遅くなったが、「メールがこれから引退する役目と続ける役目」に返信する。まず、阪上健生さん、僕の拙い記事に応えていただきありがとうございました。
メールの記述様式については、時候の挨拶も含めて、依然として保守的な様式が守られている。「ビジネスメール文例集」はHPや書籍になっている。これが「省略される流れになっている」というのは、前提として「十分なコミュニケーションの蓄積がある」からではないだろうか。FacebookやTwitterでこれらが省略されるのは当然で、Facebookは形式的なメッセージ様式を必要としない継続的なつながりが既に出来ているからだ。Twitterはそもそもそんなものを前提としたサービスではない。
メールの記述様式は「疎なコミュニケーション」を円滑に進めるためには相変わらず利用され続けると思う。この様な疎なコミュニケーションを超えて、万人が最初から親しくコミュニケートするというのは期待されるイノベーションだと思うが、人と人のコミュニケーションがそんなに急激に変わるとも思えないので、メールのような保守的なコミュニケーションツールが王道を譲ることは先の話なのではないかと思う。
ニフティは確かに今のSNSに比べるとユーザ数は少なかったが、Windows95以前で200万人という会員数はパソコンユーザに対する利用者比率で考えると相当多かったのではないかと思う。決して「コンピュータおたく」だけではなく、様々な趣味の、決してコンピュータが得意とは言えない人も多く参加していた。所謂「電子計算機」としてのコンピュータはそのインプットもアウトプットも独立して行われるが、ことパーソナルコンピュータに関して言えば、それを使ってコミュニケートするというのは利用目的の大きな部分を占めていた。実際、僕もパソコンを購入して直ぐにニフティサーブを始めた。僕はデザインや編集の仕事で使っていたので、そこに限定すればパソコン通信をする必要はなかったが、それでも趣味のコミュニティ参加のために利用したものだ。
だから、何故ニフティサーブがmixiになれなかったのか?という思いは強い。
話はそれたが、そんな中でも利用されるニフティのサービスではメールが多かった。携帯でも利用されるサービスでメールは主要な部分を占める。そして、メールはサービスプロバイダ間をまたいだメッセージ送信が出来る点が魅力的なのだ。Facebook-Google+間でメッセージ互換がされるとしたら、それは”枯れた”メールのプロトコルだと思う。全てのサービスが統合されて一つのサービスプロバイダが提供するものにならない限り、やっぱりメールは残るのだと思う。
ただ、メールの利用シーンは変わっていくと思う。メールがメッセージを送る手段ということから一つ進歩した姿を考えてみるに、それは「アプリ」なのではないかと思う。ビジネスシーンでメールを送る場合、相手に作業してもらったり、教えてもらうといったものが多い。その作業のアウトプットや回答を入力するアプリをメールで送って、受信者はそのアプリで作業をしたり、回答を作成したりする。そういうアプリ型のメッセージ交換が利用されるようになるのではないかと思う。