こんにちは!黒坂岳央(くろさかたけを)です。
※Twitterアカウントはこちら→@takeokurosaka
最近、こんな声を見かけることがある。
「あの人コロナでちょっとおかしくなった」
「コロナでイライラする人が増えたな」
実際、コロナが人の精神を病む人が増えているらしい。プレジデントの記事で「激増中『コロナ鬱』を避けるための5つの予防法」というものがあり、それによると精神科医にかかった9割がコロナ鬱だという。
ある県内の精神科医の場合、3月下旬のある日に診察した患者68人中58人がコロナへの強い不安を述べた
なるほど、分かる。
「夏になっても収束しないだろう」
「現れてしまったコロナはもう消えない。今後はwithコロナで人類は生きていかねばならない」
こんな話ばかり聞かされ、先行き不安を覚えない人が少数派だろう。だが、不思議とコロナ前と気持ちが変わらない人もいる。筆者もその一人だ。この違いを考察してみたい。
コロナで明らかになったのは「引きこもりは才能」ということ。
ほとんどの人は引きこもりを体験したことはないだろうが、この強制引きこもりで精神科にかかる人が増えた(精神科通院68人中58人がコロナ相談)。
引きこもり耐性がない人大多数なところから、やはり人間は本質的に動物なのだなと感じる
— 黒坂 岳央@英語多読講師・経営者・作家・講演家 (@takeokurosaka) April 19, 2020
コロナ前と後で「生活の変化の大きさ」が関係か?
コロナは多くの人に不安を投げかけた。
それは静まり返った池の水に、大きな石を投じるようなデカイインパクトだった。「ドボン!」と音を立て、放り込まれた石は当然のように池に波紋を作り、我々は心を揺さぶられたのだ。コロナは瞬く間に地球のほぼ全土に広がり、もはやどこに住んでいても逃れられない。まさしく、コロナは人類に取り憑き、「不安」という精神攻撃をかけたのである。
だが、その波紋で精神が揺さぶられる人がいる一方で、何も感じず超然としている人もいる。両者の違いはどこから来ているのかを考えた。行き着いた答えは「アフターコロナの生活変化の大きさによるのでは?」というものだ。
コロナ前、多くの人は会社に出社し、友人とランチを食べ、飲み屋で肩を叩きあって話し、休日はBBQに出かけていた。だが、その生活は一変する。コロナの襲来で家から出られなくなり、人心交流の機会を奪われたのだ。
これまで当たり前にとっていた行動に大きく制約されてしまい、コロナ前と後とでは大きく変化が訪れたことになる。勤めていた会社も今後、潰れるかもしれない。いや、すでに失業した人も出てきている。現状も辛ければ、未来にも暗雲立ち込めているような状況だ。これで心を病んでしまったのだと思う。苦しい現状に耐えても、遠くに見える未来には更に暗雲が立ち込めているのだ。
だが、コロナ後もあまり心持ちが変わらない人間もいる。たとえば筆者もその一人だ。コロナ前から家族以外でリアルな人との交流はなかった。仕事もほぼ家でやっている。コロナの襲来を受けてもライフスタイルはほとんど変わらない。
メディアや広告関連のビジネスは売上が沈んだり、逆に上がったりするものがあって多少の変動はあった。だが、本業のフルーツギフトビジネスや、オンライン英語多読スクールの売上は幸いにほぼ無風だ。たとえば、筆者みたいにコロナの襲来の影響が仕事、プライベートにも少ない人にとっては、あまり心の負担がないのだろうと思う。
このようにコロナの前と後とで「生活の変化の大きさ」が関係しているのではないだろうか。変化が大きい人にとっては、慣れ親しんだライフスタイルが突然奪われ、一日も早く戻りたいと思うだろう。
先行き不安はムダ
これを言って、苦しんでいる人の救いになるかは分からない。だが、あえていうなら「これから先のことなんてどうせ誰にも分からないから、先のことは考えないほうがいい」というのは一つのアドバイスになるのかもしれない。「これからは確実にこうなる」と根拠なく断言する人がいるとすれば、宗教家か単なる無知のどちらかだろう。
今は暗い話が多いが、その逆に明るいシナリオも可能性としてゼロではない。対コロナへのメチャメチャ有効なワクチンができたり、弱毒化して終息に向かうかもしれないではないか。もしもそうなった場合、胃に穴が開く勢いで不安に苦しんだり、それを解消するために時間やお金のリソースを消費してしまった人は丸々損をすることになる。
コロナにあまりストレスを溜めない人、溜める人は割とハッキリわかれていると感じる。溜める側の人は「先行き不安はムダ」と理解し、不安を覚える行為…たとえばコロナ関連のニュースを一切見ないなどに努めるだけでも、精神的には楽になるのではないだろうか。