池田信夫氏の「共産党は普通の政党」論
日本の極めて高名な評論家で、株式会社アゴラ研究所所長の池田信夫氏は、12月30日付け「アゴラ」で「日本共産党は今や『普通の政党』である」と主張しておられる。
その理由として、(1)合法的な政党である、(2)暴力革命をめざしていない、(3)自衛隊違憲は憲法学者の多数意見と一致する、(4)自衛隊解消はかつての社会党も主張した、(5)日米安保破棄も同様である、(6)天皇制に代わる共和制も一つの選択肢である、(7)民主集中制も未来永劫続かない、(8)政策も普通になりそれほど恐れるべき政党ではない、を挙げておられる。
「合法的な政党」について
確かに、日本共産党は、少なくとも現時点では、現行憲法をはじめ公職選挙法や政治資金規正法などを守り選挙活動や政治活動等を行ってはいるであろう。その意味では現時点では「合法的な政党」と言えよう。
しかし、ナチス党(「国家社会主義ドイツ労働者党」)も政権を獲得する前は「合法的な政党」であった。ドイツ・ワイマール憲法下において、「議会制民主主義制度」を利用し、「合法的な選挙」で政権を獲得するや、数百万人のユダヤ人虐殺をはじめ、「全権委任法」による全体主義的独裁政治を行ったのはナチス・ドイツである。
したがって、現時点で「合法的な政党」か否かは絶対的規準ではなく、少なくとも日本においては、現在及び将来にわたって、現行の日本国憲法体制の根本である「議会制民主主義体制」を擁護し遵守する政党であるかどうかが、「普通の政党」の重要なメルクマールと解すべきである(2019年12月30日付け「アゴラ」掲載拙稿「日本共産党は革命政党であり、普通の政党ではあり得ない」参照)。
「暴力革命をめざしていない」について
確かに、日本共産党の現綱領を見れば「暴力革命をめざす」とは書かれていない。
しかし、共産党は党規約2条で「科学的社会主義」(「マルクス・レーニン主義」)を理論的基礎としている。マルクス・レーニン主義即ち共産主義の核心は「暴力革命によるプロレタリアート独裁の樹立」である(マルクス著『ゴーダ綱領批判』、レーニン著『国家と革命』)。
プロレタリアート独裁の本質は、社会主義革命に反対する反革命勢力を暴力で抑圧・殲滅する労働者階級の権力であり、その実態は「共産党一党独裁」である(レーニン著・前掲書、同『プロレタリア革命と背教者カウツキー』、スターリン著『レーニン主義の基礎』)。
したがって、仮に、共産党が「暴力革命をめざさない」とすれば、マルクス・レーニン主義からの明らかな「逸脱」であるところ、共産党は「敵の出方論」という名の「暴力革命」を放棄せずに堅持しているのである。
「敵の出方論」とは「革命が平和的か暴力的かは敵の出方による」(宮本顕治著『日本革命の展望』、不破哲三著『人民的議会主義』)という共産党の戦略戦術である。敵即ち反革命勢力の出方次第では暴力を排除しないのであり、正に「暴力革命」の一形態に他ならない。
池田氏は「共産党は1976年に綱領からプロレタリア独裁を削除した。社会主義をめざす権力を暴力革命と解釈できない」と言われる。確かに、共産党は1976年の第13回臨時党大会で「プロレタリアート執権」の用語をやめて、「労働者階級の権力」とした。さらに、2004年の綱領では「社会主義をめざす権力」に改めた。
しかし、単に名称を変えただけであり、プロレタリアート独裁の本質と内容は、「社会主義をめざす権力」として、現在も放棄せずに堅持していることを看過すべきではない。
共産党は「普通の政党」になれるか
池田氏の論稿の趣旨は、共産党が「普通の政党」になってほしいとの願望にあると解される。筆者も同じ思いである。しかし、共産党が党規約2条で党の理論的基礎とする「科学的社会主義」(「マルクス・レーニン主義」)を完全に放棄しない限り、「普通の政党」には到底なり得ないと言う他ない。
加藤 成一(かとう せいいち)元弁護士(弁護士資格保有者)
神戸大学法学部卒業。司法試験及び国家公務員採用上級甲種法律職試験合格。最高裁判所司法研修所司法修習生終了。元日本弁護士連合会代議員。弁護士実務経験30年。ライフワークは外交安全保障研究。