教育の改革は火急の問題 - 松本徹三

2010年02月08日 09:00

今日、日本に住んで長くなるイタリア人の友人と食事をしましたが、彼は、中学を受験しているご子息のことで深刻に悩んでいました。この人はお父さんの代から学者だった教養人で、イタリアで知りあった日本人の奥さんは日本の某超一流大学の準教授です。そういうご夫婦ですから、息子さんを「中高一貫教育をしてくれる良い中学校」に入れたかったのですが、うまくいっていません。それもその筈、「子供を塾などに通わせるのは間違っている」という考えから、塾に通わせるなどの受験の準備は、全くやっていなかったからです。


このご夫婦には息子さんが二人いますが、日本が長いので、二人とも日本語は普通に出来ます。イタリア人の血が流れているからか、サッカーが大好きで、音楽も大好きです。家では両親はイタリア語で話しているので、イタリア語もある程度出来ます。闊達でハンサムな愛すべき少年達なのですが、おそらく受験勉強は好きではなかったのでしょう。

そもそも、生まれつき受験勉強の好きな子供達などはあまりいるとは思えませんが、親達が「受験勉強をするのが当然」と考えていれば、当人達も自然にそう考えるようになるでしょう。塾に通っていれば、そこで友人も出来、それなりに「受験勉強」というものにも興味が出てくるのだと思います。日本の親達でも、まともな人達なら、今の受験勉強のあり方や「塾通い」がよいことだと、本気で考えている人はあまりいないでしょうが、「子供達の将来の為を考えると、仕方ない」と思って、やらせているに違いありません。

しかし、外国人は、日本人ほど簡単に「仕方ない」とは考えません。「絶対に間違っている」と思うのです。そう思ってみたところで、それを変えることは出来ませんが、だからと言って、自分が「間違っている」と考えることを子供達に強い、好きなサッカーをやる時間まで削らせるなどということは、とても出来ないのです。

だから、塾などには行かせなかったのです。しかし、実際に受験となると、その咎を受けるのはどうしようもありません。そして、今、このご夫婦は、「塾に行かせなかったのは本当に正しかったのか?」と、真剣に悩んでいるのです。

彼等と話しているうちに、私も、考えれば考える程、日本の「塾システム」の馬鹿々々しさに気分が滅入ってきました。このイタリア人の友人は、「負け惜しみで言うのではないけど、こういうシステムで教育された日本の若者の『国際社会での競争力』は、必ず落ちていくと思うよ」と言っていましたが、私もそう思います。

日本の塾システムは、学校でやっているのと同じ教科を、ほぼ同じ目的で、並行して教えるシステムです。欧米人には、これは全く理解できません。もし本当にそれが必要なのなら、「現在の学校での教育は有効に出来ていない」ということなのですから、「それなら、学校での教え方そのものを変えなければならない」と考えるのが当然だからです。

「学校で教えない教科を教える為の特殊な塾がある」というのなら分かります。高校が終わってから、ストレートに入れなかった大学を受験する為の「進学予備校」があるというのも、勿論理解できます。しかし、「小学校の時から、上級の学校に行くための特殊教育を、普通の学校教育と並行して受けなければならない」というシステムは、彼等にはどうにも理解できない代物である筈です。「crazyと言う以外にどう言えばよいのか?」と、彼等は心の中できっと考えていることでしょう。

最近の入試がどんなものなのかについては、私は殆ど何も知りませんが、恐らくは、それぞれの学校が、「どうすれば不合格者をふるい落とせるか」について智恵を絞っているのではないでしょうか? こうなると、幾つかの「トリッキーな問題」が受験生の運命を決めることになりますから、受験生側としても、そういう問題に対する対策がなければならないことになります。

私は、幸いにして、これまでの生涯で「試験に落ちる」という憂き目にはあまり会ったことはありませんでしたが、一度だけ落ちたことがあります。それは、大学生の時に受けた自動車の普通免許の筆記試験でした。

実地試験はともかく、筆記試験については、私は全く楽観視していましたが、それでも「法規」と「機構」の両方の分厚い参考書を買ってきて、それを読破、試験の直前にも或る程度のおさらいをして、自信を持って試験会場に行ったのです。それなのに敢無く不合格、私は「何故だー!」と頭をかきむしりました。

しかし、その理由はすぐに分かりました。この頃の自動車免許の筆記試験には、受験生の間では有名な、幾つかの「引っ掛け質問」があり、私はまんまとその全てに引っかかってしまったのです。受験生の間の常識は、この様な「引っ掛け質問」の全てを網羅した「問題集」を買って、単純に「この答を覚えておく」ことであり、それ以外の勉強は実は一切要らなかったのですが、「まさか筆記試験で落ちることはないだろう」とタカを括っていた私は、そんなことさえ知らなかったというわけです。

しかし、その時の私は、「交通法規」についても「自動車の基本的な構造」についても、さっさと合格した普通の人達より、本当は余程よく分かっていた筈です。つまり、「引っ掛け質問に対する対応力」が問われるのではなく、「幅広い知識」が問われるような本当の競争の場になれば、私の方が本当は実力があった筈なのです。

