明治維新が二度と起らない理由 - 矢澤豊

2010年04月22日 01:58

NHK大河ドラマ「龍馬伝」がヒットしているようですね。以前も申し上げましたが、歴史は民族が共有するアイデンティティーの根本です。その歴史の中でも、特に人の心に訴える物語は、「民族のロマン」として、その国の文化における重要な部分、「宝物」になっているのでしょう。

日本の幕末/明治の物語群のみならず、世界に目を向ければ、アメリカではFounding Fathersと呼ばれる建国の父たちによる、独立革命戦争の故事が、いまでもTea Partyなどという政治運動の名称の由縁になっているわけです。中国には「項羽と劉邦」、「三国志」から始まって、この手の物語の宝庫といった観があります。韓国ではやはり李舜臣でしょうか。

幕末の快男児、坂本龍馬の物語に、日本人としてカタルシスを感じることは、もちろん健全なことですが、「ブーム」などと言われ始めると、根が横着者にできている私には、どうも「これで本当にいいのかな」と思えてきます。特に、にわか「新党ブーム」にウカレている政治家風情の、維新の志士たちにあやかろうという言動を耳にすると、日本人は明治維新の本質を本当に理解しているのかどうか、甚だ疑わしくなるのです。


明治維新は比較的に近い過去の話ですので、印象がまだビビッドであるのと同時に、非常に細部にわたり研究され、小説化されています。そこで、私たちは「龍馬の視点による幕末史」、「松蔭の視点による幕末史」、「土方歳三の視点による幕末史」、「福沢諭吉による幕末/明治史」などなど、ミクロ的な幕末/明治史の分析には多く接していますが、明治維新を世界史というマクロの視点でとらえた論調を目にする機会はほとんどありません。

私もこうしたマクロ的、巨視的見地いたった明治維新論に接したのは、海音寺潮五郎さんの「明治維新史管見」という小文が初めてでした(*1)。

海音寺さん曰く、明治維新とは、日本という国が、幕藩体制という中・近世的封建制度の政体から、中央集権の民族国家となるにいたる過程であり、これは別に当時の日本だけに限られた局地的、特殊な動きではなく、世界規模における当時の風潮だった、と。

たしかに科学技術の面だけをとらえてものを語れば、当時の日本は西欧列強に大幅な遅れをとっていましたが、国家の政治形態の変遷としては、西欧列強と足並みを揃えていたといえます。

明治維新を大政奉還、王政復古の大号令の年、1868年とします。かたや鉄血宰相ビスマルクによるドイツ統一は、1871年。このドイツ統一は多民族帝国であったオーストリア・ハンガリー帝国を除外し、ドイツ民族のみによる「小ドイツ主義」によって成りました。ガリバルディによる「元祖」赤シャツ隊によるイタリア統一は1860年。みなさん五十歩百歩です。

ヨーロッパだけではなく、メキシコも1866年にフランスのナポレオン3世に押し付けられたマクシミリアン皇帝を追い出して共和制を発足させています。アメリカにいたっては、1850年代にはあれだけ黒船で脅しておきながら、1861年に南北戦争が勃発。会津藩を初めとした勢力が明治新政府を認めなかったように、「祖国」ヴァージニアに弓は引けない、とのたまったリー将軍が、合衆国連邦政府軍を退き、南部同盟軍の司令官に就任。4年間にわたり、広い北米大陸を舞台に激戦を繰り広げたのです。なまじ科学技術が発展していたおかげでこちらの内戦は100万人に近い兵士が犠牲となる大惨事になりましたが(*2)、この悲惨な戦争を通じて豪腕リンカーン大統領のもと、アメリカはジェファーソン以来の牧歌的各州の寄合所帯から、多民族国家ながら強力な連邦政府を中央に据えた、「帝国」と成ったのです。

大英帝国にしても、この世界的風潮をさけて通ることはできませんでした。1857年から2年間に及んだインドにおけるセポイの反乱の後始末で、ヴィクトリア女王がインド皇帝として戴冠したことに象徴されるように、それまでは東インド会社のような利権集団が現地の指導層とつるんで、原住民を搾取する、といった帝国運営から、ロンドン発の中央集権的帝国運営へと変容していったのです。

