サウジアラビアで、女性が自動車を運転することが認められた。
近代市民革命以降、世界的に自由の範囲は広がりつつある。
それまで、農村地域に生まれれば一生同じ場所で暮らし、同じような境遇の相手と結婚し、子供を育て…というふうに、決められた人生を歩むしかなかった。近代以降、個人の自由が権利として保障され、各人に「選択の自由」が認められるようになった。
日本でも、江戸時代は脱藩(当時は「藩」と呼ばず「国」と呼んだそうだが)は重罪で、二度と郷里に戻れなかったそうだ。身分も固定されており、裏技を使わない限り先祖代々の身分から抜け出すことはできなかった。
戦後の日本は、戦前と比べ物にならないほどの自由が認められるようになった。
しかしながら、法律とは別の社会規範は根強く残った。法的には当人同士の自由であるはずの結婚が、結婚披露宴会場で「〇〇家、☓☓家、披露宴会場」と表示されており、家同士の結びつきという社会規範が、つい最近まで残っていた(今でも残っているのだろうか?)。
昭和の時代は、女性が働くのは結婚までの腰掛けで、寿退社が祝福された。
つまり、女性は専業主婦にあるのが当然だという社会規範があった。
男性も、高校や大学を卒業すれば会社に就職し、最初に就職した会社で定年まで働くのが当然視されていた。
いい年をして働いていないと、近所の人達から奇妙な目で見られたものだ。私が脱サラして司法試験浪人になった時、昼間ぶらぶらしていると何故か周囲の冷たい視線を浴びたものだ。その点、当時の女性は、働かずに家にいても「家事手伝い」という立派な肩書があった。
現代は、徐々に社会規範が緩和され、自由の範囲が広がっている。
しかしながら、自由は決して手放しで喜べるものではなく、必ず「苦痛」を伴う。
制度や社会規範に縛られていた時代は、それらのルールに従って生きればいいだけだったし、生きづらくとも「ルールの責任」に転嫁することができた。
しかし、「選択の自由」の幅が広がってしまうと、結果に対する責任は自分自身が負わなければならない。
いっそ、誰かに決めてもらったほうが楽だと思い「自由からの逃走」を試みても、誰も他人の人生を肩代わりはしてくれない。
退職後のサラリーマンが精神的に厳しくなるのは、余りある自由を手に入れてしまうことが大きな要因になっている。それまでは、会社の規則に従って会社の指示通りに動くしかなかったところ、突然自己責任で動かなければならなくなる。自由がもたらすストレスが、資産も年金も十分ある高齢者を「暴走老人」にしてしまうのかもしれない。
現役世代や若年世代の人々は、今のうちから「選択の自由」が突きつけるストレスへの耐性を身に付けておくべきだろう。
手始めに、「昼食に何を食べるか」とか「買い物に行ってどれを買うか」などで悩みすぎないようにしてみよう。どちらかを選択すれば、必ず選択しなかった方が惜しくなる。
惜しい気持ちをこらえることから、「選択の自由」がもたらすストレスへの耐性が少しずつつくられる。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年6月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。