「2017年」と「2018年」の違い

明けましておめでとうございます。

2018年が開けた。昨日までは2017年だったはずだ。当たり前のことだが、時には不思議に感じることがある。当方が年を取ったからかもしれないが、「時間」が気になる。

アルベルト・アインシュタインは「絶対時間は存在せず、光速より速いものは存在しない。時間は不変ではなく、動いているものの時間は遅れる」といった相対性理論の世界を展開させた。

「教会の時計」(2017年12月31日、ウィ―ン市16区で撮影)

天才アインシュタインは別にして、当方のような凡人には生きていく上で社会的な時間は不可欠だ。絶対的時間が存在しないと社会の秩序、森羅万象の事象が混乱し、整理が出来なくなるのではないか、といった不安が出てくる。「時間」という概念を駆使して、「今日は何月何日だ。あれから1週間が経過した」と考えれば、思考が混乱せず、一定の場所に定着する。たとえ物理的事実と異なるとしても、われわれはニュートンの絶対的時間に従って生きているように感じる。

欧州では最近、デメンツ(認知症)に悩む人が増えてきたという。脳細胞の記憶を司る部分(海馬)が何らかの原因で正常に機能しなくなる。その結果、思考や記憶を時間の経過と共に整理し、アウトプット、インプットできなくなる症状だ。共に生き、多くの記憶を共有してきた家族にとっても辛い病だ。デメンツは、記憶を司る機能的な欠陥だけではなく、時間が次第に喪失していく世界のように感じる。

宇宙森羅万象が創造される前、「時間」はあったのだろうか。「神は永遠であり瞬間」という聖句が聖書に記述されている。ということは、神は、私たちが考えている「時間」の世界ではなく、永遠と瞬間が同時に共存できる世界に存在していることになる。換言すれば、神は時間とは無縁の存在ということもなるわけだ。

多分、「時間」はこの世界に生きる人間にだけ必要な一種の方便かもしれない。日々の生活の記憶を時間の経過とともに整理する手段ということになる。無限の知と情報を有する神は時間の経過という枠組みがなくても全てを整理し、天上の無数の星座のように、絶妙な秩序を構築している。

ところで、オーストリアを含む欧州諸国は12月25日、クリスマスを迎えたが、ロシア正教会では今月7日がクリスマスだ。正教会の教会カレンダーはユリウス暦を使用しているから、グレゴリオ暦を使っている西洋諸国と約2週間、遅くなる。最近では、欧州諸国と違う日にクリスマスを祝っても活気が出ないということから、ロシアでもグレゴリオ暦を導入しようという動きがみられるが、ロシア正教会が強く反対している。

モスクワ総主教関係者によると、「ロシアで1918年、共産党政権がグレゴリオ暦を導入し、ロシア正教会が無神論政権と妥協したが、多くの信者たちは無神論の共産党が導入したグレゴリオ暦に対し、強い反発があった」という。ちなみに、両暦とも太陽暦だが、閏年のルールが違う。

正教会でもコンスタンディヌーポリ、アレクサンドリア、アンティオキア、ルーマニア、ブルガリア、キプロス、ギリシャ、アルバニア、フィンランドの正教会では、クリスマスはグレゴリオ暦に基づいて12月25日に祝う。ただし、復活祭(イースター)は、ユリウス暦のフィンランド正教会を除く全ての正教会がグレゴリオ暦に従っている、といった具合だ。

「永遠の瞬間」の神の一人息子、イエス・キリストの誕生日がこの地上世界のカレンダーによってその祝日が異なってくるという事実は興味深い。「象の時間」や「ネズミの時間」といった生物学的時間はそれぞれ違うが、(人間社会の)時間もやはり相対的であり、絶対的時間は存在しないわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年1月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。