「地方創生」は霞ヶ関に予算と仕事とを手放せさせることから

大西 宏

この週末は、石破地方創生担当相が積極的にテレビに出演されていらっしゃいました。あいかわらず政局好きなメディアとしては石破さんの去就に注目するのは自然なことですが、石破大臣からも、まだ地方再生のビジョンや哲学など、あまり内容のある話はなかったように感じます。


IMG_9272地方活性化は、均衡ある国土の発展の名のもとに歴代内閣が取り組んできたことですが、皮肉なことに、現実は東京への一極集中が進んでしまいました。地方の小さな都市も産業の栄枯盛衰の波を受けたこともあって、かつては中心地であった駅前ロータリーには人影もほとんどなく、商店街もシャッターの閉まった店が増え、ビルは空き室が増えるばかりです。

地方活性化では、田中角栄元首相の「列島改造」や竹下登元首相の「ふるさと創世事業」が思い起こされますが、結局はバラマキ政策でした。確かに田中角栄元首相は地方のインフラ整備を進めたものの、功罪相半ばしています。竹下登元首相の「ふるさと創世事業」では地方に行くとその失敗の遺跡ともいえる奇異な建物が残っています。

そういえば、大平正芳元首相の「田園都市国家構想」というのもありましたが、具体的な政策は記憶にありません。

地方活性化政策の最大の問題は、中央から地方に交付金が流れるという仕組みを強化し、逆に霞ヶ関の権限拡大を進めてしまったこと、また結果として地方に公共事業、補助金依存の体質をつくってしまったことに尽きるのではないでしょうか。

しかも、地方活性化の名のもとに、港や空港などのインフラを分散させてしまい、ハブ港もハブ空港で、アジア各国にも遅れをとる結果になってしまいました。国家としてやるべきことを疎かにしてしまったのです。

地方と言っても、農村や過疎地、また地方の中核都市、さらに地方の大都市圏、さらにもっと経済規模の大きな大都市圏では課題が大きく変わります。

もっとも手がつけやすいのは、農水産業を主としている地方で、こちらは既に、加工、販売チャネルづくり、さらにブランド化など、いわゆる六次産業化の流れが生まれてきており、成功事例も生まれてきています。さらに輸出にまで視野が向けられてきています。また豊かな自然や地域文化を生かした観光産業の近代化も起こってきています。

社会主義的な農水産業政策からさらに転換をはかり、生産者や地域がより自律的に産業化を進めていくこと、またビジット・ジャパンの政策が地方活性化の後押しをします。

ブロゴスで木下斉さんの「消滅可能性都市のウソ。消えるのは、地方ではなく「地方自治体」である」という視点も共感できるところがあります。
消滅可能性都市のウソ。消えるのは、地方ではなく「地方自治体」である。

問題は大都市圏のほうでしょう。石破大臣は、鳥取の過疎化してきた農村地域に関しては出身地ということもあって、何が問題か、どのようなニーズがあるかも熟知されていますが、東京以外の大都市圏をどう再構築していくかとなると、心もとなさを感じていまいます。その点では、どのようなブレーンを置くのかに注目したいところです。

今や、国際的には都市経済圏間の激しい競争が起こっています。なぜなら製造力が競争力の源泉となった工業化の時代が終わり、知識や知恵で競い合う情報化社会、経済のサービス化の時代へと変わってきたからです。

かつては工場の集積度が都市の力でした。そのために地方工業団地を整備し、工場の誘致をはかってきたのですが、その工業団地も今では閑古鳥が鳴いています。製造拠点は、海外市場に近い現地生産へと分散し、また人件費やインフラコストの安い海外に移っていきました。

現代の都市力は、人材や情報の集積度で決まってきます。東京への一極化は、東京が人材や情報の集積地となり、またそれがさらに人材と情報を集めるという循環構造をもったからです。しかし地方の大都市圏はその流れに遅れました。その凋落の典型が大阪なのかもしれません。

大都市圏の経済力の再構築なくして、日本の経済の活性化もありません。長期を見れば、東京は利便性では世界にも類を見ない都市に成長しましたが、人材が中心の時代となると、暮らしやすさも重要になってきます。東京は、生活コストが高すぎ、バランスが悪くなってきています。
IT産業など、東京に本社や開発拠点を置く必要性は全くなく、むしろ地方に移転したほうが働く人びとにとてはより豊かな生活を実現することができますが、人材や情報が集積しているために、やはり東京に偏ってしまっています。

石破大臣は、地方創生のもっともハードルの高い、東京以外の大都市圏の活性化をどうはかるのでしょうか。ひとつの鍵は大阪都構想のバックアップに邁進されることだと思います。大阪で成功すれば、他の大都市圏にも広がってくるはずです。

いずれにしても「均衡」をめざした「一律」、「平等」の社会主義的な試みは必ず失敗します。地方政策は、その失敗の歴史でした。道州制という発想もいかがなものでしょうか。地方の都市の再生は、広く海外からも人材や情報が集まり集積する都市の魅力や競争力を持つことであり、道州制として広域を束ねることではありません。

霞ヶ関が中心のお上の議論ではなく、どうすればその中核になる大都市圏の成長エンジンに着火できるのかの議論から、地方を主体に起こしていく動きをぜひ進めてもらいたいものです。
いずれにしても、地方の凋落は、霞ヶ関の途上国型の中央集権体制がもたらした弊害です。「地方創生」は霞ヶ関から権限を地方に移し、地方を主役にしたプロジェクトでなければまた不毛な歴史を繰り返してしまいます。石破大臣が、「地方創生」は「地方主権」とワンセットで考えるところにむかえば、もしかすると日本の中興の祖として歴史に名を残せるかもしれません。

また、成長は誰かの援助ではなく、自らが生み出していくしかないのですから。そう考えると、交付金、補助金のバラマキではなく、「地方創出」戦略は地方発の成功しそうな事業への国家的な投資戦略であるべきなのでしょう。