2018年2月17日、コソボがセルビア共和国から離脱し、独立国家宣言して10年目を迎えた。世界で最も若い独立国の祝賀集会が18日、コソボの首都プリシュティナで開催された。アルバニアからエディ・ラマ首相が出席し、演説の中でアルバニアとコソボの大併合の可能性を示唆した。バルカンで恐れられてきた“大アルバニア主義”が再び蘇ってきた、としてセルビアでは批判と警戒の声が聞こえる。
コソボは独立して国家宣言するまでセルビア共和国に帰属する一自治州だった。同自治州では約90%がアルバニア系住民で占められている。セルビアのベオグラード政府がコソボの自治権を制限したことを受け、独立運動が拡大し、北大西洋条約機構(NATO)のベオグラード空爆まで、セルビアとコソボの間で民族紛争が続いた。
ウィ―ンで開催されたコソボの将来を協議する外交交渉では、コソボ側はアルバニアとの併合の可能性を決して口に出さなかった。タブー・テーマだったからだ。コソボ側がアルバニアとの併合を示唆すれば、セルビア側の強い反発が予想され、コソボの独立交渉は即ストップする危険性があった。
大アルバニア主義とは、アルバニア人が居住してきた歴史的な地域で、アルバニア、コソボのほか、マケドニア、モンテネグロ、セルビア、ギリシャの地域の一部も含まれる地域をひとつにしよういうものだ。通常、「民族的アルバニア」と呼ばれるもので、大アルバニア主義はその再現を標榜するものだ。
そのタブーをアルバニアのラマ首相が破ったのだ。同首相はコソボの首都プリシュティナで、「アルバニアとコソボの政治・経済関係」の強化を主張、共同の外交と国防政策を提唱し、関税同盟、統一教育プログラムの実現を提案する一方、両国共同の大統領設置案を明らかにしたのだ。
首相は、「共同大統領はあくまで象徴的なものだが」と付け加えたが、アルバニアの政治家がコソボとの併合を促すような提案を独立宣言の祝賀集会で表明したわけだ。
独立国家を宣言して10年を迎えたコソボの現状は決して楽観的ではない。コソボを主権国家と認知している国はまだ114カ国で、ロシアやセルビアを含む80カ国以上が認知していない。欧州連合(EU)28カ国では5カ国が依然、承認を渋っている。スペイン、ギリシャ、スロバキア、ルーマニア、キプロスの5カ国だ。いずれも国内に少数民族を抱えている国々だ。
それだけではない。アルバニア系住民と少数派民族セルビア系住民の間の対立は解消されていない。セルビア系住民が多数住むコソボ北部のミトロヴィツァ市(Mitrovica)で先月16日朝、セルビアの政治家オリベル・イバノビッチ(Oliver Ivanovic)氏が射殺された。犯人は走る車から消音銃で4発、政治家の胸に発砲。イバノビッチ氏(64)は運ばれた病院先で死亡した。
コソボ国民にはフラストレーションが高まっている。国民経済は期待したほど成長できず、腐敗、縁故主義が席巻し、失業率は30%を超える。多くの若者たちは海外に職を求めて出ていく。
コソボで昨年5月10日、ムスタファ政権(「コソボ民主党」と「コソボ民主連盟」の大連立政権)に対する不信任案が可決され、同年6月11日の前倒し選挙(定数120、有権者数約190万人)が実施された。その結果、中道右派連合が勝利し、中道右派「コソボ未来同盟」(AKK)のハラディナイ党首が昨年9月7日、首相にカムバックしたばかりだ。なお、ハラディナイ首相はコソボ紛争ではコソボの独立のために戦った「コソボ解放軍」(UCK)の軍司令官の一人。同首相には、戦争犯罪だけではなく、麻薬、武器密輸など組織犯罪の関与容疑が囁かれてきた。
アルバニアとコソボの合流は遠い将来のテーマだが、ティラナ(アルバビアの首都)からきた首相がプリシュティナで示唆した「大アルバニア主義」発言はバルカン全域に少なからずの衝撃を投じたことは間違いないだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年2月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。