池田先生は常日頃から、「当面の雇用を確保するために『将来性がなく、生産性も低い産業分野』を保護し、これによって、国家レベルでの競争力強化に必要な『将来性があり、生産性も高い産業分野』への労働移転を阻害する政策」の愚を、繰り返し指摘しておられます。しかし、政治の現実は、この明らかな愚策を敢えて行わざるを得ない状況を作り出しています。私は現実主義者ですから、この両方を何とか両立させる方法がないかといつも考えてきました。今回はその具体策の提案です。
相当以前に、私はアゴラのブログで「光通信網を全国規模で建設すべし」という議論を展開しましたが、(ICT最先進国への道 – 何故「光通信網」なのか?)おそらく大方の人達は、これを「目先を変えた公共事業拡大策」として捉え、「めったに車の通らない高速道路の建設」と同じ次元の「税金の無駄遣い」として、冷ややかに見てこられたのではないかと思います。しかし、これは誤解です。
私がこの構想にこだわっているのは、「光回線網(ブロードバンド)」は、当初は電灯しか考えていなかったにもかかわらず、今や多種多様な家電製品をサポートしている「各家庭への電力線の施設」と同じで、「先行して施設することによって、多くの新しい需要が喚起される」という効果を信じているからです。
今やどんな過疎地に行っても、電力線が来ていないような家はないように、近い将来、「ブロードバンドがつながっていない家などは考えられない」ということになるのは確実でしょう。それなら、早い時点で、先行的且つ計画的に施設する方が経済的にも合理的であり、「とにかく何らかの経済刺激策が必要」と考えられている現時点こそが、そのタイミングであると考えたわけです。
(技術的には、「これからは無線の時代なのに、何で今更『光通信』なのか」と考えられる方も多かったようですが、この点については既に反論したことなので、ここでは詳しくは再論しません。私は長年無線通信の仕事をしてきた張本人ですから言えることなのですが、電磁波という物理現象は扱いが厄介なもので、「飛躍的に効率的な高速無線通信」などというものは、そう簡単・安価に実現できるものではありません。真の大容量通信を考える限りは、既につながっている電話線を単純に光ファイバーに変える方が、多くの場合はるかに合理的です。勿論最後の数十メートルは別の話ですが…。)
「長期的に見て、経済的に辻褄が合う投資」であり、「通信密度の低いところの不採算性を通信密度の高いところが補うメカニズム」が成り立つ限りは、この計画のために税金を投入する必要はありません。全国規模の電話線の施設が、「電話債券の発行」などの方法で税金を使うことなく実現できたのですから、この計画も、「政府保証付の長期目的債」を発行すれば、税金を使うことなく遂行可能でしょう。このような「未来志向の目的債」なら、私は自分自身でも海外の投資家に売り捌く自信もあります。
さて、前置きはこのくらいにして、本論に入ります。何故この計画が「目先の雇用確保」と「長期的な労働移転」に有効なのかということを説明したいと思います。
今、日本中には、膨大な量の「銅線をベースとした通信網」が施設されており、その規模は、日本列島には巨大な銅山が眠っているといわれるほどだと言われています。そして、この更なる拡充と保守のために、多くの工事会社が存在していて、そのそれぞれが多くの技術者や労働者を雇用しており、その多くは50歳以上の中高年層だと言われています。
しかし、旧来の通信網は既に飽和状態にあり、NTT東西による光通信網の新規工事も経済性の理由から頭打ちになりつつあるため、これらの工事会社とそこで働く人達は、仕事の先細りと人員削減におびえている状態です。
池田先生は、「これらの余剰労働力はソフトやサービス分野での新規労働需要が吸収すればよい」と言われるかもしれませんが、現実問題としては、昨日まで電柱に登って配線工事をしていた人に、明日からパソコンを使ってソフトのメンテナンスをやれといっても無理というものです。労働移転は、長い時間をかけてじっくりと計画的に進めていくのでなければ、あらゆるところで不幸な事態が起こります。
ところが、今、「何れはやらなければならなくなる筈の銅線から光ケーブルへの付け替え工事」を前倒しして5年間ぐらいの間に一気にやってしまうことにしたらどうでしょうか? このような工事に熟達している中高年の労働者は、5年間の仕事が保証されて、不況下でももはや雇用不安におびえる必要がなくなる一方、若い世代の労働力は、ブローバンドが可能にする種々の新しいサービス事業が、これからじっくりと時間をかけて吸収していくことになります。
こうすれば、現在の中高年層が安定した老後を送っているであろう5年後には、池田先生が力説しておられるような「労働移転」が、全国規模でスムーズに実現しているということになるのではないでしょうか?
