日本経済の失われた20年と民主党政権への失望 ― 藤沢数希

藤沢 数希

1990年に土地バブルが崩壊し、その後、日本経済は長期停滞に陥った。この長期景気低迷は「失われた10年(the lost decade)」と呼ばれて久しいが、いつのまにか「失われた20年」になってしまった。この間、世界経済は成長を続け、日本経済はまさにひとり負けだった。

下図は米S&P社が算出する国別の配当込み株価指数である。配当まで含めてパフォーマンスを計算することにより、各市場の株式投資のトータル・リターンを表している。各国のパフォーマンスを比べるため、全てUSドルに換算してある。


S&P社配当込み指数の推移、米国、日本、英国、香港
出所:米S&P社のウェブ・サイトより筆者作成

このグラフを見れば、世界の中で日本だけが取り残されてしまった構図が浮き彫りになる。一部の民主党議員が「行き過ぎた株主至上主義を正す」と息巻いていたが、この20年間、一貫して株主を軽んじ、常に株主に損失を押し付けてきたのが日本の会社なのである。民主党議員はいったいどこの国の話をしているのだろうかと疑問に思った人も多かっただろう。

また、2008年の米国のサブプライム危機をきっかけに引き起こされた世界同時金融危機は「冷戦終焉後アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義の破綻だ」と鳩山首相は総括した。しかし、株価を見てみると破綻したはずの英米や香港は順調に回復してきているようである。株価は金融危機前の水準に戻りつつある。むしろより低迷がはっきりしてきたのは、構造改革が進まず政府の肥大化が進む日本経済の方だ。

IMF、名目GDPの推移、米国、日本、中国
出所:IMFのウェブ・サイトより筆者作成

各国のGDPを見てみると、そのことはいっそうはっきりする。日本のGDPだけが成長していない。鳩山首相にいわせれば、崩壊したはずの金融資本主義のアメリカだが、金融危機で1、2%ほどGDPで見た経済は縮小してしまったが、高度に洗練された資本市場を武器に、日本経済が低迷した20年間の間に築き上げてきた富のほとんどを守り通したのだ。百年に一度といわれた世界同時金融危機は、むしろ資本主義、市場主義経済の頑強さを証明したのである。

何が経済を成長させ、人々の暮らしを豊かにするのだろうか。企業活動である。民間企業の創意工夫により、生産性が向上し、人々はより多くのモノやサービスを享受することができる。そして、そのためには自由に市場の中で競争し、より優れた企業が生き残っていかなければいけない。また新しいモノやサービスを作り出す企業に資金を供給する、洗練された金融市場も不可欠だ。これは自明なことではないか。

ところが日本国政府が行ってきたことはこれとは全く逆のことだ。国が国債を発行して資金を調達して公共事業などに投じる。このような安易な政府の介入により、民間企業は世界の中で消費者を向いて企業努力をするのをやめてしまい、政府の役人や政治家の方を向いて仕事をするようになってしまった。レントシーキングが始まったのだ。また政治家と癒着する一部の業界は巧妙に新規参入者の排除を行った。ライブドア事件も新興市場に水を差した。こうしてベンチャー・スピリットも日本から失われていった。

しがらみのない民主党が、このような政・官・財の癒着を断ち切り、日本の閉塞感を打ち破ってくれると願い、前回の衆院選で民主党に投票した有権者も多かったのではないだろうか。しかし、民主党政権の政治は想像以上にひどいものだった。

現代の企業活動は専門化されますます複雑になっている。だからこそ自由市場経済のなかで、国民一人一人が自らの得意な仕事をがんばり、企業も自社の得意分野に特化し、国内外の他の会社と協力しながら業務を進めるのである。自由に競争が行われる市場の中で、経済全体の効率が上がり人々は豊かになっていく。現代の世界経済はこのような分業体制に支えられているのだ。

ところが民主党政権は、民営化して一民間企業として歩き出そうとしていた日本郵政を、民間の銀行から出迎えた経営者の首を官僚にすげ替え、さらに株式上場の計画も廃止し、国有化することにしてしまった。国が民に代わって巨大金融機関を経営しようというのである。それだけではない。政治との癒着で経営が行き詰った日本最大の航空会社であるJALまで多額の公的資金の注入により実質的に国有化してしまった。政府は航空会社の経営にまで乗り出したのである。また、郵貯の貯金を使って、国家ファンドを作ろうという話まである。今度は国がファンドの運用までやろうというのか。民でできること、民でやるべきことを取り上げて、国が運営するというのが、民主党のいう政治主導なのだろうか。民間企業と異なり、こういった官業が失敗したときに責任を取る人は誰もいない。また、失敗したときにそのコストを被るのも納税者である国民なのである。民業圧迫という一見わかりにくいが多大なコストも我々日本国民は支払わされるのだ。

金融機関の経営にしろ、航空会社の経営にしろ、何十年という経験を持つ最優秀な人材でも非常に難しいものである。それを政治家や役人がいったいどうしようというのだ。筆者は、このような民主党政権による政府の肥大化に、この政権の奢りと愚かさを見るのである。日本経済はあと何十年失われればいいのだろうか。

参考資料
株主至上主義との決別、藤末健三、TechOn
「私の政治哲学」鳩山由紀夫
株価が予言する民主党政権の未来、アゴラ
政府の規制や補助金はなぜ醜悪なのか? ―レントシーキングの罠―、金融日記
ケインズの乗数理論(Theory of Multiplier)がどうしようもなくしょぼいことのサルでもわかる説明、金融日記

コメント

  1. 民の失敗は,投資家の株券が紙クズになったり企業が倒産したり経営者が夜逃げしたりしてチャラになるが,公の失敗は国債という未来の負債として溜まり続け,ハイパーインフレとか,革命とか戦争でチャラにするしかなくなるんだろうな。今度の一連の「国営化」の流れは,日本がその臨界点に一歩近づいたような感じがして恐ろしい。もう引き返せないのだろうか。