10月2日7時10分頃、北朝鮮は半島東岸から、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を東方向に向けて発射した。同日、防衛省は「速報」に続く「続報」として、次の「お知らせ」を公表した。10月5日現在も、以下のとおり掲載されている。
発射されたミサイルの1発は、7時27分頃に島根県隠岐諸島の島後沖の北約350kmの我が国の排他的経済水域(EEZ)内に落下したものと推定されます。飛翔距離は約450km、最高高度は約900kmと推定されます
(出典:「防衛省「北朝鮮によるミサイル等関連情報(続報))
北ミサイル発射で露見した日韓対立の弊害
いま読み返せば、日本政府がこの時点でも、複数弾のミサイルが発射されたと認識していたことがわかる。おそらく2段式(または3段式)のミサイルを発射後に切り離した航跡が、遠く離れた自衛隊のレーダーには、そう見えた(映った)のであろう。
本来なら、より近い場所に配備されている韓国軍のレーダー情報と照らし合わせて分析すべきところだが、それを支えてきた日韓GSOMIA(軍事情報包括保護協定)は今年11月23日の午前零時に効力を失う(詳しくは月刊Hanadaセレクション「韓国という病」掲載の拙稿「GSOMIA破棄 日本の実害」参照)。日本の反韓保守は「破棄の実害はない」、「困るのは韓国のほう」と夜郎自大に放言してきたが、案の定、早くも実害を生んだ。
これまで日韓が政治的に対立しても、日中同様の「政冷経熱」で経済的には良好な関係が維持されてきた。それが日本企業の資産差し押さえなどにより消滅。さらに韓国国会議長による天皇陛下に対する不敬発言もあり、軍事・防衛当局のパイプが最後の綱だった。
少し振り返れば、いわゆる「旭日旗問題」が日韓関係悪化の発端だった。昨秋、韓国の済州島で国際観艦式が開催され、日本の海上自衛隊を含む15カ国の海軍が招待された。ところが、韓国は日本に対して「旭日旗」の掲揚自粛を要請。やむなく日本政府は国際観艦式への不参加を決めた。いかなる次第でこうなってしまったか。
国際慣行として確立してきた旭日旗の掲揚
なるほど「旭日旗」は戦前戦中、旧日本海軍の軍艦旗であり、旧日本陸軍の軍旗でもあった。
遡れば、明治3(1870)年に使用された陸軍初の聯隊旗が16条の光線を発する日章を描いた「旭日旗」であった。それが同年、太政官布告により正式に「陸軍御国旗」と定められ、明治7(1874)年の太政官布告により「軍旗」と定められ、大東亜戦争の終結まで使用された。
他方、海軍は当初、日章旗を軍艦旗として使用していたが、明治22(1899)年 の勅令により、陸軍と同様に 16 条の光線を放ちつつ、日章がやや旗竿側に寄った「旭日旗」を軍艦旗と定めた(庄司潤一郎「自衛艦旗をめぐる議論に関する一考察」「NIDS コメンタリー第89 号」防衛省防衛研究所)。
戦後も、1954年に制定された自衛隊法施行令により、海上自衛隊の自衛艦旗及び陸上自衛隊の自衛隊旗(連隊旗)は、旭日の意匠を用いることとされている。それらの掲揚は、日本の法律上も義務づけられており、自衛艦旗は国際法上も国の軍隊に所属する船舶であることを示す「外部標識」として、その掲揚は国際慣行として確立している。
それが証拠に、今年、中国で行われた国際観艦式に際し、青島港に入港した海上自衛隊の艦艇も、昨年、パリで行われた軍事パレードに参加した陸上自衛隊の部隊も、それぞれ掲揚していた。パリでも、中国ですら、堂々と掲揚できる旗が、なぜか韓国では掲揚できない。
いや、その韓国でも、じつは1998年に行われた国際観艦式に際し、釜山港に入港した海上自衛隊の艦艇が、当然のごとく自衛艦旗を掲揚した。以下に、外務省資料が掲載した証拠写真を挙げておこう。
一度限りの出来事ではない。2008 年に韓国で行われた国際観艦式でも、当然のごとく海上自衛隊の艦艇は自衛艦旗を掲揚したが、とくだん問題視されなかった。
