ネット生保立ち上げ秘話(3) 童顔の投資家 - 岩瀬大輔 

2010年04月27日 14:44

童顔の投資家

投資委員会から半年前に遡る、2006年1月7日の夕方。溜池山王の交差点にある、古いオフィスビルの一室。ガランとした会議室の中に、夕日がさしかかっている。

待ち合わせの時間から、四十分が過ぎていた。そろそろ、帰ろうかな。そう思い始めたとき、その投資家は、ドタバタと駆け込んできた。

「いやぁー、ごめんなさい、本当にすみません。前の打ち合わせからどうしても抜けられなくて。はじめまして、谷家です。あれ?名刺がない。あれ、あれ?」


「いかにも」という感じの外資系金融マンが悠然と入ってくる姿をイメージしていた僕は、すっかり拍子抜けした。身長は160センチ程度の、小柄な体型。黒いリュックを肩にかけ、スーツは少し大きくてサイズが合っていないように見えた。少し伸びすぎた黒い髪も、寝癖が残っている。あえて金融マンっぽいところがあれば、手に新聞を握りしめ、株価のページが開かれていたことか。

「はじめまして、岩瀬です。今日はお時間を頂き、ありがとうございます」

「岩瀬君のブログは前から読んでいて、ずっと会いたいと思ってました。だから、今日、ようやく会うことができて、すごく嬉しいんです」

本当に嬉しそうな顔は、30代と言っても分からない、童顔だった。目は、爛々と輝いている。この出逢いがきっかけとなり、後に、新しい生命保険会社が生まれる。そんなことは、このときは誰も予想できなかった。

だが、今から振り返ると、僕はこのときすでに、谷家さんの好奇心溢れる目と、人懐っこい人柄に、一目ぼれしていたのかもしれない。そんな風に思う。

アメリカより日本で勝負したい
 
谷家さんが部屋に入ってくる少し前まで、その頃いつも持ち歩いていたA6サイズの黒いモレスキンの手帖を開き、びっしり書き込まれた手書きのメモを読み返していた。そこには、それまで数カ月の間に会った、米国の投資ファンド関係者との面談内容が書かれていた。

僕が留学していた2006年当時の米国は、サブプライム問題がきっかけとなったその後の金融危機が表面化する直前であり、金融バブル、投資ファンドバブルが最盛期に達していた。

そして、名門ハーバードビジネススクール(経営大学院)の学生にあいだで、もっとも持て囃された就職先が、投資ファンドだった。選ばれし者たちには、入社一年目から、30万ドルから40万ドル近い報酬が約束された。名声と金銭とを求める野心溢れる学生たちには、一度は腕試しをしたいと思う格好の職場だった。

僕はというと、リップルウッドという投資ファンドで「企業再生」なる仕事に携わった後、28歳のときに留学した。漠然とではあるが、卒業後は資本主義の「メジャーリーグ」である米国で自分の腕を試したいと思っていた。留学中の夏休みはウォール街の名門ヘッジファンドでインターンとして働いてみた。しかし、何かが違う、と感じて、その会社には就職しなかった。

卒業を半年後に控えたこの冬休みも、本当に何をやりたいのか、分かっていなかった。とりあえずは日本に帰国し、金融やベンチャーに携わる先輩たちを訪ね、キャリアに対するアドバイスをもらいながら、情報収集を続けていた。

帰国を数日前に控えた自分が出した結論は、いったん前職のリップルウッドに戻る、というものだった。慣れた職場で再び力を蓄え、貯金をし、日本でビジネスをやる基盤を整えながら、どこかのタイミングで起業する、という風に考えていた。

この日の一日前、かつて朝から晩まで、苦難を共にしたリップルウッドの上司のところに報告に行っていた。

「世界を舞台に、飛躍することを祈る」

僕を快く海外へ送り出してくれた彼は、帰還の報告を心の底から喜んだ。そんなさなか、また別の同僚から紹介を受けたのが、谷家さんだった。もっとも、このときは、もう卒業後の進路は確定していたから、谷家さんと一緒に仕事をする、ということは考えていなかった。あくまでも、表敬訪問のつもりでいた。

