食料自給率についての投稿 ― 原沢恵太

2010年03月29日 15:24

 議論の前提として、国家の食料安全保障を実現する手段は、「自給政策」と「輸入安定」(外交・安全保障の観点)の両輪ですべきであると考えています。その上で、自給を優先する、つまり食料自給率の向上には一定の意味があることを主張します。


まず、自給率向上に対する批判の多くに、指標としての正確さや、政治的な利権を指摘するものがありますが、その手の批判は「自給」それ自体の是非とは関係が無い点を先に言及しておきます。確かに現在政府で用いられ、また一般に浸透しているカロリーベース自給率に関しては、輸入途絶によって食料の絶対数が減少しているのに自給率が100%になる等の根本的な欠陥があるため批判に値しますが、その反証が金額ベース自給率では、「危機」を前提とした安全保障概念を扱う指標としてはむしろカロリーベースよりも欠陥であると考えます(そもそも上記欠陥の反論にもなっていません)。その上で、基準となるカロリー水準を政策的に設定することを提言したいと思います。FAO(国連食糧農業機関)におけるFood Securityの定義である「(略)…for an active and healthy life.」を、現在の日本で実現するだけの供給水準を設定し、それを基準に自給率を求めていけば、絶対量の減少が起きた際の指標としては適正なものになります。

また、医療・栄養学の領域からも基準設定に立ち入ることができれば、財政面での医療費削減に貢献することも期待できるでしょう。ただし、これらが国家による食のライフスタイルの強制であってはならない点には十分に気をつける必要があります。あくまで基本姿勢は消費者の自由な選択の判断基準の一つであることを目的とした行政からの推奨であり(また実際にその程度のことは既に行われている)、これを農業・食料政策に適合させるだけのことなので、既存の研究の延長で実現できるものと考えます。

 それでは、こうした(もちろん上記に限らない)自給率指標の修正を前提に、大きな予算をかけてまでこの自給率向上を行う必要があるのかというメインテーマに入ると、私は「ある」と考えています。ただし、度の過ぎた食料危機論には明確に反対します。長期的な視野で考えた際の世界における食料生産はまだまだ余力があり、最も懸念される人口問題も天井が見えてきていることは明らかです。輸入供給の減少を想定するならば、それは50年や100年といった超長期での経済力や環境の変化を除けば(これを考える必要は無いとは思えないけれど)、何らかの「ショック」で短期・中期的なスパンで起こりうるリスクを対象とした議論をすべきでしょう。天候由来の危機は近年一度も起きていないと言われているものの、人類の活動がより大きな影響を与えるようになっている現在でもリスクが同レベルであるとは考え難くなりつつあります。自給率否定派の方々からは、自給を目指すと輸入を行わないかのような発言(自給しても国内で凶作があったら食料がなくなる等)がありますが、自給を優先しつつ輸入を行うことで段階的に危機に対応できる能力を保持する方が望ましいでしょう。自給している国には輸出しないなんて事態は聞いたことがありません。また、国際的な比較の中で日本に顕著な状況の差異としては、北東アジアにおける安全保障上の不安定があります。

もちろん、米中の全面戦争という可能性はゼロに等しく杞憂である可能性が高いけれど、中台の衝突は決して低い可能性ではなく、台湾の兵站を途絶すべく当該領域での経済活動が制約される可能性は決して否定できるものではありません。アジア地域の兵器調達の現状を鑑みれば、東南アジアを巻き込んだ軍拡が安全保障上のリスクを高めていることは明らかです。日本が戦争をふっかけなくとも輸送路における戦争のリスクは絶えずあるのです。北東アジアに限らず、「まさか戦争なんか起こるわけがない」という期待がことごとく裏切られることは歴史が証明しており、第二次世界大戦後に限定してみても、第四次中東戦争やフォークランド紛争等が良い例です。この安全保障上の問題が、冒頭で述べた食料供給におけるリスクを低めるために自給率だけでなく輸入を安定化させることが大切と考える理由であり、逆に言えば国際的な安全保障における軍事的な責任を日本が果たせるのであれば、自給率を極端に高くする必要が無くなるとも考えています。食料供給の減少という事態は余りにも国民に与える影響が大きく、危機発生の可能性と備えの費用との関係では国防と似た部分があると思うのですが、自給率否定派の方々は安全保障政策も否定しているのでしょうか。自給のみ問題視するなら、両者を峻別するロジックをご提示願いたいと思います。

 そして、こうした絶対量の問題だけでなく、食の安全や多面的機能での国内生産の有益性も指摘することができます(むしろ私はこちらを強調する立場に立ちます)。値段と安心とはかなりの程度トレードオフ関係にあり、どちらを選ぶかは確かに消費者の自由であるという側面はあるものの、「自給率を政策的に上げなくても、選択したい人だけ選べば良い」というのは偽善的な提案であると考えます。なぜなら、自給政策が輸入抑制の効果を持つが故に両立するものではない現状において、消費者に選択肢を提供するためには財政的な国家による自国農業の保護がなければ成り立ちません。この前提を無視して、保護をやめても選択肢があるような言い方には感心しません。また、アメリカやEUですら大量の補助金を投入しているにも関わらず、なぜ日本が農業保護することだけ槍玉にあげるのかが理解できません。「あっちもやってるから」という類の根拠で自給政策を取るべきではないことは明らかですが、自国に農業があることで実現される多面的な機能を放棄してまでどうしても輸入に転換すべき理由は何なのでしょうか。他国の補助水準を挙げた理由は、農業の存続とワンセットである農村風景の維持や地域産業の活用などが、補助金漬けの輸入品と対抗するためにそれなりの農業保護が日本においても必要であることの根拠となるからです。ただでさえ資源に乏しい日本で、経済的理由のみを根拠に日本中に残る資源を放棄するのであれば、それは国家戦略として不適切なものではないでしょうか。これに関連して、将来必要になれば勝手に農業が盛んになる、という主張も半分正しくて半分間違っています。一度荒廃した農地を復活させるには大きな予算が必要ですし、そもそも復活不可能なほど土地が荒れることも頻繁にあります。これの再生にはそれこそ土木建築的な大きな予算が必要になり、また農業生産のノウハウを再構築するのにも時間がかかります。

まとめると、地域雇用・安全管理・安心感の提供・地域資源の活用・将来的な食料生産の国内転換への基礎・国土の保全・農村的風景の維持・リスクヘッジなど、一つ一つには代替手段も考えられる場合もありますが、これらを同時に実現する手段としての農業を維持(つまり、自給の本質的な意義)することがそこまで否定されるべきものとは思えない、というのが私の考えです。

以上、食料危機論に則らない形での自給率向上を望む理由を挙げました。私は自給に関しての「原理主義者」ではないので、自給率否定派の方々から天候による世界的な生産減少が起きないことや安全保障政策が不必要であること、また多岐に渡る多面的機能を完全に代替することができる手段や経済的理由のみに基づいて国内資源を放棄することの正当性を提示されれば、自給政策は必ずしも必要でないという風に考えを転換するつもりです。「アゴラ」を媒介とした皆さんの闊達な議論を楽しみにしています。

(原沢 恵太)

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