中世は人々が「個」に目覚め、新たな共同社会を形成して行った過程と考える。
中世初期の頃は、強いものの自由であり一般人にとっての自由とは、生命をも保証されないという、かなりの制約を受けるものであった。
自由が保証されない社会は人間の生存が脅かされる社会でもあり、人々はその不安から逃れようと生存のために田畑(土地)を確保することを意識するようになった。
言わば土地を所有することが自由を確保することに繋がり、そのため「所有権」という権利を意識するようになった。当時はまだ所有権という概念は未成熟であったが、次第にその成熟をみるとともに、個人の土地所有が進むようになった。
また、人々に自由の意識が敷衍されていくとともに貴族社会との差別を強く意識するようにもなり、また強く平等を求めるようになっていった。中世の初期は公権力がそれほど強くなく、人々の土地所有を保証する力は弱かった。土地の所有が不安定な状態であれば「個」の自由も確保されないこととなり、そのため「自由」を担保するため自己所有地の拡大を求めると同時に、個人個人がそれぞれに権力を求めるようになっていった。
しかして、人々が自由と平等を希求した結果、諸処に権力を持った人々が群雄割拠し、その内、戦国大名と言われる形が出現するようになってきた。言わば戦国時代と言われる、過去のシステムを打ち破る時代が到来した。
人々は自由が保証され平等で平和に生きていくために、自由そのものとは一面矛盾することであるが、確たる公権力に裏打ちされた共同社会を求めるようになった。
そこに信長という強烈なリーダーが現れ、それを引き継いだ秀吉により当時の共同社会(国)の統一が確立された。その後、平和のために一定の制限を甘受した「個」の自由を確保しながら、日本特有の「和」の精神を基盤とした平和な共同社会(江戸時代)が築き上げられて行った。
この時代、飛躍的に人口の増加をきたしているが、これは平和であることの証左であると言われている。中世期は、日本的な「個」と「共同社会」の確立が進化した時代だったと言えるのではないだろうか。
一方、ヨーロッパ中世においても、ほぼ時期を同じゅうして激しく個の確立が進展していった時代と考えられる。
日本と違い、民族間、国家間、宗教の違いにおいて激しい対立がくり返された。そのため、理性を働かせて共同体精神を培いながら、個の欲求(自由)を確立していった。したがって、日本の「和」を中心にした「個」ではなく、「個」を中心に据えた共同社会が確立されていった。それとともにヨーロッパでは最先端の科学と社会制度が進展していくこととなった。
その後日本においては、徳川時代の平和でやすらかな時代がつづいた後、明治維新を迎えてヨーロッパの科学と制度を取り入れることとなった。
しかし精神面においては、長期に亘って「和」に基づいた平和な共同社会を築いて来たため、個人主義的ヨーロッパ社会と同化することを良とせず、「和」の精神は現代へと引き継がれて行くこととなった。
ヨーロッパ的共同精神社会の是非はともかく、今後ますますグローバル化が進んでいくと思われる世界において、日本人に根付いた「自由・平等・平和」の考え方について、今一度思考しておくこともあながち無益なことではないようにと思う。
帆保 洋一
IT講師 & キャリアコンサルタント
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