それにしても、この会社、地味だなぁ。自分が待たされている会議室を見渡しながら、そう思った。

外資系投資銀行の出身者が作った、一千億円近い資産を運用する投資ファンドが、赤坂に構えるオフィス。自分は無意識のうちに、半年前に夏を過ごした、ニューヨークのオフィスを無意識のうちに思い出していた。

40階の高層からは、森のように生い茂るセントラル・パークを見下ろすことができた。オフィス内はモダンアートで飾りつくされており、家具も高級。ワンフロアをたかが60名程度の社員で占有し、オフィスの中にフィットネスジムとシャワーがあった。

しかし、谷家さんのオフィスはまったく派手さはなかった。どこの会社にもありそうな、普通の事務用テーブルとイス。ホワイトボードは完全には消されておらず、前の会議の内容がうっすらと読みとれそうだ。使われていないLANケーブルが何本も放り出されている。

自分がいる会議室を見渡すと、贅沢さは一切なく、質素で謙虚な感じがした。この浮足立ってない雰囲気、嫌いじゃない。そう、直感で感じた。

プロポーズ

「これまで100社近いベンチャーに出資してきて、分かったことは、『ベンチャーの成否は人で決まる』ということ。人はいまいちだけど、ビジネスモデルや技術が面白いと思って出資した会社は、全てうまくいかなかった。他方で、ビジネスプランはいまいちだけど人が凄くいいと思った会社は、なんとか軌道修正して、うまくいった。だから、僕はもう、ベンチャー企業の事業計画は見ないことにした。すべては人につきる。」

谷家さんは、自身のベンチャー投資の経験から、そのように語りかけてきた。

「岩瀬くんのブログはずっと読んできたし、前職の人たちからも働きっぷりは聞いている。君のように志が高く、ガッツがある人間がベンチャーをやれば、絶対に成功する。君がベンチャーをやるんだったら、僕は今すぐにでも投資する。考えているビジネスプランがあるんだったら、それでいい。もしないんだったら、僕の方で考えているアイデアがいくつかあるから、それを一緒にやろう。僕は君が才能を伸ばし、成長し、成功するのを応援したい」

凄腕投資家に初対面でこのように言われて、悪い気がするはずはなかった。でも、外資系で転職を重ねて来た僕は、少し生意気に言い返す術は覚えていた。

「お誘いは光栄です。ただ、いま複数の投資ファンドから、条件のいいオファーをもらっているし、前職からもぜひ戻ってきてくれと言われています。戻ればヴァイス・プレジデントの肩書きがもらえるので、一旦は戻ろうかと思っています」
 
「投資ファンドやらヴァイス・プレジデントやら、ハーバードにまで留学して、まだそんなことにこだわってるのかい?

ブランドだとか世間体だとか、そんなことで進路を決めるのはもうヤメなよ。

岩瀬くん。人生は、一回きりしかない。せっかく君というユニークな個性とエッジを持った人間が生きているんだから、自分にしかできない、他の誰にもできないキャリアを、追い求めないか?」

そのとき、何か僕の中ですっと重荷となっていたものが落ちていった気がした。

確かに、いつの間にかどこかで、「カッコいい」とか「高給」とかを、意識して進路を考えていた。でも、谷家さんの言う通りだ。一回きりしかない人生。自分にしかできない生き方に、挑戦できたら、どれだけ素敵なことだろう。

そのとき、HBSで読まされた、一つの詩を思い出していた。

“So tell me. What is your plan to do, with your one and wild precious life?”
(さぁ、教えてください。貴方は一度きりしかない、ワイルドでかけがえのない人生を、どのように過ごすつもりですか?)

一度しかない、ワイルドでかけがえのない人生。

はじめて出会った、童顔の投資家とともに、新しいキャリアを歩んでみよう。そんなことを胸に決めて、雪が降り積もる冬のボストンに、帰国した。
(つづく)

岩瀬 大輔
ライフネット生命保険代表取締役社長

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