紙の新聞がゼロに向かう予感 --- 井本 省吾

アゴラ

昨年11月にアップルのタブレット端末iPad Airを買って以来、電車の中で新聞(主に日本経済新聞)を読むときは徐々にiPadで読むようになり、今では完全に電車の中で紙の新聞を読むことはなくなった。

自宅やオフィスでは今でも紙の新聞を読んでいるが、新聞を一番読むのは車中なので、私の中で新聞の「電子化」が進んでいる。

これまでも携帯電話で新聞を読むことはあったが、画面の大きいiPad Airはぐんと読みやすく、iPad Air以後の新聞を読む習慣が決定的に変わった。


ただ、ウェブでブログやメルマガを読む習慣ははるか以前から定着していたので、私の「電子化」は2段階目に入ったということだろう。

次のステージは書籍の電子化となるが、これは当面、それほど進まないと思える。新聞やブログ程度の短文は液晶画面で読むことができるが、長文の書籍となると、やはり読むのが疲れるからだ。

実際、ネットの記事でも長い論文や報告書は印刷して紙にしてから読んでいる。その方が読みやすく、要所に赤線を入れることもできる。

ここで言いたいのは世の中もこの流れで進むのではないか、ということだ。

自慢ではないが、生活習慣に関した私の行動は世の多数派と同じで、かつ多数派の全体的な動きよりも少し先を行っていることが多い。多数派とは全体の8~9割を指し、その1~2割が動いた時に、私もその方向に動き、その後を追って多数が同じ行動をとるということだ。

米エベレット・ロジャース(Everett Rogers)のイノベーター理論による分類で言えば、私は消費者として流行の先端を行くイノベーター(革新者=全体の2.5%)ではないし、その後をすぐに追うアーリーアダプター(早期適合者=13.5%)でもない。その後に追随する68%のマジョリティのうちの先頭を走る早期追随者といったところである(ちなみにこうした流行に追随しないラガード=保守層・遅滞者・伝統主義者が16%いるとロジャースは定義している)。
これまでの経験がそれを証明しているのだ。カラーテレビやVTR、ワープロやパソコン、ファクシミリの購入などで普及が本格化した早い段階で購入してきた。正確に言えば、すべての商品やサービスがそうではない。

自動車免許の取得は43歳と遅かったし、iPodやスマホもまだ買っていない。その代わりiPad Airを購入したが、それも早いとは言えない。

というわけで、例外の多い「早期追随派」ではあるが、自分の感覚でいうと、電子新聞については、この線に沿っているような気がしている。

つまり、紙の新聞は徐々にすたれ、電子化するということだ。その速度は新聞社の電子新聞の価格政策や紙の新聞の販売政策によって変わるが、消費者(読者)の大きな流れは電子化だろう。

米国ではすでにそうなっているし、60代後半の団塊の世代である私が電子新聞人間になったのである。紙の新聞をほとんど読まない今の20-30代が電子新聞しか読まなくなるのは自然だろう。

先述したように、私も自宅やオフィスでは紙の新聞を読んでいるが、紙の新聞が近くになくてもiPadがあれば少しも困らない段階に来ている。紙の新聞の大半が無くなるのはそれほど遠い将来ではないだろう。

むろん全部ではなく、一部の愛好家(伝統主義者)に向けて紙に新聞は残るだろう。私自身、紙の新聞に書いて来た元記者として愛着があり、寂しさは残る。だが、大勢はネットで読み、必要な時だけアウトプットして紙に印刷する。そうした時代がそこまで来ていると思われる。

iPadの技術革新が進み、もっと目に優しく、読みやすくなればこの動きが加速する。その技術革新は、今は紙で読んでいる書籍の電子化をも促進しよう。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年2月9日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。