バイデン米新大統領は今月19日から開催される欧州最大の外交、防衛問題の国際会議「ミュンヘン安全保障会議」(MSC)に出席する。会議は対面ではなく、オンラインで行われるが、バイデン氏にとって大統領就任後、最初の国際会議だ。トランプ前米政権でぎくしゃくしていた米国と欧州の関係改善に積極的に乗り出すのではないかと期待されている。
主催者側のMSCによると、19日から21日の3日間の日程で開かれる同会議には、欧州連合(EU)のフォン・デア・ライエン委員長、北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長、グテーレス国連事務総長、バイデン政権で気候変動対策の大統領特使を担当するジョン・ケリー氏(元国務長官)らの演説が予定されている。
主要テーマはバイデン新政権と北大西洋同盟諸国との関係改善だ。また地球温暖化対策、新型コロナウイルス問題なども含まれる。新型コロナ感染問題では、世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長、マイクロソフトの共同創業者兼元会長兼顧問のビル・ゲイツ氏がスピーチすることになっている。
ハイライトはバイデン大統領と欧州の盟主ドイツのメルケル首相との初顔あわせだ。メルケル首相はトランプ前大統領とは良好関係からは程遠く、冷たい同盟関係に終始してきた。移民・難民問題でも壁を建設するトランプ政権に対し、メルケル首相は難民歓迎政策を実施するなど、両者の間には政策でかなり違いがあったからだ。
それだけではない。駐独米軍の撤退問題から、ドイツとロシアとの間で締結されたロシア産天然ガスのパイプラインの建設問題(「ノルド・ストリーム2」)まで、政策、見解の相違が明らかだった。それだけに、昨年11月の米大統領選で民主党のバイデン氏が当選すると、メルケル首相はいち早くバイデン氏の当選を祝し、「欧州と米国の関係の正常化」へ希望を吐露している。
それではバイデン氏になって、米独関係、米・北大西洋同盟諸国との関係は急速に改善されるだろうか。バイデン氏は4日、国務省での就任初の外交政策について演説し、その中で駐独米軍の削減計画の凍結を表明している。トランプ前大統領はドイツ駐留の米軍の縮小計画を明らかにしていた。米軍は約3万4500人の兵力をドイツに駐留させてきたが、9500人減らし、2万5000人とするというものだ。トランプ前大統領は昨年6月24日、その一部をポーランドに再配置する意向を明らかにした。
軍事費の増額や欧州の自力防備の強化を要求するのはトランプ前大統領が初めてではない。米国はジョン・F・ケネディ大統領時代(在任1961~63年11月)に既に米国はドイツ側に要求してきた。冷戦が終焉した今日、米国が欧州に自力防衛の強化を訴えてきたわけだ。その流れはバイデン氏がホワイトハウス入りしたとしても大きく変わらないだろう。
ちなみに、トランプ政権下でも駐独米軍の縮小には与党共和党の間にも反対があった。駐独米軍は欧州だけではなく、ロシアや中国の影響が強くなってきた中東、アフリカに対し、米国の戦略上の利益に資する。駐独米軍の規模縮小はロシアへの抑止力を弱め、NATO加盟国が集団安全保障に対する米国のコミットに疑いを持つ契機ともなるからだ。だから、駐独米軍の一部撤退は米国の安全にもかかわる問題だというわけだ。
なお、バイデン大統領はロシアのプーチン大統領と2月5日に期限切れを迎えた米ロの新戦略兵器削減条約(新START)の5年間延長を決定したばかりだ。
NATO加盟国は2014年、軍事支出では国内総生産(GDP)比で2%を超えることを目標としたが、それをクリアしているのは現在、米国の3・5%を筆頭に、ギリシャ2・27%、エストニア2・14%、英国2・10%だけで、その他の加盟国は2%以下だ。ドイツの場合、防衛費は年々増加しているが、昨年はGDP比で1・38%に留まっている。バイデン新大統領も前政権と同様、NATOの防衛費の公正な負担を求めるだろう。
