母の日に思い出した男子学生のこと

先日、卒業論文の最終稿提出が締め切られた。この間、盗用を防ぐため、他論文との重複率をチェックするシステムを2回通過しなければならない。2割を超えないことが目安とされているが、1回目は5割に達する学生もいる。即刻、書き直しを命じられる。4年生になって慌てて用意するのだから、他文献の引用に頼らざるを得ないのは当然だ。

中国では、あまりにも粗雑で浅薄な学部生の卒論に対し、修士や博士課程を除き、論文を廃止しべきとの議論も起きている。盗作の字句を手直しして重複率を下げたところで、自分の独創でないことは本質的に変わらない。最初から書き直さなければ同じことだ。コピペ文化は見方を変えれば、共有、共感のシェアリングを支える前向きな面もある。インターネット空間が生んだ世界的な現象でもあるので、根が深い。

4年生の春季、つまり後半16週は、必修のインターンシップがあるので、ほとんどの4年生が大学を不在にする。当地の広東省だけでなく、北京や上海まで行き、訓練を受ける者もいる。4年生のインターンは学生のニーズに応じ、単位目的のため、見分を広めるため、正社員への登竜門として、すでに内定を得ており、事実上の前倒し入社として、といくつかパターンがある。卒論は、インターンの前に初稿を提出するが、実際に仕事が始まってしまうと、なかなか手直しの時間はとれない。粗雑な内容はこんな背景事情もある。

だが、もし卒論を廃止したら、それこそ大学は3年で事足りるような状態となり、職業技術を身につける専門学校と化す。私のジャーナリズム学部でも、卒論作成を前倒しにするか、インターンを選択制にして卒論に専念させるか、様々な意見が出ているが、結論は出ていない。ジャーナリズム学部では、長編記事やドキュメンタリー・フィルムなどを卒論と同じ「卒業作品」として認めているので、中身のない卒論を書くぐらいならば、こうした作品を残したほうがいいと奨励する教師も多い。

私は今季、学生5人の卒論指導を担当した。男子1人、女子4人で、男子は「深度報道」と呼ばれる長編の記事作成を選んだ。実はしばしば授業をエスケープし、宿題の提出を先延ばしして教師を困らせる札付きの学生だった。以前、私の授業でも同じ現象が見られ、単位を落とした。彼は改めて私の授業を取り、もう一度やり直したいと申し出てきた。そのうえで、卒業作品の指導も私に頼ってきた。

何度も何度も話し合いをし、相手の意志を確認したうえで引き受けた。心から改心したいのだという彼の言葉を信じた。だが、とうとう彼の作品を目にすることはなかった。自分の力が足らなかったことを反省した。途中で私が留年を宣告した。取材が十分できていない。私への報告に虚偽がある。締め切りの約束を守らない。以前の彼に戻ってしまっているのを発見したからだ。

あの強い意志はどこへ行ったのか。影も形もなく、ひたすら「卒業させてください」と懇願するばかりだった。器用で、一見人当たりがいい。すでに実家のある地元の新聞社に就職が決まっていた。能力も高い。

彼はこれまでの学生生活の中で、教師の足元を見ることを覚えていた。粘れば最後は教師が音を上げて、「なんでもいいから書いて出しなさい。そうすれば通してあげるから」と言ってくれるはずだと踏んでいた。確かに、留年を出せば、指導教師の責任が問われる。彼はいつの間にかそんな取引を覚えて、私にも「先生を困らせたくないから」と立場を逆転させるロジックを持ち出した。

卒業は一生の問題だから、何でもいいので形だけは書かせて追い出せばいい。そうすれば指導教師として留年の責任も負わずに済む。だが、長い目で彼の人生を考えれば、このまま、人間としての基本ができていないまま、記者になって成功するはずはない。むしろ、個人にも、大学の後輩たちにも、禍根を残す可能性が高い。彼に対して責任を負うということは、彼の人生をとことん面倒見るという覚悟でなければならないはずだ。そこで私は、本人に私の考えを伝え、了解を得た末、後者を選んだ。

彼と話をしていて、家庭のことに話題が及んだ。母はおらず、父親もほとんど構わないという。父親がいない女子学生に話したら、そんな事情は言い訳にならない。両親がいなくても奮闘している若者は山のようにいるのだから、と猛反論を受けた。確かにそうだ。両親が不在で、節約をしながら、必死に学んでいる学生はいる。だが、我が身を振り返れば、今は亡き母の存在はとてつもなく大きい。私の心に広大な大地と、しっかりした根を残してくれた。もし、これらがなかったら、砂漠の中でさまようような経験をしたかも知れない。

昨日は母の日だった。ウィー・チャットでは学生ばかりでなく、教師も参加して、みなが母親への感謝をつづった。ふと彼を想った。今、どんな気持ちでいるだろうか。単位も足らないので、すでに実家に帰っている。来年のことを考えているのか。それとも、母のことを想っているのか。さまざまな思いがめぐる卒業シーズンがやってきた。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2018年5月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。