学歴から資格へ - 池田信夫

2010年02月17日 11:29

藤沢数希氏が私のブログ記事を引用していうように、理科系のもっとも偏差値の高い学生が医学部に行くのは、科学技術の振興が必要な日本では深刻な社会的浪費である。もちろん先端医学の研究開発は重要だが、大部分の医師は開発された技術を使って診察・治療を行なうオペレーターであり、数学や物理のむずかしい勉強は必要ない。


弁護士も同じである。民事訴訟による賠償はゼロサムの所得移転で、弁護士費用は誰の得にもならない死荷重である。もちろん、これは弁護士が不要だという意味ではなく、法的な紛争解決を円滑に進めて法務コストを減らす制度設計は重要だ。そのためには弁護士免許を廃止して資格認定にし、ADR(法廷外紛争処理機関)によって「司法の民営化」を進めることが望ましい。

医師や弁護士の所得(および社会的地位)が高いのは、フリードマンが指摘したように、彼らのギルドの歴史が古く、その既得権が強固に守られているためだ。免許で供給が制限されているため所得が高く、国家試験がむずかしくなって高学歴の人物しか合格できない。医師や弁護士の所得は、その労働生産性ではなく、むずかしい試験を通ったというシグナリングによって高まっているのだ。

同じことは「大学教授」という職業にもいえる。これは免許に守られているわけではないが、修士・博士課程という(意味の疑わしい)徒弟修行に守られているため、参入障壁は高い。東大教授の社会的地位が高いのは、東大に入るのがむずかしいからであって、彼らの人的資本の価値とは無関係である。少なくとも東大経済学部の授業は、教科書を読めば1週間でわかることを半年かかってだらだら教える非生産的な儀式にすぎない。理科系ではもっと実質的な訓練が行なわれているようだが、それも偏差値の高い一部の大学に限られる。

その結果、学歴というシグナルの価値が人的資本の価値と大きく乖離し、海老原嗣生氏の指摘する「学歴のインフレ」が起きている。ポズナーが紹介しているように、教育学の実証研究によれば、一卵性双生児が大学に入った場合と高卒で就職した場合の労働生産性はほとんど変わらない。労働者として必要な知識のほとんどは中学までに身につけ、高校教育でさえ大多数の労働者には余分である。つまり学歴による所得も、職業免許と同様のレントにすぎないのである。

このように供給制限によって労働生産性と乖離した高いレントが発生している分野は多いが、そういうゆがみを生み出す元凶がシグナリング機関としての大学である。しかし幸か不幸か、私立大学の経営が危機に瀕し、学生も大学を卒業して専門学校に行くなど、学歴から資格への流れが強まっている。これはゆがんだシグナルによる人的資源の配分を改め、サービス産業の生産性を引き上げるチャンスである。

しかし採用する企業が、まだ形ばかりの「大卒」を応募要件にしているケースが多い。こういう慣習をやめ、多くの科目についてTOEICのような実務資格試験をつくってはどうだろうか。同様の機関としては大検があるが、これは既存の大学を前提にするもので、職業訓練の成果を計測するものではない。高校を卒業したら職につき、働きながら職業資格の点数を上げてゆくしシステムができれば、4年間レジャーランドで時間を浪費することもなくなり、転職も容易になるだろう。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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