食料自給率についての投稿 ― 原沢恵太

アゴラ編集部

 議論の前提として、国家の食料安全保障を実現する手段は、「自給政策」と「輸入安定」(外交・安全保障の観点)の両輪ですべきであると考えています。その上で、自給を優先する、つまり食料自給率の向上には一定の意味があることを主張します。


まず、自給率向上に対する批判の多くに、指標としての正確さや、政治的な利権を指摘するものがありますが、その手の批判は「自給」それ自体の是非とは関係が無い点を先に言及しておきます。確かに現在政府で用いられ、また一般に浸透しているカロリーベース自給率に関しては、輸入途絶によって食料の絶対数が減少しているのに自給率が100%になる等の根本的な欠陥があるため批判に値しますが、その反証が金額ベース自給率では、「危機」を前提とした安全保障概念を扱う指標としてはむしろカロリーベースよりも欠陥であると考えます(そもそも上記欠陥の反論にもなっていません)。その上で、基準となるカロリー水準を政策的に設定することを提言したいと思います。FAO(国連食糧農業機関)におけるFood Securityの定義である「(略)…for an active and healthy life.」を、現在の日本で実現するだけの供給水準を設定し、それを基準に自給率を求めていけば、絶対量の減少が起きた際の指標としては適正なものになります。

また、医療・栄養学の領域からも基準設定に立ち入ることができれば、財政面での医療費削減に貢献することも期待できるでしょう。ただし、これらが国家による食のライフスタイルの強制であってはならない点には十分に気をつける必要があります。あくまで基本姿勢は消費者の自由な選択の判断基準の一つであることを目的とした行政からの推奨であり(また実際にその程度のことは既に行われている)、これを農業・食料政策に適合させるだけのことなので、既存の研究の延長で実現できるものと考えます。

 それでは、こうした(もちろん上記に限らない)自給率指標の修正を前提に、大きな予算をかけてまでこの自給率向上を行う必要があるのかというメインテーマに入ると、私は「ある」と考えています。ただし、度の過ぎた食料危機論には明確に反対します。長期的な視野で考えた際の世界における食料生産はまだまだ余力があり、最も懸念される人口問題も天井が見えてきていることは明らかです。輸入供給の減少を想定するならば、それは50年や100年といった超長期での経済力や環境の変化を除けば(これを考える必要は無いとは思えないけれど)、何らかの「ショック」で短期・中期的なスパンで起こりうるリスクを対象とした議論をすべきでしょう。天候由来の危機は近年一度も起きていないと言われているものの、人類の活動がより大きな影響を与えるようになっている現在でもリスクが同レベルであるとは考え難くなりつつあります。自給率否定派の方々からは、自給を目指すと輸入を行わないかのような発言(自給しても国内で凶作があったら食料がなくなる等)がありますが、自給を優先しつつ輸入を行うことで段階的に危機に対応できる能力を保持する方が望ましいでしょう。自給している国には輸出しないなんて事態は聞いたことがありません。また、国際的な比較の中で日本に顕著な状況の差異としては、北東アジアにおける安全保障上の不安定があります。

もちろん、米中の全面戦争という可能性はゼロに等しく杞憂である可能性が高いけれど、中台の衝突は決して低い可能性ではなく、台湾の兵站を途絶すべく当該領域での経済活動が制約される可能性は決して否定できるものではありません。アジア地域の兵器調達の現状を鑑みれば、東南アジアを巻き込んだ軍拡が安全保障上のリスクを高めていることは明らかです。日本が戦争をふっかけなくとも輸送路における戦争のリスクは絶えずあるのです。北東アジアに限らず、「まさか戦争なんか起こるわけがない」という期待がことごとく裏切られることは歴史が証明しており、第二次世界大戦後に限定してみても、第四次中東戦争やフォークランド紛争等が良い例です。この安全保障上の問題が、冒頭で述べた食料供給におけるリスクを低めるために自給率だけでなく輸入を安定化させることが大切と考える理由であり、逆に言えば国際的な安全保障における軍事的な責任を日本が果たせるのであれば、自給率を極端に高くする必要が無くなるとも考えています。食料供給の減少という事態は余りにも国民に与える影響が大きく、危機発生の可能性と備えの費用との関係では国防と似た部分があると思うのですが、自給率否定派の方々は安全保障政策も否定しているのでしょうか。自給のみ問題視するなら、両者を峻別するロジックをご提示願いたいと思います。

