「無縁社会」と福祉システム - 池田信夫

2010年04月01日 02:22

きょうから「今日のコラム」を「OPINION」にバージョンアップして、執筆者も増やすことになりました(スケジュールは調整中)。


NHKの「無縁社会」というシリーズの番組が、反響を呼んでいる。ちょっと前の「ワーキングプア」の老人版という感じだが、ワーキングプアの実態がいかがわしいものだったのに対して、無縁社会は現代のかなり本質的な問題である。

無縁といっても、文字どおり親戚も友人もゼロという人はほとんどいない。故郷を離れてそういう縁が切れたり、本人がそういう束縛をきらっているというケースが多い。日本の場合は、都市で地域のコミュニティがほとんど機能しなくなったことも大きな原因だ。特に集合住宅では、隣の人の名前も知らないことも多く、老人が死んでから1週間も気づかれなかったといった事件も起こる。

これは日本の都市化が急速に進んで都市コミュニティが形成されなかった一方、会社という擬似コミュニティができたことも原因だろう。かつては町工場や企業城下町のような形で会社が地域コミュニティの核になっていたが、最近はグローバル化や雇用の非正規化で、それも失われた。かつて田舎の共同体を脱出することは、都会で自由と富を得ることを意味したが、いまこうした共同体を失うと、すべてを失ってしまう。今や日本には、家族より大きな単位のコミュニティがほとんどない。

このような状況を「市場原理主義」などと糾弾して、古きよき「国家の品格」を取り戻そうとする人々がいるが、彼らは具体的にどうしろというのだろうか。地方に公共事業をばらまいて雇用を維持する田中角栄以来の手法はもはや財政的に行きづまり、民主党政権がやろうとしている派遣労働の規制などは、失業を増やす以外の効果はない。

社会の流動性が高まり、伝統的な中間集団が失われるのは、資本主義の必然的な結果ともいえる。マルクスもハイエクもそれは避けられない傾向だと考え、フリードマンは地域や年齢に依存する福祉システムを廃止して、福祉を負の所得税のような所得再分配に一元化すべきだと主張した。これは効率性という観点からは合理的であり、現在の福祉がきわめて非効率かつ不公平で、コストの大部分が官僚機構に食われていることも事実である。

しかし原子的な「無縁」の個人が、最低所得だけ保障される社会は幸福なのだろうか。過疎化する地方とともに失われてゆく伝統文化は、消えるにまかせてよいのだろうか。日本の所得は高いのに、「幸福度」は世界で90位だ。自殺率は主要国で最悪の状態が10年以上続いている。単なる所得保障ではなく、人々の「縁」を再建する工夫が必要なのではないだろうか。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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