イギリスの場合はアメリカ以上に多民族問題を抱えていましたので、帝国の思想的存在意義をもとめていろいろ四苦八苦しました。まずは手っ取り早く、かつてのスペイン・カソリック帝国という先輩にならって、キリスト教という宗教を原住民たちに押し付けようとしましたが(*3)、アフリカの奥地のような場所はいざ知らず、釈迦やイスラム、ヒンズーの神様仏様がおわしますインドでは、「セポイの乱」のきっかけにみられたように、原住民たちの反感を買うだけの結果と成りました。そこで、イギリス式自由民主主義の信条を流布させようということになり、白人植民地(カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど)では自治政府(Dominionドミニオンという)を認めたりましたが、アイルランドにいたってつまずきまくったことは皆さんご存知。かたやインドのガンディー君は、帝国の恩恵を被り、故郷インドを後にしてロンドンで弁護士資格を取り、南アフリカで開業。しかし帝国指導者層が吹き込んだ、帝国統治下における自由の理想と、悲惨なまでの人種差別の現実のギャップに目覚めてしまい、「マハトマ」への道を歩き始めたわけです。このように、世界の政治思想と根元でつながっていた世論風潮が、大英帝国の滅亡への遠因となっていることがご理解いただけると思います。(*4)

話が日本からかなりずれましたが、こうして観てくると、明治以降の日本のひとつの頂点、「坂の上の雲」であった日露戦争における勝利も、独立中央集権民族国家として、当時の世界における最先端の政治形態に脱皮することに予想以上に成功し、身分/門閥にとらわれない優秀な人材を適材適所に配した日本が、前時代的農奴制の過去を引きずったまま、社会の不条理を抱えたままの老多民族帝国ロシアに勝利した歴史的事件ととらえることができます。

この日露戦争のニュース写真を、留学先の仙台医学専門学校で観た中国人留学生こそは、周樹人クンこと、後の魯迅です。彼は、ロシアのスパイとして捕まり、銃殺刑に処せられようとしている中国人をみて、快哉を叫ぶ同胞中国人の姿を見て、中国に必要なのは医術のような科学知識ではなく、国民意識の改革なのだと気づくのです。(*5)

長々と、あちらコチラに話を向けてしまいましたが、龍馬の、

「わしは土佐だけの事を考えるゆうがは出来んのです。」

という叫びの世界史的意義と重要性をご理解いただけたでしょうか。

ではなぜ、明治維新はもう起らないのか。賢明な読者にはもう自明のことと思われますが、それは世界において「民族国家」というものが過去のものになりつつあるからです。柳の下にドジョウは二匹いません。ましてやもう最初のドジョウを捕まえてから150年もたっているのですから、しょうがないですね。

別に私は、だから永住者の参政権を認めよ、などというつもりはありません。しかし、「日本」という殻にとじこもり、

「私の雇用を守ってくれ、賃金を保証してくれ...」

と、主張される方々は、例えばアジアの発展途上国に住む、貧しいけれどなんとかして娘を学校に行かせてやりたいと願っているお父さんの希望を犠牲にしてまで、なぜあなたの雇用と賃金が守られなければならないのか、自らの労働の価値の正当性を日本という枠組みを超えて立証しなければならない時代になったのだ、ということを頭の隅にすこし置いておくのがいいかもしれません。

ようするに、

「わしはもう『日本』だけの事を考えるゆうがは出来んのです。」

という時代なのです。私個人としては、

「今一度『日本人』を洗濯いたし申候」

なのではないかなと、漠然とながら思っています。

こうした緊迫した時代に、無邪気なのか、ただのバカなのか「龍馬をやりたい」とか、「立ちあがれ日本」などと叫ぶ政治家は、時代の動きの最後尾を後ろ向きで付いてきている人たちなのではないでしょうか。

*1 こちらの文庫本に収録されています。
乱世の英雄 (文春文庫)乱世の英雄 (文春文庫)
著者:海音寺 潮五郎
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*2 「一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っていることであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道―わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術―について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」岡倉天心「茶の本」

*3 我々日本人も、この19世紀キリスト教徒たちの単細胞を笑えません。台北に台湾神宮を、パラオに南洋神社を創建して喜んでいたのですから。

*4 同じ時期に、「英文学」が学問仕立てとなり、大英帝国の価値観と「ライフスタイル」の支柱となります。インドでは、英国国教会は根付かず、イギリス式議会製民主主義も未だに前途多難ですが、英文学は百花繚乱。「あの」サルマン・ラシュディ初め、最近のイギリスの文学賞ではインド系作家が常連です。おぉ、偉大なるかなシェークスピア...インドや植民地を題材とした英文学ではキップリング、EMフォスターなどが有名です。またEMフォスターの原作を映画化し、「モーリス」「眺めのいい部屋」「ハワーズ・エンド」などの80~90年代のヒット映画で知られるマーチャント・アイヴォリー映画も、プロデューサーと脚本家はインド人です。

*5 
阿Q正伝・藤野先生 (講談社文芸文庫)阿Q正伝・藤野先生 (講談社文芸文庫)
著者:魯迅
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