私は基本的に市場原理主義者に近い考えを持つ人間ですが、時と場合により社会主義的な施策が必要となることを否定するものではありません。特に今はその時期だと考えております。そして、現在のような未曾有の不況下で、社会不安を回避しつつ産業構造の転換に対応する為には、私が提案しているような長期的な国家プロジェクトがどうしても必要な気がするのです。
私はどこかで何かを見落としているでしょうか?
(余談ですが、中国は世界有数の銅の消費国であり、現在その需要が更に急拡大している為、銅の地金の国際相場は急騰している由です。世界有数の地下銅山を持っている日本は、上記の施策によって、相当の外貨も稼げるはずです。)
松本徹三
コメント
現実的ですばらしいアイディアだと思います。
>>昨日まで電柱に登って配線工事をしていた人に、明日からパソコンを使ってソフトのメンテナンスをやれといっても無理というものです。
まさにこの点が重要です。私は技術者の一人としてひとつの技術をある程度の安定感をもって使えるようになるには、その技術に触れてから大体5年、そのうちの3年は実務によって磨かれなければ使い物にならないと感じています。
結局、雇用流動化のネックは正社員の利権より、こちらの方が問題なのです。仕事を変えるためには技術を最初からやりなおさなければならないが、社会人を何十年もやってきた人間が、また新人同様に扱われるのには自尊心が許さないでしょう。
ITなら若い人の方が得意ですので、たとえば28歳ぐらいの経験者を先生としなければなりません。45歳の社会人がです。この行為は45歳の方にとって大変困難であるというのはわかると思います。
日本人はいまだ年齢にこだわりますから、下手をするとうつ病のような精神障害になりかねません。
このあたりのコスト、問題点を考えれば今までやってきたことに、近いところで、先端技術にかかわる仕事を提供するのであれば、とても現実的だと考えます。
疑問点
1.光ファイバーブロードバンドに変更すると料金が大幅にアッ プします。集合住宅だと安いですが年寄りが殆どの過疎 地の一戸建てで、わざわざブロードバンドを希望する所帯 がどの位あるでしょうか。
2.通信網メンテナンス会社の雇用を心配されてますが、5年 間で工事が終われば再度仕事がなくなります。東京都下 水道局の職員の仕事が下水道普及が100%近くの段階 で無くなりそうに成った時、洪水予防の巨大地下貯水池、 排水トンネルを建設し始めたのと発想が似ています。
3.銅資源のリサイクルを唱えていらっしゃいますが、電話線 を人海戦術で回収、再生した場合、精錬銅を購入するより 安くなりますか。
今日の日経朝刊にローソン社長のインタビュー記事がでています。過疎地の人を地方の中核都市に移し、社会インフラは中核都市に集中すべきだと新浪剛史氏は述べています。限界集落やそれに近い集落にこれまで通り税金を投入することは不可能です。
hogeihanntaiさんのご疑問に下記お答えします。
1.我々の試算だと、既設の銅線を全て光に変え、端末の入れ替えまでやっても、電話代などは現行のままで維持でき、他の用途に使わなければ、追加コストは一切かからないようにすることが可能です。ユーザー価格とコストは別物ですが、既設の銅線をすべて光に変えてしまえば、二つのシステムをダブって保守する必要がなくなり、大幅なコスト削減になるので、コストを正直にユーザー価格に反映させれば、こう出来るということです。但し、先行損は覚悟し、長期で採算を取ることが必要です。
2.現在の雇用状況をみると、50歳以上が主力になっているので、仮に60歳定年とすると、5年で大きな自然減となり、その後も継続的な自然減があるので、5年後は保守関係の仕事だけでも十分吸収していけると思います。
3.銅線の撤去と光の施設は同時に行われますので、撤去の為の固有の費用は極めて小さくなるはずで、銅線ビジネスは十分成り立ちます
hogeihantai
>過疎地の人を地方の中核都市に移し、社会インフラは中核都市に集中すべきだと新浪剛史氏は述べています。
