私は、竹森くんが引用している「東洋経済」の記事の中で、需要喚起型の構造改革の余地があることを示す例として、医療・介護分野に確かに言及したけれども、「医療を日本のリーディング産業にする」といった壮大な主張をした覚えはない。
もちろん、私も製造業で食べていける時代が長く続くなら、それは幸いだし、製造業で食べていける限りは製造業に頼ってもいいと考えている。しかし、(中略) 輸出型の製造業に頼っていれば何とかなる、という局面ははやくも終焉しつつあるのだ。本来なら、稼ぎ頭の製造業がしっかりしている間に、製造業のほかにサブとなる産業をいくつか育ててこなければならなかったはずだったが、結局のところ日本は、これに失敗した。
と書いていて、どれか1つで輸出型製造業の代わりができる産業がありえるという見方は否定している。サブとなる産業の候補の1つには、医療産業も含まれるし、金融サービス産業にも候補になってほしいと考えている。
また、
もちろん、誰もがリーズナブルな価格で医療サービスを受けられる国民皆保険制度を否定するつもりは毛頭ない。しかし、今の日本はお金持ちですら満足な医療が受けられないのが現実だ。いわば「貧者の共産主義」をやっているような側面があって、これでは、供給不足の解消もまるで進まない。
もう少し市場メカニズムを取り入れて、病院が現実の需要に合った形で設備投資できるように環境を整えれば、医療サービスがもっと豊富に提供されるようになり、新たな需要も喚起されるはずだ。
と書いている。どうして「否定するつもりは毛頭ない」と明記しているのに、「これまでの国民皆保険をベースとした医療制度とはまったく別の医療制度を考えて」いるかのように決めつけられなければならないのかも理解できない。
もし「もう少し市場メカニズムを取り入れ」ることも否定するような経済学者がいるのであれば、池尾・池田本のp.223で「日本の経済学者の品質保証はしかねるところがある」といっておいて正しかったことになる。そもそも、診療報酬を国が決め、予算総額をコントロールするといったやり方こそが、市場メカニズムを否定した典型的な統制経済的手法だというのが分かっていないのかな。
これらとは別に、現在の日本の人口構造動態を踏まえると、医療・介護等の分野への資源配分を拡大しなければならないと私が考えていることは確かである。そして、これが単なる国民負担の増大になるだけではない道を模索すべきだと考えている。このあたりの詳しい理由については、2002年に出版された島田晴雄氏と吉川洋氏の共著『痛みの先に何があるのか』(東洋経済新報社)とかに譲りたい。
なお、私は、この本の書評を「朝日新聞」(2002.9.29)に書いたので、参考までに以下に再掲しておく(最近になって急に言い出したのではないのだよ)。
小泉政権の進める構造改革については、「痛み」の先の姿が見えないという不満がある。また、構造改革は供給力を強化しようとするものだから、需要不足を拡大し、景気回復にはつながらないといった批判もある。本書は、政策現場に参画して、構造改革に直接に取り組んでいる経済学者二人によって、こうした不満や批判に応えるために書かれたものである。
不況で需要不足だといっても、確かに在来型の供給に対する需要は乏しくなってきているが、逆に供給不足とみられる分野も少なくない。例えば、医療サービスを受けようと思ったら、三時間も待たなければならないような状況がある。公立・認可保育所に入れず順番待ちをしている待機児童が、全国で数万人いる。あるいは、介護サービスを必要とする高齢者の数が急増していくことが見込まれるのに、介護施設のキャパシティは不足している。
むしろ問題は、日本の供給構造が高齢成熟社会の需要構造に対応したものへと転換していないことにある。それゆえ、現在の人々の潜在需要(=ウォンツ)を顕在需要(=ニーズ)に転化するような企業・産業の活動が活発になれば、新たな成長フロンティアを開拓することができる。そうした企業・産業の活動に対する制約を取り除き、促進しようとするのが、著者達のいう「需要創出型の構造改革」である。
いまの日本には、モノはあふれているけれども、豊かさ、ゆとり、健康、安心などの面で大きく何かが欠けている。そうした欠如が、人々の将来の不安を強め、消費を抑制している。この点で、生活者の直面している不安は、よく言われる年金不安などよりも、切実で現実的なものであるという著者の指摘は、具体的で鋭い。
こうした不安の解消につながる医療、健康、住宅、環境といった分野に、大きな潜在需要がある。しかし、潜在需要に対応しようとする動きは、放っておいただけでは既得権の壁に阻まれて進まない。そのために構造改革が不可欠であることを本書は、きわめて説得的に示しており、将来に明るさを感じさせてくれる。
定義的に、経済成長率=労働生産性上昇率+労働人口増加率、である。今後、わが国では労働人口増加率は趨勢的にみて-0.7%くらいになると見込まれる。要するに、1%成長を維持するためだけでも、年率1.7%の労働生産性の上昇率が確保される必要がある。これは、決して容易なことではない。とくに医療・介護等の福祉産業で、継続的な労働生産性の上昇を実現していくことは相当に困難な課題である。だから、構造改革が必要になる。統制経済的な手法を続けて、予算配分を増加させるといったことでは、決して労働生産性は改善しない。
「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」(赤の女王)
コメント
>統制経済的手法を続けて、・・・
池尾さんは日本がその手法を脱することができるとみてらっしゃいますか?
できるのであれば、どのような過程を経てそうなると考えてらっしゃいますか?
それとも絶望的だけれども言わなければ始まらないから言うのだということでしょうか?
私は、「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなものだ」(アラン)という言葉を気に入っており、楽観主義的な観点から何が望ましいかを書いています。
ホッとしました。
実は池田さんや池尾さんが主張されていることと違う方向に現実が流れていくさまを見るたびに、金融機関に勤めている私が現場で感じ続けている諦観が益々外堀を固められていくようで、心折れる危険性を感じています。
パターナリズムがこの事態をもたらしていることは20年ほど前から感じていました。そして、それが時代にそぐわないから遅かれ早かれ倒れるとも。しかし、現実は遅々として変わらないとも感じている。
前総務大臣の言動などをみると、世界不況に乗じてまたパターナリズムが大手を振って歩き始めたのではないかという不安がよぎる。
だけど、池尾さん、意志あるところに道ありですよね。