安倍首相はなぜ「左傾化」したのか

日銀総裁は、黒田総裁が再任されることになった。若田部副総裁は実務は知らないので、出口戦略は雨宮副総裁が仕切ることになろう。彼は日銀の本流なので、それほどおかしなことにはならないと思うが、気になるのはここに至る経緯だ。関係者によると、今回の人事の最大の問題は「本田悦朗副総裁の阻止」だったという。

本田氏は極端なリフレ派で、出口戦略も否定していた。これまで安倍首相が任命した審議委員はほとんど本田氏の推薦なので、彼が副総裁になると大きな実権をもち、後任総裁になる可能性もあった。財務省は全力を上げて本田副総裁を阻止したが、若田部氏もリフレ派であり、本田氏の影響力は残った。

アベノミクスの中核だったインフレ目標は失敗したが、安倍首相の「大きな政府」路線は変わらない。最近の「教育無償化」や「働き方改革」の規制強化も、バラマキと政府の介入を拡大する社民的な政策だ。こうした決定は税調や審議会を飛び越え、首相自身がやっているという。なぜ彼は「左傾化」したのだろうか。

一つの理由は、今年秋の自民党総裁三選に向けての政権基盤の強化だろう。財政拡大と金融緩和はみんな喜ぶ。普通は財政赤字が増えると金利が上がるが、日銀が国債を買い支えれば金利は抑えられる。日銀が国債を買うのは子会社が親会社の社債を買うようなもので、連結では純負担は生じない――というのがリフレ派の論理である。

こうして負担を将来世代に先送りするネズミ講(Ponzi scheme)が可能なら、使わない手はない。負担を先送りされた世代は、また先送りすればいい。財政ファイナンスでインフレになると財政タカ派は警告してきたが、インフレは起こらなかった。

もう一つは、憲法改正の挫折ではないか。今の情勢では自民党内の意見集約も困難で、公明党は反対の姿勢を変えない。野党はまったく歩み寄りをみせないので、今国会で発議することは不可能だ。この状況で発議しても、国民投票で否決されたら取り返しがつかない。リスクは大きいが、メリットがほとんど見えないのだ。

憲法改正は自民党の見果てぬ夢だが、多くの国民はもう夢から覚めたようにみえる。戦後ながく続いた平和の中で「押しつけ憲法」を改正しようというナショナリズムは弱まり、憲法改正はシンボリックな意味しかなくなった。安倍首相が票にならない憲法改正に見切りをつけ、左翼的ポピュリズムに舵を切ったとすれば、それは政治的には合理性がある。

だがネズミ講には、いずれ終わりが来る。それがマイルドなインフレになるか、国債の暴落になるかはわからないが、社会保障給付の切り下げは避けられない。政治的にきびしい選択を迫られるときはそう遠くない。日銀の出口戦略は、その転換の第一歩になるかもしれない。