>限界集落やそれに近い集落にこれまで通り税金を投入することは不可能です。
過疎地・限界集落やそれに近い集落への行政サービスの実施は当地でも大きな課題となっています。特に降雪地でもありますので、除雪費用は大きな負担です。
今、市では面に広がった市域を中心市街地に集める施策を行っています。
それで山間部の各々の集落に平野部に、人々の移動を促す施策をうつ必要があると思います。
それは行政サービスのコストを計算し縮減できる分を個人補填することもあるでしょう。
“限界集落”の定義は人口の半分以上が65歳以上と言うものですが、これは当地のような地方だけに限りません。
これは昭和30年代から50年代に造成された大規模宅地であれば都会・地方を問わず、全国的な傾向です。
例えば多摩ニュータウン、大阪市の周辺部や千里ニュータウンの都市再生機構の賃貸住宅などにも局地的に”限界集落”が生じています。
これらにも”これまで通り税金を投入することは不可能です。”
それでここでも行政サービスの質が低くなるのを避けるための施策が必要となるでしょう。
>この計画も、「政府保証付の長期目的債」を発行すれば、税金を使うことなく遂行可能でしょう。
残念ながら、それは建設国債と全く同じものです。建設国債でファイナンスされた金は、なるほど税金から出たのではないですが、だからといって、後年の財政負担にならないわけでもない。
a inoueさんのコメントに対するお答え:
私が提案しているような「光通信公社(仮称)」が「親方日の丸」の放漫経営をやればそうなります。しかし、はじめから「プロの経営者」が緻密に企画し、「衆人環視」の中で厳しい経営を行えば、社債は確実に返済され、保証した国に負担がかかるようなことはありません。
ここで言う「プロの経営者」とは、現在のNTT東西から選りすぐられた人達を中心に、若干の異質の人達を加えたチームを想定しています。「光通信公社」そのものが、NTT東西から施設や人員を引き継いだ会社であるべきです。
何故経営が成り立つかといえば、下記理由によります。
1)工事が計画的に一括して行われるので、安くつく。
2)銅線のシステムを完全廃棄して、「二つのシステムの同時運営」を回避すれば、OPEXが大幅に削減できる。
3)営業コストが実質的にゼロに出来る。
4)完全に独立した経営の下で、効率的な人事・労務管理を行える。
銅線に代わり光ファイバーが全国津津浦浦まで普及すれば、地上デジタル放送は不要になりませんか?光ブロードバンドで充分デジタル放送は可能になるのでは?両方ともインフラを整備するのは壮大な無駄使いと思うのですが。
hogeihantaiさんの言われる通りです。大金をかけてデジタル放送が受けられるようにしても、双方向のインターネットが出来ないと、いつまでも情報後進地域にとどまってしまいますが、光ブロードバンドが先に開通すれば、デジタル放送などはその一部としてこなせますから、二重投資をする必要はなくなります。「大は小を兼ねる」です。日本がIT立国を志向するなら、それぞれの思惑で個々の分野を議論するのではなく、先ずユーザーの視点に立って、全てを俯瞰したマスタープランを作るべきです。
仰られている方策は、結局のところ「50歳以上の既存中高年技術者」の雇用を保証するに過ぎないのではないのでしょうか?「仕事の先細りと人員削減におびえている」だけで自ら進んで動こうとしない体質こそが、正に池田さんの言うところのゾンビ企業と呼ばれる所以だと思っています。
また、光ネットワーク下での新規サービスに期待するのであれば、ベンチャー市場の建て直しの方が先決のように思います。限界集落にブロードバンドを引き込んだところで、そこの住人がネットに大金を落とすとは思えませんし、メンテナンスコストなどで返って採算が悪化するのでは?
satahiro1さんの指摘されているように、既存行政サービスの安価な代替手段として用いるのなら、光の全戸引き込みのも十分にアリだと思いますが。