“家族は生活をともにし、仲良く暮らすもの…”
何となく、このような価値観が定着しているような気がします。
もちろん、家族は仲がいいほうが良いに決まっています。特に子どもにとって家族の存在感はとても大きいものです。家庭は子どもにとって身体的にも心理的にも安全な場であるべきだと言えます。
このような“良識”ある大人たちの価値観を反映してか、「家族は仲良く」という絶対ルールのようなものがこの世に漂っているように思えます。
価値観どおりでないご家庭は意外と多い
私はこのような価値観を問い直したいわけではありません。むしろ、この価値観が広く実現することを願っています。
しかし、この価値観どおりでないご家庭も少なくないことをご存知でしょうか?
2005年の女子大生を対象にした研究では、心理的に深刻なレベルの親子関係が意外と多いことが示唆されています。たとえば、7%強の方が母親に拒絶されていると感じ、同じく14%強が侵入的(プライバシーや主体性をないがしろにする)と感じ、36%強が自分に無関心と実感していました。
この研究では父親は母親ほど拒絶的ではないと示唆されているものの、自分にとって安全な存在ではないと感じる方が13%強いました。
また、家庭生活への不満は一般に女性の方が高いことが知られていますが、子どもはそれをわかっていることも示唆されています。
この結果をどう捉えるかはさまざまな考え方がありえると思いますが、少なくとも女子大生から見たご家庭は必ずしも仲良いわけではないと言えるでしょう。
「家族は仲良く」は時として“神話”になる
このように、全てのご家庭で家族仲良くが実現できるわけではないようです。
私たちは家族には多くの神話をかぶせています。たとえば、「母性本能」という神話です。
「子どもを生むと女性は母性本能が発動して子育てが喜びになる…」と長く日本では信じられてきました。
もちろん、子育てが喜びの女性もたくさんいます。しかし、「母性本能」という存在が不確かな何かを拠り所に、女性に育児を押し付けていた側面もあるようです。
同様のものには「3才児神話」もあります。不確かなエビデンスをもとに「3歳までは母親が…」と、早期の保育を価値下げする運動でした。
先程の研究を見る限り、一部の方にとっては「家族は仲良く」は神話に近いものかもしれません。自分は「神話的な価値観に添えない」としたら、あなたならどのような気持ちになるでしょうか?価値観から外れているわけですから、自分がなにか悪いもののような気がするかもしれません。何かの障害のようにも感じてしまうかもしれません。仮にそうだとしたら、悲しいことです。
女性タレントの告白
明るく元気な芸人・タレントとして名高い青木さやかさんが両親への葛藤を告白して話題になっています。親に認めてもらえないことがずっとコンプレックスで辛かったそうです。
元気や希望を届けるお仕事の方が、価値観どおりでない側面、言い換えれば「影」とも言えそうな体験を告白することはとても大事なことだと思います。なぜなら、「うちの家族は仲良くない」「私は親に認めてもらえない」と価値観に苦しんでいる方たちの勇気になるからです。
私が知る限り信頼できる統計はありませんが、「家族は仲良く」という価値観通り“何の確執もないご家庭”がどれだけあるのでしょう?臨床心理士としての私の印象ですが、意外と少ないような気がします。
人は自己中心的なので、ともに暮せば多少の不和はやむを得ない
人は本質的に自己中心的な生き物です。心は群れや社会を構成する前からその進化を始め、元々は自分自身の遺伝子を次世代につなぐという目的のために働いていました。
私たちは人に進化する過程で社会性を身に着けました。ただ、自己中心的な脳も私たちの深層心理ではずっと活動しています。生活をともにする中で気持ちの行き違いが生まれないはずがないのです。家族においては多少の不和があるのは当然のことと言えるでしょう。
「それでも生きている」ことは何よりも素晴らしいこと
家族は不和を抱えやすいものです。「家族は仲良く」はこのことを前提に、相互に不和を乗り越える努力で初めて達成できます。
ただ、人間も完全ではないので、努力が難しいこともあります。その中で、不和や家族の葛藤が根深くなるご家庭も少なくないようです。
「家族は仲良く」は素晴らしい価値観です。ただ一方でこの価値観どおりでなかった方々が、自信を失ったり、自分を悪いもののように感じて苦しむことがあってはなりません。
子どもにとっては「うちの家族は仲良くなかった」という実感は苦しいものです。ただ、その中で生きている、生き残っていることは素晴らしいことです。
私はそうやって生きてきたみなさんを祝福したいと思います。よく困難の中でがんばりましたね!ご一緒に、これからも生き残りましょう!!