迷走する民主党の「左傾化」はいつか来た道

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民主党の岡田代表がデモで共産党の志位委員長と肩を組み、「シールズと連携したい」と口走った。これを細野政調会長が「共産との協力はありえない」と批判し、松本剛明氏が離党を表明するなど、民主党が空中分解する兆しがみえてきた。

60年安保の後にも、似たような現象があった。大衆運動が盛り上がり、岸内閣が総辞職したことに勢いを得て、社会党は左翼的な方針をとったが、1960年11月の総選挙では、自民党が296議席で圧勝した。多くの国民はもう終わった安保問題より、池田内閣の掲げた「所得倍増」を選んだのだ。

しかし社会党の「左傾化」は続いた。右派の「社公民」路線は敗れて党を追放され、主流派はマルクス=レーニン主義を守る「社共共闘」を選んだ。これは都市部では成功し、美濃部東京都知事や黒田大阪府知事が誕生し、70年代には都市住民の支持する革新政党が政権を取る日は近いと思われた。

ところが国政では、社共共闘は成功しなかった。革新自治体はバラマキ福祉で自壊し、自衛隊も安保も否定する「非武装中立」は外交政策として成り立たないからだ。民主党が、かつての社会党の「いつか来た道」に戻っても、そこは袋小路なのだ。

といっても、国民が現状に満足しているわけではない。自民党の絶対得票率は17%で、過半数は無党派層だが、彼らの関心事は憲法でも安保でもない。どんな世論調査でも、最大の不安は社会保障である。今の年金や医療が長期的に維持できないことを、国民も知っている。それなのに自公政権は、軽減税率で増税を先送りしようとしている。

民主党は「軽減税率反対・社会保障関係費の削減」を掲げて闘ってはどうだろうか。もちろんこれには党内の合意が得られないだろうが、社会保障の破綻の被害者となる将来世代は、今は少数派でも、今後100年を考えれば圧倒的な多数派だ。

民主党が古い「戦後リベラル」を卒業して未来の党に生まれ変わるには、与党ができないことをやるしかない。党内の合意が得られないのなら解党し、改革派が新党を結成すればいい。幸か不幸か、失うものは多くない。