鴻上尚史さん著「不死身の特攻兵」。
9回出撃し、体当りしろという上官の命令に抗い、爆弾を落として、9回生還した特攻兵、佐々木さん。
その生き様、覚悟、それを取り巻く非道、理不尽を描くノンフィクション。
特攻が飛行機の速度、重量、難易度などの点で効果がないことを現場は知っており主張もしたものの、本部も「研究所」も体当たり精神を主張し続けた。
科学が無視された時点で20世紀の戦争には勝てない。
陸軍初の特攻隊を率いる岩本大尉が命令に背き、体当りせずに爆弾を命中させて帰ってくる作戦を立てた。
しかし冨永司令官の宴会に顔を出せという無茶な呼び出しを敵襲され、出撃せず撃墜死。理不尽が幾重にも積み上がり、多くの命が失われていった。
一度特攻に出たからは死んだものとされ、地元では2度葬式が出され、たびたび処刑のような出撃命令を受け、それでも生き延びた。
それを佐々木さん本人はそういう「寿命」だと淡白に認識する。
その認識法こそが生還できた要因であり、それをもたらしたのは、飛ぶことが大好きという強い思い。
参謀は死地に赴けと繰り返した挙句、殺害命令まで発していた。
宴会好きの司令官はひとり台湾に逃亡した。
そんな上官に対し佐々木さんは、怒りを覚えることもなく、そんなものだと受け流している。
その諦観もまた生還の要因でしょう。
死んでやる!と思った人は死んでいった。
戦争中、理不尽に対し声を上げた軍人もいたが、特攻の記録は命令した側のものばかり残り、特攻兵の遺書を旧軍部組織が回収して封印し、そして命令した側の上官たちは戦後も正義面をして生きながらえる。
戦後も理不尽は続いたわけです。
この佐々木友次さんに着目し、インタビューを敢行してまとめあげた鴻上さんの仕事は重い。
佐々木さんは2年前に亡くなったそうです。
こうした声がもうほぼ失われようとしています。
残すのはわれわれ世代の役目であるが、それは国として向き合わなければならないと考えます。
ところで一点、佐々木さんが生きていることをお母さんに手紙を書いて知らせていたというくだり。
ナイショで出したと。
フィリピンの市内から普通郵便で出せば出せたと。
そうか。そりゃそうか。
戦時中も世界の郵便局は普通に仕事してたんだからな。
と当然のことに気がつきました。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2018年5月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。