 そして、こうした絶対量の問題だけでなく、食の安全や多面的機能での国内生産の有益性も指摘することができます(むしろ私はこちらを強調する立場に立ちます)。値段と安心とはかなりの程度トレードオフ関係にあり、どちらを選ぶかは確かに消費者の自由であるという側面はあるものの、「自給率を政策的に上げなくても、選択したい人だけ選べば良い」というのは偽善的な提案であると考えます。なぜなら、自給政策が輸入抑制の効果を持つが故に両立するものではない現状において、消費者に選択肢を提供するためには財政的な国家による自国農業の保護がなければ成り立ちません。この前提を無視して、保護をやめても選択肢があるような言い方には感心しません。また、アメリカやEUですら大量の補助金を投入しているにも関わらず、なぜ日本が農業保護することだけ槍玉にあげるのかが理解できません。「あっちもやってるから」という類の根拠で自給政策を取るべきではないことは明らかですが、自国に農業があることで実現される多面的な機能を放棄してまでどうしても輸入に転換すべき理由は何なのでしょうか。他国の補助水準を挙げた理由は、農業の存続とワンセットである農村風景の維持や地域産業の活用などが、補助金漬けの輸入品と対抗するためにそれなりの農業保護が日本においても必要であることの根拠となるからです。ただでさえ資源に乏しい日本で、経済的理由のみを根拠に日本中に残る資源を放棄するのであれば、それは国家戦略として不適切なものではないでしょうか。これに関連して、将来必要になれば勝手に農業が盛んになる、という主張も半分正しくて半分間違っています。一度荒廃した農地を復活させるには大きな予算が必要ですし、そもそも復活不可能なほど土地が荒れることも頻繁にあります。これの再生にはそれこそ土木建築的な大きな予算が必要になり、また農業生産のノウハウを再構築するのにも時間がかかります。

まとめると、地域雇用・安全管理・安心感の提供・地域資源の活用・将来的な食料生産の国内転換への基礎・国土の保全・農村的風景の維持・リスクヘッジなど、一つ一つには代替手段も考えられる場合もありますが、これらを同時に実現する手段としての農業を維持(つまり、自給の本質的な意義)することがそこまで否定されるべきものとは思えない、というのが私の考えです。

以上、食料危機論に則らない形での自給率向上を望む理由を挙げました。私は自給に関しての「原理主義者」ではないので、自給率否定派の方々から天候による世界的な生産減少が起きないことや安全保障政策が不必要であること、また多岐に渡る多面的機能を完全に代替することができる手段や経済的理由のみに基づいて国内資源を放棄することの正当性を提示されれば、自給政策は必ずしも必要でないという風に考えを転換するつもりです。「アゴラ」を媒介とした皆さんの闊達な議論を楽しみにしています。

(原沢 恵太)

コメント

  1. atoman0 より:

    安全保障として食料の自給率を高めなければならないぐらいなら、軍事力の自給率も高める必要がありそうですね。結局、日本は軍事大国になる必要があるということでしょうか?

  2. Archer.K より:

    ありがとうございます、投稿者です。

    いくつか認識確認をしなければなりませんが、
    「軍事力の自給率」が兵器調達における外部依存性を意味するならば日本は現状においてそれほど問題はありません。
    また、イギリス・ドイツ・フランス・カナダなどを「軍事大国」と考えているなら其の通りですし、中国・ロシア・アメリカ・北朝鮮などを想定しているのでしたら日本が軍事大国になる必要は全く無いと考えています。

    さて、その上でatoman0様の問いに戻ると(これは食料・農業問題としての自給率論というよりも「食料安全保障」という視点からのテーマになってくるのですが、論点がそこなので議論を限定します)、本文に記したように、交易路における脅威を排除するための意思と能力がなければ食料安全保障は形骸化すると考えます。
    そしてご指摘の点と関わるところですが、安全保障は決して日本単独で行うべきものでもありません。複数国家で協力して脅威に対処することができれば、財政的な負担を減らすことができるだけでなく、より広範囲での国際的な安全保障の一翼を担うことができます。それは軍事的挑戦を試みる諸アクターによる極めて無益な戦争を抑止することはもちろん、日本が頼る海上輸送(特にここでは食料やエネルギー)を安定したものにすることができると考えます。
    現状の日本において世論が海上輸送の安全保障に関心を持っているとも思えないし、「軍事」を正しく理解して運用できることにはあまり期待できないのは不安材料ですが、100%の自給を!というような極論を許さないためにも自給と輸入安定を両輪で進める際の片方の手段としてご理解いただけないか、と期待しています。

    ただ、あくまでこれらは食料供給の減少を招きうる安全保障上の観点に限定した話ですので、他にも本文で挙げた通り様々な根拠から食料自給の意義があると考えている点はご認識下さると幸いです。

  3. akiteru2716 より:

    原沢さんの安全保障の考え方は、視野が広くて好感が持てました。

    石油等の禁輸が太平洋戦争を招いた例を考えても、食料さえ自給できればいいという考え方は視野が狭いと思います。
    現在の繁栄した社会が、安定した国際協調の上にあるのは明白で、世界中の国から食糧を止められる様な事態が起きてしまっては、自活はできたとしても近代的な社会の維持は困難だと思う。

