6月12日の米朝首脳会談には失望した。そこで両国首脳が署名した共同声明の冒頭「トランプ大統領は、北朝鮮に対して体制の保証を提供する約束をし、キム委員長は、朝鮮半島の完全な非核化について、断固として揺るがない決意を確認した」(NHK訳)。――いまもNHKはそう報道しているが、正確さを欠く。
当たり前だが、米朝は日本語で合意したわけではない。トランプ大統領が北朝鮮に提供を約束したのは「security guarantees」、つまり「安全(いわゆる安全保障)の保証」であって「体制の保証」ではない。そう「夕刊フジ」(6月19日付から短期集中連載)拙稿で指摘したが、NHKには馬耳東風。自称「公共放送」の報道は変わらない。
この場を借りて問責しよう。もし米大統領が「体制の保証」を約束したのなら、最高指導者の親族を殺害したり、日本人を拉致したりしてきたキム体制の存続を、同盟国アメリカが保証したことになる。それを日本の安倍晋三総理が「支持」し「敬意」を表したことになってしまう。本当にそれでいいのか。
米朝共同声明にはアメリカを中心に国際社会が求めてきた「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」(CVID)が盛り込まれず「朝鮮半島の完全な非核化」との表現に留まった。肝腎の非核化に向けたタイムテーブルもロードマップもない。過去の6か国協議(日米中韓ロ朝)における合意と比べても具体性に乏しい。
米朝間の綱引きにたとえるなら、土壇場でアメリカが北朝鮮側に引き込まれた格好だ。「キム委員長の勝利」(英BBC)と評してよかろう。落胆を禁じ得ない。
CVIDに加えて、米朝首脳会談は重要な表現を、もう一つ奪った。「最大限の圧力」である。たんに、そうした表現を使わないというだけなら理解できる。言葉に出さずとも、無言で圧力をかければ済むからだ。
しかし今回は違う。トランプ米大統領は首脳会談後の会見で「北朝鮮との交渉がうまく行けば、米韓合同軍事演習を中止する」と明言。名実とも「最大限の圧力」は消えた。
じっさい8月に実施される予定だった米韓合同軍事演習「乙支(ウルチ)フリーダム・ガーディアン(UFG:Ulchi Freedom Guardian)」の中止が発表された。日本政府は「単なる図上演習であり、中止の実害はない」と火消しに努めるが、軍隊の実力は訓練や演習の質と量に比例する。「中止の実害」は避けられない。日米韓政府がどう説明しようが、演習中止に伴い、北朝鮮への抑止力は確実に低下する。前記拙稿でそう警鐘を鳴らしたが、官民とも馬耳東風。危険な楽観論が日本と地域を覆っている。
さらに6月22日、今後3か月間に実施される予定だった二つの米韓の海兵隊交流訓練(K-MEP:Korean Marine Exchange Program)の無期限延期が決まった。小野寺五典防衛大臣のコメントを借りよう。「米軍の抑止力は地域の平和と安定に不可欠であり、米韓合同演習は地域の平和と安定を確保していくうえで重要な柱」である。その「重要な柱」が立て続けに合計3つも欠けた。「不可欠」な抑止力の「柱」が3本欠けたのだ。地域の平和と安定は確実に揺らぐ。
しかも今回は「単なる図上演習」ではく、実動演習である。名実とも地域の抑止力が低下する。「中止の実害」は避けられない。
本来なら、日本政府はそう米韓両国を批判すべきではないのか。せめて最低限の不快感や懸念くらい表明してほしい。
覆水盆に返らず。低下する抑止力を今後、誰かが埋めるしかない。日本にとっても、地域においても、いまや自衛隊だけが頼りである――そう前記拙稿に書いたが、不明を恥じたい。なんと同日、日本政府までが訓練の実施を見合わせると表明した。
「先の米朝首脳会談で日本の安全保障をめぐる緊迫した状況は緩和されたとして、菅官房長官は閣議のあとの記者会見で、弾道ミサイルの発射などを想定して、今年度9つの県で予定していた住民参加型の避難訓練の実施を当面、見合わせる考えを示しました」(NHK報道)
正気の沙汰なのか。政府は本気でこう考えているのか。ならば、彼らに政権を担う資格はない。
百歩譲って言えば、米韓合同軍事演習の中止は、まだしも理解し得る。これまで北朝鮮に加え、中国とロシアも米韓演習「凍結」を求めてきた。そうした関係各国に配慮して演習を中止ないし凍結する判断は外交上あり得よう。
加えて言えば、米韓合同軍事演習は「挑発的」(トランプ大統領会見)だから中止するとの宥和策も外交上あり得よう。支持できないが、理解はできる。じっさい「戦略爆撃機」派遣を含む一部の過去演習を「挑発的」と評することもできよう。
だが、このたびの日本政府の判断は支持も理解もできない。日本が中止するのは軍事演習ではなく避難訓練である。そのどこにも「挑発的」な要素はない。米朝ロにとって痛くも痒くもない〝単なる避難訓練〟ではないか。その中止で助かるのは、日本政府や自治体の関係職員だけ。彼ら以外、誰も喜ばない。万一そうでないなら、昨年、避難訓練を「挑発的」などと批判した自称「市民団体」らが正しかったことになってしまう。
政府や市民団体に聞けば、「いや、非核化と平和を実現するため訓練は中止すべき。一部保守派の強硬論こそ危ない」などの反駁となろう。そうした〝善意〟が現在の宥和政策を生んだとも言える。しかし「地獄への道は、種々の良き意図で舗装されている」(マルクス『資本論』岩波文庫)。もし後世「非核化のプロセス」がそう悪評されるなら、そのとき日本は破滅しているのかもしれない。