「早く結婚しろ」「産めないのか」など、不妊に悩む人や女性の人格を傷つける不快で品性のかけらもない野次を女性議員に浴びせた都議会の映像を見ると、野次の直後、議場が笑いに包まれた様子も映りだされている。
野次を浴びた塩村都議は、地方自治法に基づき発言者を特定するよう要求したが、議長側はこれを受理せず、首都の議会に自浄作用がない事を証明した形となったが、これは誠に恥ずかしい限りであり、下劣な野次と共に、都議会の後進性を物語る信じがたい光景である。
今では女性の権利が強い欧米でも「女性は男性を支えていればよい」と言う婦人蔑視思想が長く続き、婦人参政権運動の盛んな歴史を持つ米国でさえ、婦人参政権が認められるには米国憲法発布以来132年を要した程であるが、さすが現代ではこのような野次が飛び出すとは「想定外」になっている。
日本でも婦人参政権運動はあったが、日本女性の国政参加が認められた直接の契機は、残念ながら日本人自身の手ではなくマッカーサーによる「婦人への参政権賦与」指令であった。
その結果、1946年には日本初の女性議員が誕生したが、爾来68年を経過した現在でも、日本の選良の間に「女性は男性を支えていればよい」と言う時代錯誤の意識が残っているとしたら、誠に恥ずかしい。
野次を飛ばすにも刑務所行きの決意が必要な中国や北朝鮮のような独裁国家から、言論より「乱闘」が通常の韓国、台湾、ウクライナなどの中進国、議長が度々「静粛に」と叫ばなければならない英国、豪州、カナダなどの英連邦諸国など議会模様はお国柄により様々である。
不思議な事に、行過ぎた言論の自由の典型に挙げられる米国では、議会の野次は殆どないが、野次であろうが正規発言であろうが、人間の尊厳や人格を傷つける発言が許されないのは他の先進国戸同様で、カリフォルニア州で開かれた民主党の集会で、同州の女性司法長官(黒人とインド人の混血)を「美人」と褒めたことが、女性を容姿で判断し、能力を正当に評価していない差別発言だと批判を浴び、オバマ大統領は司法長官本人に電話で謝罪した例もある位だ。
問題になるのは議会の野次そのものと言うより、その内容にある事は言うまでもなく、日本の議会での一連の「セクハラ野次」が「日本は女性蔑視の強い国」というイメージを海外に広めた事は間違いない。
何事でも日本非難に結び付けたい韓国は、今回の事件を利用して、このような日本の指導者階級の“女性蔑視”が、「慰安婦」問題の源泉であると「告げ口外交」の素材としても利用している。
しかし、問題は男性議員の問題には留まらない。
「早く結婚しろ」「産めないのか」などの野次を浴びせられた塩村文夏都議は、一瞬よどんだものの涙声になって質問の朗読を続け、席に戻ってハンカチで目を拭う姿が放映された。
一方、衆院総務委員会で質問中「早く結婚して子どもを産まないと駄目だぞ」と野次られた上西小百合衆院議員に至っては、ワッハッハと笑いながら「頑張ります」と激励に応え、そのまま質問の読み上げを続けていた。
下劣な野次が問題なのは言うまでもないが、この野次に爆笑する議会も、笑いや涙で応える女性議員も情けない。
2007年の第一次安倍内閣で担当大臣をおき少子化対策に積極的に取り組む姿勢を見せていた時に飛び出した柳沢厚労相の「女性は産む機械」発言は、「人口統計学では、女性は15歳から50歳までが出産をしてくださる年齢だ。2030年に30歳になる人を考えると、今、7、8歳だ。もう、生まれてしまっている。産む機械と言ってはなんだが、装置が、もう数が決まってしまった。機械と言っては、本当に申し訳ないんだけども。機械って言ってごめんなさい。その産む役目の人が、ひとり頭(何人産むということ)で頑張ってもらうしかない。」と言う主旨であったが、「女が子供を生めば少子化問題は解決する」と単純に考え、少子化が結婚とか子育てとか「社会」「経済」「文化」などが絡み合う複雑な問題である事を理解していないと言う意味で失言とされ、柳沢厚労相は辞職に追い込まれたが、今回の野次はこの発言とは比較にならない低劣なもので、当然議員辞職に価する。
然し、女性を冒涜するこのような野次を涙で受け止めたり、笑って受け流すばかりか「がんばります」と答えて、委員長から不規則発言として注意を受ける女性議員が居るようでは、日本の女性の地位の向上は百年川清を待つに等しい。
今回の一連の野次は議員個人への攻撃ではなく、女性蔑視である事は明白で、この野次に毅然と抗議するのがあるべき女性議員の姿である。
石破幹事長の「国民・有権者に選ばれたという自覚を持って、他の範たるよう自己を律すことを願う」と言う自民党議員への訴えは、女性議員の「倫理」と「責任」の向上を求めた訴えでもある。
特別会計の剰余金や積立金の俗称として「霞が関埋蔵金」と言う言葉が流行った事があるが、女性が「日本の埋蔵金脈」である事は海外との統計を比較するまでもなく、明明白白たる事実である。
安倍首相が「女性の活躍推進」を成長戦略に掲げ、舛添都知事が「家庭と両立しながら社会で活躍したい女性の力を最大限引き出す」と訴えても、当の女性が自分の価値に覚醒しない限り、所詮実現は難しい。
今の日本では、「人間関係を維持する為にへらへら笑って聞き流したり」「女性として反論しにくいとして泣き寝入り」する処世術は、一般女性には必要でも、選良女性議員が使えばレッドカード物の違反である。
多くの問題に囲まれた現在の日本を想うと、子を守る母のように強く、右顧左眄しない独立心の強い女性議員が増える事を望んでやまない。
2014年7月8日
北村 隆司