    天然資源が決定的に乏しいわが国では、1億2千万を文化的に生かしているのが国際協調(米国追従も含む)であることが明白であり、シーレーン確保と複数国協調を軸に考えるのが現実的ですね。

  4. yondemasuyo より:

    >自給率否定派の方々から天候による世界的な生産減少が起きないことや安全保障政策が不必要であること、
    >また多岐に渡る多面的機能を完全に代替することができる手段や経済的理由のみに基づいて国内資源を放棄することの正当性を提示されれば

    それは無理でしょう。大津波が来るかもしれないから日本全体を囲む堤防を建てる。反対派は津波が来ないことを証明しろと言っているのと同じなのでは?

    世の中に完全と言う言葉は無いし、全てのリスクに対応しなければならないわけでは無いと思います。

    また、素人意見で申し訳ないのですが、自給率の増加がなぜ大量の予算とセットになっているのでしょうか?
    経済と言う観点であれば一定以上の効率のとれる農家だけを保護し、採算の取れない農家は統廃合する。
    国防という議論なのであれば農家は全員公務員にして
    コメと野菜は配給制にした方が良いんじゃないですかね。
    (もちろん上記の効率化も行います)

    あと、もう少し平易な文章で書いてもらえると助かります。
    仕事から帰ってきて難解な文章を読むのはキツいです・・・。

  5. disequilibrium より:

    少なくとも、現状の日米安保と、核抑止が機能している間は、通商破壊という事態は起こりえないと思いますが。

    もちろん、50年、100年といった、日米安保も核抑止も機能しなくなっている可能性があるような長期的な展望では、そのリスクを考慮する必要がありますが、それまでの長期間、農業保護の費用を支払い続ける必要はないはずです。

  6. Archer.K より:

    >>akiteru2716様
    好意的に捉えられる点があったことは大変嬉しいです、ご意見ありがとうございます。

    以前から「石油も無くては意味が無いのだから食料自給は意味が無い」という指摘は多いのですが、なぜそこから「だから、石油も食料も安定的に輸入するために安全保障を盤石にしよう」という声が挙がらないのか、もどかしく思っていました。安全保障を前提に国際社会の協力を考える私にとって、昨今の日本における安全保障に対する意識の希薄さを見ていると、自給も軍事も否定するならば何でも経済的手段で解決するつもりなのかと不安を覚えるのです。日本が意図的に食料やエネルギーを止められることがなくても、止まってしまう(または高額な迂回コストがかかる)可能性というのはあり、国内的な備えが日本国民の精神安定に大きく貢献することは確実です。(その物理的効果として湾岸戦争時のイスラエルでのミサイル防衛と国民の心理との関係がおおいに参考になるのでご参考下さい)
    本文ではシーレーンなどの概念を突然投げると親切でないと思い用いなかったのですが、まさにそれです。シーレーンにおける安全保障を日本が責任を持って国際協調に参加する意思と能力を保持することで実現することこそが、既存の食料安全保障論に欠けていた「金だけでもない、自給だけでもない」責任ある国家戦略だと、私は考えています。

  7. Archer.K より:

    >>yondemasuyo様
    ご意見ありがとうございます。

    そうですね、ゼロリスクは現実的ではありません。
    その例え話に乗ると、反対派は「津波なんて絶対に来ないから堤防は1mくらいで十分」と指摘しており、賛成派(少なくても100%の自給を求めない私にとっては)は「大きな津波が来る可能性はそれほど低くないので、現状の4mではなく6mくらいの津波には耐えられるようにしよう」という指摘である、と考えています。

    予算との関係では、もちろん統廃合による効率化は望ましく、基本的にはその路線をいくべきです。ただ、天候や土地に強く制約される農業の特殊性故に、日本の地理的条件では「効率的」な農業には限界があるため、自給するのであれば大きな予算は前提にせざるを得ません。ロクに農業をせずに土地を遊ばせている部分に関しては厳しく批判するべきですが、現場レベルでは他に産業が無い中相当に努力して何とか生計を立てている農家がたくさんいます。ただ、確かに効率化に向けた農政がこれまで不十分だったことは否定できません。
    公務員化の指摘ですが、「財政的な費用対効果が公務員化する方が良い」という前提がなければならないので、私は適切で無いと思います。効率化をしつつ国営化するという提案は現実的な面で矛盾します。また、配給制度の仕組みの主な目的は価格の高騰を避けることなので、配給制度により価格が上がる(政策的に安く設定しても財政負担を加味すればトータルで変わらない)のであれば、導入する意味は無いです。そもそもですが、公務員化・配給制は自給政策の容認が前提になっているので、そこであえてより高いコストの政策を選択する必要はありません。(賛成派に対する皮肉であることは分かっていますが)ここでの論点は自給政策の是非それ自体のはずです。

