求められるコーランの“新しい解釈” --- 長谷川 良

エジプト出身のイスラム教専門家、イエズス会所属のサミーア・カリル・サミーア神父(Samir Khalil Samir) はイスラム教の聖典コーランの新しい解釈を求めている。同氏は、「コーランは平和的な内容だが、同時に攻撃的な個所も記述されている。後者は異教徒との戦いの時代に生まれてきた部分だ。だから、イスラム教徒はコーランを新しく解釈する必要がある」という。

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▲英バーミンガム大で発見された最古のコーランの断片(バチカン放送7月29日独語電子版から)

同神父によると、聖書でも戦いを呼びかけ、殉教を勧める個所がある。しかし、キリスト信者は時代の経過と共に、その個所を歴史的、寓喩的な表現として受け取り、逐語的解釈はしなくなっていった。多くのキリスト者たちは今日、戦いを呼びかける攻撃的な聖句は神から出たものではないと判断するようになってきているという。

当方はこのコラム欄で「“イスラム教のルター”はどこに?」(2015年5月17日参考)という記事を書いた。そこでソマリア出身の著名な政治学者アヤーン・ヒルシ・アリ(Ayaan Hirsi Ali)女史(オランダ元下院議員)の話を紹介した。女史はイスラム教が21世紀の社会に合致し、受け入れられるための条件として、「5カ条の改革案」を提案している。
①聖典コーラン逐語的解釈の中止
②シャリア中止
③来世を現世より重要視する世界観から決別
④精神的指導者のファトワー(勧告)宣布の権限廃止
⑤ 聖戦思想の破棄
の5カ条だ。

興味深い点は、サミーア神父の主張とも通じることだが、女史は「コーランではムハンマド(570年頃~632年)のメッカ時代(Mekka)とメディナ時代(Medina)ではその語った内容が異なっていることを忘れてはならない」と指摘していることだ。すなわち、ムハンマドは610年、メッカ北東のヒラー山で神の啓示を受け、イスラム共同体を創設したが、メッカ時代を記述したコーランは平和的な内容が多い。一方、ムハンマドが西暦622年メッカを追われてメディナに入ってからは戦闘や聖戦を呼びかける内容が増えてきた。コーランはキリスト教の聖典、聖書の旧約・新約聖書のように2つの異なった内容から構成されているというのだ。

今年1月、イスラム過激派テロリストの3人が起こした仏週刊紙「シャルリーエブド」本社とユダヤ系商店襲撃テロ事件について、同国の穏健なイスラム法学者は、「テロリストは本当のイスラム教信者ではない。イスラム教はテロとは全く無関係だ」と主張し、イスラム教はテロを許してはいないと繰り返す。一方、西側ジャーナリストは、「世界でテロ事件を起こしているテロリストは異口同音にコーランを引用し、アラーを称賛している。それをイスラム教ではないという主張は弁解に過ぎない」と反論してきた(「“本当”のイスラム教はどこに?」2015年1月24日参考)。同女史によれば、イスラム過激派グループはコーランのメディナ解釈に傾斜し、それに固執している人々ということになる。

同女史は、「イスラム教徒はメッカ時代のムハンマドの教えをもっと学ばなければならない」という。21世紀を迎えた今日、イスラム教の聖典コーランも歴史的事実を踏まえた新しい解釈が求められてきているわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年8月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。