「AIがもたらす実存的な脅威」に関して先日ビル・ゲイツさんは次のようなことを言及されたようです---機械は当面われわれのために多くのことをしてくれるはずで、超知的にはならない。うまく管理すれば、これ自体はプラスに評価できる。だが、こうした状況から数十年後には、知能が強力になり、懸念をもたらす。
ある米国の「未来学者」の予測に拠れば、「45年には1台1000ドル(約12万円)程度のパソコンの情報処理能力が全人類の能力を超え(中略)人工知能が人間の意思を介さずに仕事をしたり、自らを超える人工知能を作り出したりする」とのことです。
此の「2045年問題」は取り分け昨今様々なメディアで報じられていますが、人間が作ったコンピューターに人間がある意味支配されて行く、というような構図は昔からSFの中によくあるものです。
嘗てイギリスでは産業革命時、「ラッダイト運動」すなわち機械により職が奪われるとして機械破壊運動が起こったわけですが、当該革命は正に動力を使い人間の筋肉を機械に置き換えることで急激な生産増大を齎しました。
そして「デジタル情報革命」によって記憶力上で言えば、既に人間はコンピューターに凌駕されたと言い得るのが現況です。
18年前チェスの世界王者として初めてコンピューターに敗北したロシアのガルリ・カスパロフさんは昨年11月に来日した際、「チェスの世界ではすでにコンピューターの方が人間より強いことが定説になっている」と述べたようです。
之は記憶力だけでなく、一種の状況判断能力あるいは計算能力等で人間を遥かに超越したが故の結果であり、今後も人間が人間より優秀なものを開発して行く可能性も当然ながらあるでしょう。
だからこそスティーヴン・ホーキングさんやイーロン・マスクさん、そして上記したビル・ゲイツさん等々の著名人が「AIの脅威」に警鐘を鳴らしているのでしょう。
仮に人間以上に知に秀で記憶力・分析力・判断力の類を有したArtificial Intelligenceが開発されたとして、それが情や意というものを備え知情意全体かつ知情意夫々をバランス出来るか否かが私の問い掛けであります。
これ正に換言すれば「中庸の徳たるや、其れ至れるかな…中庸は道徳の規範として、最高至上である」ということで、此の中庸の徳なかりせば天の知恵で創りたもうた人間にAIが及ぶことはないのではと思います。
編集部より:この記事は北尾吉孝氏のブログ「北尾吉孝日記」2015年2月9日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった北尾氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は北尾吉孝日記をご覧ください。