「ノルド・ストリーム2」問題では、メルケル首相は単に米国からだけではなく、与党「キリスト教民主同盟」(CDU)内からも「建設中止はやむ得ない」といった意見が出てきている。ロシアの反体制派活動家ナワリヌイ氏の拘束に抗議して、欧州議会はドイツとロシア間で進めているロシアの天然ガスをドイツまで海底パイプラインで繋ぐ「ノルド・ストリーム2」計画の即時中止を求める決議を賛成多数で採択したが、メルケル首相は「ナワリヌイ氏の問題と『ノルド・ストリーム2』計画とは別問題だ」として、続行する意向を明らかにしている。
ロシアの天然ガスをバルト海底経由でドイツに運ぶ「ノルド・ストリーム2」の海底パイプライン建設問題で、トランプ前政権は「欧州がロシア産のエネルギーに依存を深めることは欧州全土の安全問題にとって危険だ」として、ドイツ側に計画の見直しを強く要求してきた。
欧州は昨年12月30日、中国との間で「EU中国投資包括協定」(CAI)に合意した。同協定はEUと中国間の協定だが、中国はドイツがEU議長国である昨年下半期での合意を願ってきた。同協定によると、「中国側は欧州企業の中国市場へのアクセスを改善し、政府補助金に関する情報の透明性を高め、欧州企業の知的財産の中国本土への強制移転といった差別的習慣を撤廃する」という。
ドイツのシンクタンク、メルカートア中国問題研究所とベルリンのグローバル・パブリック政策研究所(GPPi)は2018年1月5日の時点で、「欧州でのロシアの影響はフェイクニュース止まりだが、中国の場合、急速に発展する国民経済を背景に欧州政治の意思決定機関に直接食い込んできた。中国は欧州の戸を叩くだけではなく、既に入り、EUの政策決定を操作してきた」と警告している。
ドイツのホルスト・ゼーホーファー内相は昨年7月9日、ドイツの諜報機関、独連邦憲法擁護庁(BfV)の2019年版「連邦憲法擁護報告書」を公表した。388頁に及ぶ報告書の中で、同内相は中国の諜報、情報スパイ活動に対して異例の強い警告を発した。
BfVの報告書では「習近平国家主席が政権を掌握した2012年11月以後、諜報・情報活動の重要度が高まった」と指摘、習近平主席は情報活動を中国共産党の独裁政権の保持のために活用してきたという。中国はドイツで先端科学技術分野で独自技術を有する中小企業にターゲットを合わせ、企業を買収する一方、さまざまな手段で先端科学情報を有する海外の科学者、学者をオルグしている(「千人計画」)。その目標はロボット技術、宇宙開発など先端分野で中国が超大国となるという習近平国家主席の野望「中国製造2025」戦略(MadeinChina2025)の実現だ(「独諜報機関『中国のスパイ活動』警告」2020年7月12日参考)。
バイデン新大統領は中国共産党政権に対しどのような政策を展開するだろうか。ブリンケン新国務長官は対中政策ではトランプ前政権のそれを継続する意向を表明している。バイデン新大統領は4日、初の外交演説の中で中国を「最も手ごわい競争相手」と評し、人権問題や不法な経済活動に対しては厳しい姿勢で臨むと述べる一方、「米国の国益と一致する限り、中国と協調していく」と主張している。
看過できない点は、バイデン新政権下で既にトランプ前政権の対中規制政策の一部が削除され、修正されていることだ。例えば、1月26日、中国政府系教育機関「孔子学院」との合意内容を開示するよう米大学などに求める連邦規則の計画を取り下げている。また、海外反体制派中国メディア「大紀元」によると、バイデン政権発足後の1月21日、米国務省のウェブサイトから「中国の脅威」、次世代移動通信網(5G)セキュリティらの問題が主要政策項目(PolicyIssues)から取り下げられたというのだ。バイデン政権下では多くの親中派関係者が入り込んでいる(「バイデン・ハリス組の『中国人脈』」(2020年9月11日参考)。
米国は北大西洋ではNATO加盟国を中心に、アジアでは日本、オーストラリア、インドと防衛協力を強化しながら中国包囲網を構築していかなければならない。バイデン氏は4日の外交演説の中で「米国は戻ってきた」と宣言し、同盟諸国との協調路線をアピールした。バイデン大統領の「米国」は本当に戻ってきたのか、それともまったく別の方向に行こうとしているのか。その答えを得るためにはもう暫く時間が必要だろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年2月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。