昨日も書かせていただきましたが、石野卓球さんの謝罪を求める動きがいまだにしつこくあって、依存症支援に関わる我々にとって本当に困ったことだと思っています。
事件になんの関係もない石野卓球さんが謝る必要などどこにもないし、確か東国原さん他の謝らせたい症候群の方も、三田佳子さんの息子さんの事件では、「親が謝る必要などない。」とおっしゃっていたんですよ。
それなのになぜビジネスパートナーだと、「依存症に気付けなかった」と謝らなきゃならないのか?矛盾しているし、治療のプロセスとしても有害な考え方なのでやめていただきたいとお願いしても真っ向否定される・・・その理由が全く分からないです。
そもそもみなさん、そんなに人の謝罪会見なんかみたいですか?
だいたいワイドショーのレポーターも全然勉強なんかしてませんからね。
しょうもない、浪花節的な質問しかしないし、核心に触れるような答えを引き出せる人なんか見たことないじゃないですか。
しかもですよ、自分に全く関係ない出来事で、「みなさまにご迷惑をおかけして」とかって言われても、「いや別にかけられてないし?」という気持ちになりますよね。
謝るべき人に個人的に謝りに行けばいいじゃん?と思いますし、むしろただでさえみんな「世間体」なんて実体のないものに怯えて暮らしているのに、ますますその世間体という幽霊を強固にする弊害しかなくないですか?
第一、 謝罪なんて心が伴わなきゃ意味がないじゃないですか。
「とりあえず謝っとけ」みたいなショーを見ても面白くもなんともないですよね。
自分の身の上に起きた出来事で、自分が被害者ならともかく、赤の他人の自分に関係ない謝罪を見たくて仕方がないとしたら、
・人を屈服させたい
・人の弱っている姿を見たい
・自分の優越感に浸りたい
と、このくらいの理由しか浮かばないんですけど、だとしたら相当なストレスか心の闇を抱えているのではないでしょうか?
もしかしたらそれもまた共依存と呼べるかもしれませんよね。
共依存ってパワーゲームで、「自分の思い通りに行動させたい!」と、その思いにとらわれていくわけですもんね。
しかも石野卓球さんは、事件に全くの無関係。
相方だというだけで謝らなきゃならないとなったら、この世は誰とも仕事でチームを作ったっり、仲間同士グループを作ったり、そういった絆をや連携づくりができなくなってしまいます。
連帯責任や5人組なんて恐怖政治じゃないですか。
私は、石野卓球さんに対して「謝らせたい!」と強い思いにとらわれてる方々には、むしろご自身の心の健康状態、「無理が続いてないかな?」「ストレスが溜まっていないかな?」「本当は辛いのかな?」とか、逆に「傲慢になっていないかな?」などなどご自身を振り返られることをお勧めします。
田中 紀子 公益社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」代表
競艇・カジノにはまったギャンブル依存症当事者であり、祖父、父、夫がギャンブル依存症という三代目ギャン妻(ギャンブラーの妻)です。 著書:「三代目ギャン妻の物語」(高文研)「ギャンブル依存症」(角川新書)「ギャンブル依存症問題を考える会」公式サイト