇わないそうです。さもありなん。
見事な私見ですね
岡田さんの記事から
つまり企業は社員の採用を大学入試の選抜機能に大きく依存してきたわけで、大学での成績はあまり問題にされませんでした。
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周囲皆が高学歴で特に「目指す目標も無く(主体性が無い)」勉強が出来る成績優秀な人
たちをこれから、どのようにして軌道修正させるのかここに着眼するべきではないかとも
考えます。また、企業側について言えば、具体的にコンセンサスを示さなかった。
池田信夫さんの記事に書き込んだ少々辛口のコメントから
●何故、世界は不況に陥ったのか
Why the world has fallen into recession or
●それは、あなた方の教育が間違っていたからでしょう
It would have been wrong from the education of you
●仮想教育では、実践で使えない人材を生産する。
Virtual education is not available in practice to produce talent.
私は高等専修学校卒業(高等課程卒業資格が与えられていなかった時代つまり中卒です)
ほんとうの村上光治
kouji murakami cello-murakami Muse livedoor
ではまた。
6年前に『シュウカツ』をした社会人5年目ですが、本エントリに違和感があったのでコメントします。
>例えば、企業が社員を採用する場合、学歴を一切問わず、自ら学力試験を実施して採否を決めれば状況はずいぶん変わると思います。応募が多すぎれば統一のセンター試験のようなもの成績で絞ればよいでしょう。
中小規模の企業も含めて、かなりの企業が独自の試験を課していた記憶があります。
センター試験のようなもの、その名もずばり、『テストセンター方式』なるものも既に存在します。
採用のスペシャリストとも言える銀座本社の会社の方は『学歴が良い方が良い人材に当たる確率が高まる。だからどちらかにしか時間を取れないなら良い方に会う。』と言っていましたが、今の企業の態度はこの程度ではないでしょうか?
企業サイドが変わることで大学側も変わることを期待するならば、もっと本質的に企業側が変わらないとそんなことは起こりえないように思います。
企業はイノベーション型より調整型を好む傾向があり、その前提に立つと、現状のやりかたは合理性があります。
イノベーションを歓迎する社会という環境が整うまでは表面だけの変化が進行するのみに留まるのではないでしょうか?
多くのご意見、ありがとうございました。賛否様々ですが、否定的なご意見は私が最後に書いた「例えば、企業が社員を採用する場合・・・・」という部分の具体的方法にあるようです。
これは「たとえば」、「思いつきに過ぎませんが」と断っているように他の方に考えてもらいたいために一例を出したわけです。採用側が学歴よりも適切な基準で判断できるような環境を実現する方法を考えていただきたい、という意味です。
この小文の主題は、大学教育と学生のミスマッチが膨大な無駄を生み、父兄に大きな負担を強いると共に少子化の一要因になっているというものです。私としては主題をご理解いただければよいのですが。
>中小規模の企業も含めて、かなりの企業が独自の試験を課していた記憶があります。
確かに「やってはいます」が、内容はセンター試験レベルのところがほとんどです。正方行列の掛け算とか、古文の読解とか、英文の穴埋め問題とか。
こんなものは、高校生の学力であり、大学生の学力を試しているとは言えません。
大学生の学力を問うなら、最低でも、英検2級、数検1級程度になるでしょう。
その水準を要求される就職試験は、国家公務員試験1級ぐらいなものです。
十数年まえにバイトしてた会社で、業務の都合上「正社員」のペーパーテストを、就活の大学生と受けさせられたが、
現役学生を差し置いて、プー太郎の私が最高得点でした。
私はかつて地方公務員試験(県職員上級)を受けましたが、ほとんど何の対策もしてない私がトップでした。どんだけレベル低いんだろう。