    私の能力不足で読み辛い文章になってしまい申し訳ありません、それでも読んで下さったことに感謝致します。

  8. Archer.K より:

    >>disequilibrium様
    ご意見ありがとうございます。

    現状の抑止体制では通商破壊が起きないという点には全く同意します。しかし、後段でご指摘されているような展望という点では、日本の世論や現在の政権与党がアジア地域における軍拡の急進に対処するための日米安保の強化や核抑止の積極的な容認に向かっているとは思えません。普天間・核密約などのホットな話題での世論動向はむしろベクトルが逆ではないでしょうか。
    軍事技術の発展の進度から言えば、50年というスパンですらむしろ超長期的です。わずか10年程度前と現在の中国の装備・運用を比較してみてください、現在の米国に片務的な日米同盟が(というより日本の安全保障体制では)次の10年でも盤石であるとは言い切れません。全面戦争ではまだまだ米国が圧倒的ですが、全面戦争はありえず、局地での衝突で米国を脅かすことは今の技術でも不可能ではありません。

    一度国内農業を淘汰してしまうと、荒廃した土地の地力を蘇らせ、種子・肥料等を世界中から調達(数十年単位で調達が無くなるならルート開拓から再開する必要がある)しなければならず、実務的な農業技術を蓄積した農業者が消えてしまう将来(今の農業従事者年齢を考えると尚更リアル)を考えると、よく聞かれるような「また必要になったら農業始めれば良い」というような提案が農業生産の実態を理解した現実的な選択であるとは思えません。「危機」が現実の食料供給減少だった場合、上記を達成するまでの長い期間が問題になります(この点、備蓄政策の是非とも関わる)。国内農業維持以外の手段でこれらを代替できるならばぜひ皆さんのお知恵を拝借したいと思っています。

    以上の理由から(自給政策の賛成派も一枚岩ではありませんが少なくても私の考えでは)、先の見えない長期的な期間に渡って農業保護の費用を払う、というような認識ではないことをご理解下さい。

  9. akiteru2716 より:

    4. yondemasuyo氏の公務員にして配給制というのは、割と大事な問題が隠れていると思いますよ。

    例えば、自給率が統計上100%になったとしても、田んぼのコメは僕のものじゃない。
    いざ、食料が手に入らない事態になったときにはこれがちゃんと手に入るようになるのか。それこそ有事法制で農家から徴用して街に供給してもらえるのか。

    これって、とっても大事な肝だと思いませんか?
    都市生活者にとっては、いざという時にちゃんと食料を供給してくれる保証がないと、農業支援で安全保障とか言ってもまったく支持できないですよね。

    全然話は変わりますが・・・・・
    国策で作った食料を、生活保護費の代わりに現物支給とかダメですかね~

  10. Archer.K より:

    >>akiteru2716様
    再びありがとうございます!

    私も配給に関しては問題意識を持ったことがあり、(行政とは関わったことがないので全く個人的にですが)食料安全保障を専門にしていた関係でかつて概念整理を行いまして、自給や輸入の安定化と異なる系統として「配給制度」も食料安全保障実現のための具体的手段に含まれると考えています。平たく言えば、ここでの議論の中心である自給政策を行わないとしても、物理的に国民に対して食料供給を行うための手段として配給制度は食料安全保障の概念に含まれる、という意味です。

    そして、この配給に関しては余り認識されていませんが法的な裏付けがすでにあります。国民生活安定緊急措置法や物価統制法など(他にもいくつありますが)、いくつかの法律で物資を特定して価格だけでなく販売・譲渡まで禁じる備えがあります。その意味では、ご心配の「いざという時に供給が行われるか」に関してはあまり心配なさらないで結構だと思います。

    自給率の意義とはズレるので雑談としてのコメントになってしまいますが、需給調整で廃棄される農作物を利用できれば望ましいとは思います。そうなっていないのは経済の論理で理解できるのですが、そもそも「援助」それ自体が経済的な利益を目的としていないとすれば、需給調整の実施を事前に知らせると同時に支援者自体が収穫・配給するコストを引き受ければ実行可能な気もします。ただ、その活動が大きくなれば当然市場の需要が減少して価格に影響し・・・という経済的な反論はあるでしょうし、それは事実だと思います。
    気になるのは国際経済の構造的な観点からは巨大な食料余剰が途上国における慢性的な食料援助を招いているという指摘があることです。それなら需給調整分を生活保護に回すことはそれほど非現実的では無いような気もしたりしますが、定かでありません、参考程度にしていただけたらと思います!