週刊ダイヤモンド特集「就活の虚実」に、人気企業100社のアンケート調査結果「採用で最重視する資質」という調査が掲載されている。
コミュニケーション能力、熱意、意欲、主体性、行動力などという、どうやって評価しているのかわからない(どうやって開発できるのかもわからない)項目が過半数を占める一方、学業成績、表現力、外国語能力はゼロである。大学が開発しうる能力は、誰も評価しない。
大学の学業成績はどうでもよくても、基礎学力は重視している。基礎学力とは高卒程度の知識のことだ。
他の記事でも、大学教育については、何ら語られることはない。最近、多く刊行されている「就活本」でも、大学教育とどう向きあうべきかは、無視されている。
エントリーシートにも、大学の正規科目で何を学んだかが書かれることはほとんどない。むしろ、短期留学をしたとか、部活をがんばったとかいう、「課外」活動の方がウェイトが高い。所属学科は重視されるが、教育内容についてはほぼスルーである。
それはそうだ。大学3年生程度では、人にアピールできるほどの専門知識なんて、ほとんど頭に入っちゃいないのだから。
「授業に出てください」「ゼミの準備をきちんとやりましょう」「課題図書を読みなさい」とか言うのは、大学教員だけだ。
つまり、大学の機能とは、入学試験におけるラベリングと、就職待合室以上のものではない。
しかしながら、政府支出をそんなものに使われては、納税者として我慢できない。大学助成金は、国立に1兆円、私立に3000億円が毎年支出されている。
教育関係者の言うお決まりの理屈は、「教育には外部効果があるから、個人の利益にならなくても意味がある」というものであるが、その外部効果をきちんと説明できる人はいない。せいぜい、国産ロケットによる宇宙開発を楽しんだとか、ノーベル賞科学者が出れば、国威発揚になる程度の理屈である。
私は学問に政府補助を与えることをまったく否定するつもりはない。古典を読み、過去の文化遺産を継承していくこと、すぐに金にならない研究を行うことなどは、かつて、王室や教会がパトロネージしていたことであり、現代の政府が代わって支援を行うことは必要である。
宇宙探査やノーベル賞科学者がいらないとも思わないが、高校卒業者の半分にも達する大学生に、就職待合室を提供することは、それらとは何の関係もない。
大学助成金は、学問の助成にのみ使うべきだ。就職待合室に補助金を出してはならない。
目的を限定しない大学助成金は廃止して、科学研究費補助金だけでいいのではないか。科学研究費補助金にも、申請する手間や、採用の選択の公平性という問題はあるが、単なる待合室に補助金を出している現状よりはましである。
コメント
記事の内容とは少しずれますが、「学生による授業評価」なども大学本来の在り方から考えると本末転倒でしょう。
印刷技術が発達しておらず、人から人への情報の伝達が重要であった11-12世紀の大学ならいざ知らず、参考書や専門書があふれる現在、基本的なことを教授から教わる必要などありません。実験技術やノウハウなどの言語化しにくい情報以外のほとんどのことは本を読めば学べるのです。大学は「自ら学びたい人」が来るべき場所であり、「他人に教わりたい人」が来るべき場所ではありません。
私が大学の研究室にいたときも、参考書を少し調べれば判るようなことを質問する学生には辟易しました。松本さんの記事のコメント欄でも書きましたが、研究を行う大学と、リベラルアーツなどの教育に重点をおいた教養学校(就職予備校)に分けるべきかも知れません。
私は文系学部と理系学部の両方に在学したことがあるので、経験的に言わせてもらうと、「文系学部」の存在意義がよくわかりません。理系学部はかなりまともに機能しており、文系学部の無意味さはたぶん構造的なものだと思う。
文学部とか社会学部とか哲学とか・・・意味あるの?
