名護市長選挙では、辺野古反対派の現職が敗れた。市長には基地の許認可権はないので実質的な影響はないが、地元が意思を表明した政治的な意味は小さくない。辺野古移設が20年以上もめている背景には「戦後日本の国体」の矛盾があるからだ。
終戦直後、マッカーサーはアジア戦略の要衝である沖縄をアメリカの領土にしようとしたが、日本政府は反対した。1947年の天皇メッセージで沖縄をアメリカが「長期租借」するという形が決まり、1951年の講和条約では日本の領土のままアメリカが施政権をもった。
これは日米の妥協策だったが、結果的には沖縄はドルの使われる「外国」になり、日本は一種の分断国家になった。沖縄の米軍基地には日本国憲法は適用されなかったので、核兵器が配備され、海外派兵も行われた。それは東アジアの地政学的な条件の中で、朝鮮半島と台湾を結ぶ線上にある沖縄が最適だったからだ。
本来は沖縄には米軍とともに自衛隊を駐留させ、東アジアの防衛には日米が共同責任を負うべきだったが、社会党は自衛隊を沖縄に駐留させることは、憲法違反の「海外派兵」にあたるとして反対した。このため安保条約でも、沖縄だけが特別扱いされた。
沖縄には日米行政協定も適用されなかったので、日本政府は沖縄の基地について発言権がなかった。1960年に改正された安保条約では、日本国内に核兵器を持ち込むときは事前協議が必要とされたが、沖縄はその対象外だった。それが沖縄に米軍基地や核兵器の集中した原因である。
これを是正して施政権を取り戻したのが1972年の沖縄返還だが、このとき「核抜き・本土並み」で返還するという日米共同声明の裏で「有事の核持ち込み」の密約がかわされた。同じ年に日本政府は「集団的自衛権を保持するが行使できない」という奇妙な法制局見解を出した。これは沖縄からベトナムに出撃する米軍と、連帯責任を負いたくなかったからだ。
このように沖縄の米軍基地は、日米同盟という戦後日本の「裏の国体」の要だったが、それは平和憲法という「表の国体」との矛盾を抱えている。もし日本が1951年に憲法を改正して再軍備していたら、韓国や台湾と同じような日米相互防衛条約が結ばれただろうが、安保条約は今も不平等条約のままだ。
日本政府はその矛盾を沖縄に押しつけ、補助金でごまかしてきた。本土と沖縄を分断した責任は政府にあるが、それは憲法の限界ともいえる。罪が重いのは、日米同盟を否定して米軍基地を敵視する、沖縄地元紙に代表される「平和勢力」である。それは無力な万年野党だが、日米関係の正常化を妨害する上では大きな役割を果たした。
日本を守っているのは憲法9条ではなく日米同盟であり、沖縄の米軍基地はそのコアである。米軍の再編と効率化は日本を守るために必要であり、したがって沖縄を守るために必要なのだ。今回の市長選挙が、沖縄の正常化への一歩であってほしい。