チェンジがポジティブに受け取らるようになってあまり時間が経っていない。チェンジという言葉を選挙戦でキャッチフレーズとして愛用したオバマ米大統領の登場でチェンジも市民権を獲得した、と受け取ることができるかもしれない。
ここでいうチェンジは単なる物質や現象の変化ではなく、生き方、世界観の変化だ。宗教用語では回心、一般的には転身を意味する。
チェンジそのものは昔からあった。大将に仕えてきた武士が他の大将のもとに走れば、逆賊、裏切り者と罵倒された。共産主義に惹かれて共産党に入党したが、その実態に失望して脱党した場合、昔の仲間からは転向者として冷笑される。
宗教の世界でもチェンジは久しくネガティブにみられてきた。イスラム教からキリスト教に改宗し、それが発覚すれば死刑に処される。初期キリスト教会ではキリスト教徒を迫害してきたユダヤ教徒がダマスカスで復活のイエスに出会ってキリスト教に改宗した。名前もサウロからパウロに変わった。キリスト教会では聖人だが、ユダヤ教徒からみれば裏切り者だ。
しかし、ここにきてチェンジする人々が増えてきた。改宗者の増加をいっているのではない。昨日までの生き方、考え方、大きく言えばこれまでの人生観、世界観をふり捨て、他の人生観、世界観に走る人々が増えてきているのだ。
当コラムで「セルビア人政治家の“華麗な飛躍”」を書いたが、極右政党「セルビア急進党」に所属してきた政治家が欧州統合を目指す政党「セルビア進歩党」党首に豹変した。国民は彼を転向者と批判するどころか、首相に持ちあげようとしている。
ハンガリーでも極右派政党ヨッビク(Jobbik)の副党首だった人物が敬虔なユダヤ教徒になったのだ。ヨビック党は外国人排斥、ロマ人、ユダヤ人排斥を標榜するネオナチ政党だ。その副党首を務めてきた人物が自分の家系がユダヤ系だったことが判明し、党からも除名された。本人はといえば、ユダヤ教徒になったのだ。反ユダヤ主義を標榜してきた政治家がその数年後、ユダヤ教に回心したのだ。独週刊誌シュピーゲル最新号(3月31日号)はその政治家の激変ぶりを詳細に紹介している。“パウロの回心”の現代版だ。
メルケル独政権下でナンバー2のガブリエル副首相は与党社会民主党党首であり、政治家として長いキャリアを誇る、その副首相が最近、「家族とともに過ごす時間をもっと増やしたい」と表明したことで話題となった。奥さんと喧嘩したわけではない。副首相自身が突然、その仕事観、人生観を変え、仕事中心のワーカホリックから家庭重視の家庭人に変わったのだ。
人がチェンジする背後には何らの決定的な出来事、経験があったはずだが、残念ながら、外の人間にはそれが見えないことが多い。だから、その回心劇は唐突のようにすら感じることがある。人々はある日突然、「昨日の自分」を脱ぎ捨て「明日の自分」を見つけていく。チェンジも時代に呼応してスピード化してきているように感じるのだ。
新しいブドウ酒は新しい皮袋に入れよ(「マルコによる福音書」2章21~22節)、とイエスは弟子たちに語った。今までのの皮袋はほぐれやすく、新しい皮袋が至急必要となってきたのかもしれない。
エネルギー問題、環境保護問題、そして現在の政治・社会・経済システムはいずれも大きな転換期に直面している。換言すれば、行き詰っている。その時代に生きる私たち一人一人には、「古い自分のままでは生きていけない」といった漠然とした焦りが深まってきている。今後、チェンジする人が増えてくるのではないか。
ただし、現代のチェンジは、昔のように一定のイデオロギーや宗教の教義に基づくというより、一人一人がその心の渇望に対応しようとして生じてくる現象ゆえに、自然と多様性を帯びてくるのではないか。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年4月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。