外国語学部・・・実学だが専門学校で十分
経営学部・・・教授の意見を拝聴するだけで実学ではない。引退した経営者が教授ならまだわかるが。
法学部・・・一番実学のようだが、実際には実社会には全く役立たない事を教えている。
会計学・・・一番役に立つが、別に大学でなくても良い
経済学部・・・高等数学を使うので理系のほうがいいのではないかとおもう。
大学は理系だけにしてそれ以外は教養学校(就職予備校)にしたほうがいいんじゃないかと思う。
アメリカは奨学金は理系学部以外にはほとんどでないそうです。が、日本では政治的には難しそうですな。
bobbob1978さんが、大学は「自ら学びたい人」が来るべき場所といいましたが、残念ながら多くの文系学部では、学生は「これを勉強することに意味あるの?」と思っているし、教授ですら疑問に思っているので、
文系学部はまとめて教養学部にするとか、潰しちゃうかしたほうがいいと思います。
実社会で大学教育(文系)が役にたっていることはほとんどない。部活動やサークル活動を就職活動で自慢げに語るのであれば、高校生のうちにやっておけばいい。(未成年飲酒が増えたら問題だけど…)
最近では就活が早すぎるって話になっているが、いっそのこと大学を就職予備校にして、18歳から就職活動すればいい。
どうせ学生なんて、実社会のこと知らないのだから、22の就職で失敗するより18で失敗した方がいい。その方が就労人口も増える。
企業も18~22歳の人員を正社員で雇った場合は人件費2倍経費計上できるとかして税制的に優遇すれば、あえて大卒にこだわらない。(大卒も高卒も一から教える状況変わらないから)
私が在学中に、「これからは英語・中国語・数学ができないと就職できませんよ。」とアホなことをぬかしている数学准教授がいた。講義の最後のアンケートで「貴方は学者として最低です。」と書いてやった。
大学側にも就職予備校という意識があることも、併せて改革が必要だと思う。
大学にも各種あると思います。一般には単なる待合室の典型とは、文系の大学ですかね?井上先生のような医師などのお立場からすると、たとえば医学部などの教育のあり方についてどう思われますか?
これは医師だけに留まらないと思いますが、手間と暇さえあれば、職業人が直接学生を現場で引っ張りまわして教えたほうが覚えも早いとは思いますけど、しかしそのようなことは現場の効率を落としますので、待合室の効用もある程度認めなければならないようにも感じるところはあるような気もいたします。
学問には正統的な学習法が確かにあるんですが、その伝授ですら、スカパーで放送大学を見れば十分なんです。
線型代数の講義を見ていたら、式の変形の仕方まで含めて、非常に丁寧に講義が行われていて、ライブで教わる必要なんかないと思いました。録画しておけば何度でも見られるし。教科書も、非常に質が高く、かつ、安い。
かって25年前に商学部を卒業した者ですが、当時より我々の大学は就職予備校化してましたね。特に私は、貧乏学生でしたので、大学が休みのときは、朝昼晩バイトをして多い時は月30万近く稼ぎました。物価を考慮にいれると今の所得より稼いだかもしれません。
そこで、学んだことは、バイト先の家族の皆さんの優しさだったり、厳しさやバイトとはいえお客様に喜んでもらえると素直に嬉しかったりしました。
バイトで稼いだお金で、2年間で約2ヶ月のアメリカ貧乏旅行をし、その後の私の人生を左右する体験もしました。
これらのことは、社会に出てからでは時間的な制約でできないので、自分としては大学時代には後悔はしてません。
所詮、日本の大学は、社会に出るための準備機関として大人たちが割り切ってしまえばいいことだけなんですね。
学問は、生かすも殺すも自分次第だからです。
ikuside5さんへ
医学教育については、以前に書いたように、医学部は要りません。
医学には運動方程式も解の公式もありません。断片的な事実を一つずつ憶えるだけです。理屈もなにもない。まさに本があればそれでいい。
実習は機能していません。職場見学をしているだけです。リスクが伴う医療行為を学生にやらせることはできないが、リスクを負って判断、行動しないと、医療技術は身につかない。
学歴無差別の医師国家試験で、研修可能な人数にまで絞って、2年も研修医をやらせれば十分です。
コメントを拝読させていただきました。
皆さん、大卒で就職するヒトの立場を考えてコメントなさっていますが、本来大学は研究者を育てる機関であることをお忘れではないでしょうか。ゆえに大学で学んだことを大卒の人間が社会で役立てることなど毛頭考えていないでしょう。それでいいのではないですか?実学を学びたいヒトは専門学校に進学します。その道の研究者を目指すヒトは大学に進学し、大学院を出て研究者となります。これが今の大学のスタンスでしょう。
返答をいただき有難うございます。
病院などに行くと思うのですが、お医者さんは全体を統率しながら、かつ、患者に接するフロントマンであり、最終的な責任者である、という、かなり特殊な職業であると思います。また昨今、医療も高度化・専門特化していて、様々な専門技術者が関わっていますが、その成果に対する責任を直接的に負うのがお医者さんだと思いますので、一筋縄ではいかないし、医者のスキルってなんなのかな?と考えると非常に多義的なものがあるように思いますね。これはなかなか制度的に養成可能なものであるとは、私も思えませんので、井上先生のご説には賛同いたします。