厚生労働省で数々の法整備に関わって退官された「ブラック霞が関」の著者の千正康裕さんは、「厚生労働省不祥事の本質」の中で、先だって起きた老健局老人保健課の送別会のクラスターの問題を分析しています。
「どうして課の職員はだれも止めなかったのか」という疑問に、「内向き志向」をあげています。外との関係でどうすべきだったか、という発想が完全に欠落していたとしか思えないと言います。
現在の厚労省は、ただでさえ忙しい業務がコロナ対応でさらに忙しくなって、体を壊す職員が増え、エース級の仕事のできる職員も離脱し、組織は完全に限界を超えているうえに、頻発する不祥事も重なっているそうです。
この「ブラック霞が関」では、その原因のひとつとして、倒産しないことの難しさをあげています。
役所の改革が進みにくい要因の一つに、会社と違って倒産しないことがある。倒産しないのだから、厳しい競争の中でビジネスをしている企業から見ると、楽でいいじゃないかと思うかもしれない。昔のように、仕事も忙しくなくて人員に余裕があればその通りだが、今のように忙しくて人が足りない状態であっても、事業を止められない苦しさがある。
たしかに、私が企業に入ったときは、バブルもはじけ、入社早々会社も潰れるのではないかと思って、公務員をとてもうらやましく思えましたが、延々と増え続ける仕事量を調整できないとなると、とてもたいへんそうです。倒産しないし、身分保障もあるし、企業とちがって人がほとんど入れ替わらないが故の「内向き志向」のようです。
そして、民間企業の場合だと経営が苦しくなってきていることが数字で如実に分かるので、経営層も危機感を持ちやすい。役所の場合は、そういう組織の存続可能性に関する数字が存在しないし、そもそも倒産するということが想定されていない。国会議員も官僚も国民も役所がなくなるとは思っていない。ここに、組織の危機感が共有されない背景がある。組織の危機感が共有されなければ、改革も進みにくい。
「内向き志向」ゆえの危機感の欠如だと指摘されています。たしかに、民間企業でも大きい組織だと「内向き志向」で危機感は共有されづらいと思います。それに対して、中小企業は規模で劣るので経営状態は実感できるし、大企業に対して安定性にも差があるのを分かっている分だけ、危機感が生まれやすいです。けれども、大きな組織になると、客観的には明らかに破綻しているのに危機感はなかなか生まれません。
地方自治体なら夕張市のように破綻することもあるかもしれませんが、中央官庁のひとつが破綻することを想像するのはむずかしそうです。
さらに、出世する人たちは能力が異常に高い人たちで、パワハラ耐性も強いので、現場で起きている様々な問題が表面化しないそうです。
かくして、スーパーサイヤ人みたいな人ばかりが上にいる組織になるのである。マンガ「ドラゴンボール」に出てくるとにかく戦闘能力の高い人である。もちろん職員の働き方に理解のある幹部もいるが、基本的には一人当たりの業務量の上限の基準が異様に高い人たちなのだ。
伝統的にパワハラ文化は存在するように思う。番付という名の、若手が作ったパワハラ幹部の番付があるくらいだ
とにかく、一度は行ってしまうと脱出できないと思われている組織なので、こういった理不尽がまかり通ってしまうのでしょう。さいきんの20代の職員の人の官庁への見切りは早いようですが。
こういう場合、現場の最前線の人たちは、負け戦だと理解しています。問題は、スーパーサイヤ人に当たる40歳代、50歳代の管理者たちなのでしょう。厚労省で出世するくらいですから、とても頭のよい人たちのはずです。けれども、どんなに優秀な人でも同じ組織に長く滞留しつづけていることが、いちばんの問題なのだと思います。その大きな歪みの表れのひとつが、老健局老人保健課の送別会のクラスターの問題だと思われます。
日本のしっかりとした組織の場合、現場に問題があるというケースはあまりないように思えます。問題の所在はマネジメント側です。組織と人のことをほんとうに考えているのなら、自分は切られてでも、若い層を引き上げなくてはならないときだと思います。
そのためにも、あらゆる組織は長くても30年くらいでリセットしたほうがいいのではないでしょうか。
霞が関だけでなく、組織について考えさせられる良著です。
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