拙著のどこかで書いたか、それともネット上で発信したのか忘れてしまいましたが(執筆者が自著に書いたことを忘れることはよくあるそうです)、失敗を「神対応」でリカバリーし、相手からそれまでより大きな利益を得るケースが多々あります。
よく挙げられるのが、宿泊したホテルで不手際があり、そのリカバリーが見事であったことから客がホテルの常連客になっただけでなく、口コミで評価を高めてくれたという例です。
具体例は忘れましたが、シャワーの不備で日頃から愛用しているシャンプーが駄目になって怒った客を、テキパキと最上級の部屋に変更して同じ銘柄のシャンプーをすぐに買ってきて渡すようなものでしょう。
とかく日本では、不手際があると菓子折り持参で相手方に謝罪に行くことが多いようです。
しかし、私はこういう謝罪方法が一番嫌いです。
たいていはアポなしでやってくるので、仕事等を中断させられます。
欲しくもない菓子折りをもらっても使い途はないし、相手が帰るまで無駄な時間を浪費させられます。
大竹文雄先生の「競争社会の歩き方」(中公新書)には、「謝罪が信頼を取り戻すために有効なのは、それが金銭的・非金銭的コストをともなうものでないとだめだ」と書かれています。
例として、芸能人が謝罪とともにテレビ出演をキャンセルして自分の収入を減らして、謝罪が本気であると信頼されること。
ビル・クリントンが自らの政治的評価を下げるという大きなコストを支払うことで、人々に許されたと…などが挙げられています。
さらに、謝罪の本気度を示すシグナルとなるためには相応の費用が必要で、不十分な費用なら出さない方が”マシ”とも書かれています。
この行動経済学の原理を当てはめると、私が「菓子折り持参での謝罪」が嫌いなことは、案外多くの人たちに共通するだと気づきました。
会社の経費で買った菓子折りを持って、自身の業務時間を利用して、相手の都合を配慮せずに訪問するのは、最も信頼されない謝罪方法なのでしょう。
コストらしいコストを払わず、かえって相手に時間コストをかけているのですから。
長銀の高松支店で個人営業の外回りをしていた時、500万円の入金をしてくれた高齢男性に銀行が粗品として使っているお茶を一箱持参した時のことでした(高金利の上、高級な粗品を必ず差し上げていたいい時代でした)。
私が外出中にその老人から「まずいお茶を持って来るとは何事か!」とクレームが入ったと聞き、(クレイマーは放っておけばいいという)周囲の制止を振り切って三越で最上級のお茶を自腹で買って、役席を連れ謝罪に行きました。
その際、役席が「彼が自腹で買ってきたものでして…」と言ったのが効いたのでしょう。
その老人は、その後、毎月500万円の入金をしてくれるようになりました。
私が移動で高松を離れる時は、累計1億近い上客になっていたと記憶しています。
行動経済学の理屈からすれば、安月給の2年目銀行員が(当時の銀行の初任給は本当に安く、他業種最低で横並びでした)、自腹で高級茶を買ったというコスト負担が信頼に結びついたのでしょう。
数十年前、リッツ・カールトン大阪に大切なクライアントの家族を連れて宿泊に行ったときのことでした。どのような不手際か忘れましたが、帰宅後同ホテル宛不手際を指摘する苦情文を送りましたところ、送ってから2,3日で支配人が直筆でサインした謝罪文が送られてきました。
まだ、リッツ・カールトンが大阪にしかなかった時代、多忙を極めていたであろう支配人が貴重な時間を割いて私宛の謝罪文を書き、迅速に送ってきてくれたのです。
それ以来、私たちがリッツ・カールトンの大ファンになったことは言うまでもありません。
支配人は貴重な時間というコストを私のために割いてくれたのですから…。
トラブル解決を部下に丸投げしてしまう、日本企業のサラリーマン社長たちとの大きな違いを実感しました。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年12月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。