旭日旗は半世紀以上にわたり、自衛艦または部隊の所在を示すものとして、不可欠な役割を果たしており、国際社会に広く受け入れられている。戦後の自衛艦旗は昭和29年(1954年)以来、すでに65 年の歴史を有しており、じつは明治22年から昭和20年までの56 年に及んだ日本海軍の軍艦旗より、その歴史は長い。戦後何度も、国際援助協力活動のなかで掲げられており、国際的にも定着している。
それを国際観艦式で掲揚するな、というのは、実質的に自衛隊を招待していないに等しい。政府(海上自衛隊)が強く反発したのも当然である。この問題が、不幸な日韓防衛当局関係の始まりとなり、海自機への火器管制レーダー照射と続き、ついに日韓GSOMIAの破棄となった。失われたものは大きい。
旭日旗の成り立ち:日本特有の意匠ではない
そもそも旭日旗とは、いかなる性格のものなのか。
いわゆる旭日の意匠は、わが国の国旗である日章旗(日の丸)と同様、太陽をかたどっている。とはいえ、太陽から光線が放たれる旭日のデザインは、必ずしも日本特有のものではない。ベネズエラのララ州の州旗(1901制定)や米国アリゾナ州の州旗(1917制定)として、近年も、北マケドニア共和国の国旗(1995制定)やベラルーシ空軍旗(2001制定)など、世界で広く、類似のデザインが使用されている。
意匠の考案に日本人(青木文教)が関わったチベット国旗としても採用されており(1912年・大正元年)、現在もチベット亡命政府が国旗として使用している。旧ソビエト連邦時代に創設されたソ連空軍の軍旗や、グルジア共和国の国旗など、旧東側陣営の社会主義・共産主義国でも旭日の意匠は採用されてきた。
在日アメリカ軍でも、陸軍航空大隊や海軍の佐世保基地、第94戦闘攻撃飛行隊、第192戦闘攻撃飛行隊などの紋章として採用されている。
韓国がなんと言おうが、旭日は日本特有の意匠でもないし、いわんや「日本軍国主義の象徴」でもなんでもない。菅義偉・内閣官房長官が記者会見で述べたとおり、「これが政治的主張だとか軍国主義の象徴だという指摘は全く当たらない。大きな誤解があるのではないか」(2013年9月26日)。
漁師から朝日新聞まで…“縁起物”として多用
そもそも旭日旗の意匠は、古来より「ハレ」(晴れ、霽れ)を意味し、広く日本国内で長い間、縁起物として多用されてきた。
ちなみに、日本最初の勲章は旭日章であり、「旭日東天の意気を示す」ものとされた。今日でも、大漁旗や出産、節句の祝いなど様々な場面で使われている。Wikipediaの「旭日旗」ページには、「朝日新聞(大阪本社)の社旗」を含め、日本人に馴染みの深い実例が多数掲載されている。
蛇足ながら以前、拙著と論文でWikipediaを論拠としたところ、複数のネットメディアから激しく揶揄誹謗されたが、その手の向きには、Wikipediaが挙げた《『善悪児手柏』より『清盛入道』(安達吟光、1885年)》は、前出外務省資料でも、「この意匠は、日本国内で長い間広く使用されている」証拠として掲載されている事実を指摘しておこう。
その他、外務省資料には、「北海道新幹線の開通を大漁旗で祝う人々」や、「大漁旗を掲げながら帰還する避難漁船」の写真も掲載されている。
もはや日本人の閲覧読者に向けて、これ以上の証拠や説明は不要であろう。見てきたとおり、旭日旗をめぐる韓国側の主張は、なんら正当性を持たない。日韓防衛当局の互いに不幸な関係は、まったくの誤解、曲解に始まり、残念ながら本年11月23日に日韓GSOMIAの失効を迎えようとしている。
潮 匡人 評論家、航空自衛隊OB、アゴラ研究所フェロー
1960年生まれ。早稲田大学法学部卒。旧防衛庁・航空自衛隊に入隊。航空総隊司令部幕僚、長官官房勤務などを経て3等空佐で退官。防衛庁広報誌編集長、帝京大准教授、拓殖大客員教授等を歴任。アゴラ研究所フェロー。公益財団法人「国家基本問題研究所」客員研究員。NPO法人「岡崎研究所」特別研究員。東海大学海洋学部非常勤講師(海洋安全保障論)。『日本の政治報道はなぜ「嘘八百」なのか』(PHP新書)『安全保障は感情で動く』(文春新書・5月刊)など著書多数。