私にはこういう経験もありました。

私が、以前に、技術開発力では超一流と折り紙のついていたアメリカの会社(クアルコム)の日本法人の社長をしていた時に、本社の技術標準化部門の長だったアメリカ人の友人が「博士号を持つ日本人の若い技術者を雇ってみたい」と言うので、東京大学の先生に紹介してもらって、ちょうど博士号を取ったばかりの一人の学生に面接を受けてもらうことになりました。

面接と言っても、アメリカまで出かけていくのはお金もかかって無理なので、電話での口頭試問で勘弁してもらうことにし、更に「英語が聞き取り難い日本人には電話での口頭試問は不利だ」と主張して、事前に質問事項を送ってもらいました。質問は全部で10項目あり、全て2―3行の長さです。特に専門的な言葉はそんなに多くは使われていませんでした。

勿論、私にはちんぷんかんぷんでしたが、驚いたことに、この質問表をこの学生さんに見せたところ、彼の顔色が段々悪くなり、「口頭試問は受けません」と言うではありませんか。理由は単純で「合格する自信が全くない」ということでした。

私は早速アメリカ本社に電話をして、友人にその旨伝えると、彼は首をひねり、こう言いました。

「何故なんだ? 受けるだけ受けてみたらいいじゃあないか。もともと、あの質問には『正解』なんていうものはない。何かについての知識を問うているわけでもない。自分は、相手との会話の中から、『基本的な物の考え方』とか、『論理の筋道の立て方』、『問題解決への方策の探し方』、更には『人間性』等を感じ取ろうとしているのだ。博士レベルの人間を採用する時にはいつもやっていることだし、現実に後の仕事ぶりを見ていると、このやり方を通して私が判断したことが、概ね正しかったことも証明されている。」

私は「成る程」と思い、この学生さんにそのまま伝えましたが、残念ながら、彼の考えは全く変わりませんでした。「自信がない」の一辺倒で、「そういうことが問われる世界には入って行きたくない」という気持すら感じ取れました。

さて、色々なことを考えているうちに、私の考えは、目の前にいる私の友人の子供である、日伊混血の可哀想な少年のことから、日本人の若者全体の将来のことに広がりました。何も知らずに、「塾システム」に象徴されるような「日本の奇妙な教育システム」の中にどっぷり漬かっていく日本の若者達の方が、実はもっと可哀想なのだと思えてきたのです。

私がイタリア人の友人にしたアドバイスは、「日本の基準での優等生になることを息子さんに求めるのは意味がない。日本(更に出来れば、中国、韓国を含めた「東洋」)と欧州の両方の文化(価値観)を理解する人間になることを目指せば、そういう人間を求める仕事に将来必ず出会える筈だ」ということでしたが、それでは、そういう人間を育てられる場がどこにあるのかと問われれば、口をつぐまざるを得ませんでした。しかし、それは、そのまま、日本の若者達の為にも答えてやらなければならない問いだったのだと思います。

画一的な価値観ではなく、多様な価値観に支えられた教育。それぞれの人間の多種多様な興味を尊重し、それを育てていくような教育。表面的なものではなく、真に自らが誇れる「実力(競争力)」を身につけられる教育。そういう教育こそを、日本の若者達の為に、我々はこれから作り出していかなければならないのではないでしょうか。

私には三人の子供達がいますが、私は彼等に財産を残すつもりはありません。しかし、ちゃんとした高等教育だけは受けさすことが出来ました。「借金も残さないだろうし、老後の面倒を見てくれと言うつもりもないから、これだけで、十分親としての責任は果たしたことになるだろう」と思っています。しかし、日本人の一人として考えた時、我々は本当に次世代の人達に対する責任を果たしていると言えるのでしょうか?

我々の世代は、若い人達に対して、実は「問題だらけの教育」しか与えてやれておらず、しかもその一方で、厖大な借金を残していこうとしているのです。今のままでは、彼等の能力が、近隣諸国の人達の能力に比べて、将来とも競争力を持てるという保証は全くありません。彼等の生活水準が、近隣諸国の生活水準と比べて、より高いものであり続けるという保証もありません。これは、我々としては、何とも情けなく、恥ずかしいことではないでしょうか。

教育の改革は、特に火急の問題だと思います。文部科学省も、日教組も、教育システムを現在のような形にしてきた当事者ですから、あまり信用するわけにはいきません。日教組出身の興石さんが「陰の実力者ナンバー2」だといわれている民主党に、全てを委ねているわけにも行きません。

民主党が高校の無料化を実現してくれたとしても、こうして高校を出た若者達は、その後どこに行くのでしょうか? 大学以上の教育を受けることはあきらめ、民主党が守ってくれそうな「きちんとして労働組合」のある大企業の正社員になることもあきらめ、労使を問わぬ「既得権者」から容赦なく切り捨てられる不安定な立場で、一生を暮らさなければならないのでしょうか? それとも、無料化にしてもらった高校の授業料をはるかに超えるお金を、塾や予備校に支払って、日本の雇用システムと昇進システムの中で、うまく立ち回っていく道を選ぶのでしょうか?

日本は鎖国しているわけではなく、これからも鎖国することはないでしょう。そうであるなら、国債の評価も、ビジネスも、教育システムも、全てを諸外国の状況と比較し、競争力のあるものにしていかなければなりません。文部科学省も、日教組も、民主党も頼りにならないとなれば、このことに危機感を抱く人達が声を上げて、どこかで突破口を開くしかないと思います。

関連記事

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