東京オリンピックが閉幕した。デルタ株が猛威を振るう中での開催に多くの日本人が不安を覚え、反対した。だが、熱戦を目の当たりにし、大禍なく終わった今、開催を支持する声に変わった。
開催前の7月9日〜11日に読売新聞が実施した世論調査によると、回答者の41%が「中止」を求めたが、閉会式前後の8月7日〜9日の調査では「開催よかったと思う」と答えた人が64%に上った。
朝日新聞の世論調査も、開催前(7月17日、18日)の「反対」55%に対し、8月7、8日の調査は「開催してよかった」が56%と、同様の傾向であった。もっとも、開催をポジティヴに受け止めた人が過半数を超えたことが、同紙の見解にそぐわなかったのか、8月7、8日の調査結果を伝える朝日のヘッドライン(朝日デジタル)は『五輪、最も印象に残った競技は「卓球」』、日本選手の活躍についての調査結果に焦点を当て、「開催してよかったか、よくなかったか」を問う項目は「質問と回答」に改めてアクセスしなければわからないほど、軽視されていた。しれっと不都合な事柄を脇に追いやるなんて、さすが天下の大新聞だ。
オリンピック開催をめぐるポジティヴな変化は、選手たちの期待以上の活躍が影響したに違いない。わけても女性の躍進が目立った。金メダルに限ると、日本の27個のうち混合1つを除く14個を女性アスリートが獲得した。個人的にはボクシングの入江聖奈選手が印象深かった。
闘争心剥き出しのマッチョな男たちが殴り合うイメージの強いボクシングは、男性の牙城だ。オリンピックの女子競技は1900年パリ大会のゴルフとテニスに始まるが、ボクシングが女子に門戸を開いたのはそれから1世紀以上も後の2012年ロンドン大会であった(男女共同参画白書平成30年版)。この種目が如何に男性のスポーツと考えられてきたかがわかる。明るく、チャーミング、しかもリングの外ではごく普通の女子大生のようにみえる入江選手の活躍は、そのステレオタイプなイメージをあっさりと覆すものであった。
スポーツでは性別が明確に区分され、同じ種目でも男女が分かれて競技を行う。近年、男女混合種目が積極的に採用され、東京大会では18種目で実現した(第32回オリンピック競技大会)。それでも、男女がペアやチームになって競うだけで、男女という区分に揺るぎはない。ジェンダー平等を最上位の課題に掲げる今日のオリンピックであっても、男女の身体構造や能力の差異を考えると、やはり分けざるを得ない。タイムや距離、強度を競う種目は何であれ男性の記録が女性を上回り、女性に勝ち目はないからだ。
ところが、今回のオリンピックでは、伝統的な男女の区分に一石が投じられた。トランスジェンダーのローレル・ハバード選手がウエイトリフティング女子87キロ級に出場したことだ。国際オリンピック委員会(IOC)は、2004年トランスジェンダー選手のオリンピック出場を認め、2015年には「男性から女性に変わった選手は、過去4年以上女性であることを公言し、過去1年以上テストステロンの血中濃度が1リットル当たり10ナノモル未満であること」との出場資格を明示した(BBC NEWS Japan)。このため、トランスジェンダーの選手の多くはテストステロンを下げる薬を服用しなければならい。
イギリスのデータ(NHS South Tees Hospitals)によると血中濃度の平均幅は男性10~30ナノモル、女性0.7~2.8ナノモルなので、規定の10ナノモル未満は男性の基準値には及ばないが、女性としては明らかに高い。
テストステロンは男性ホルモンの一種で、筋肉の増量や強化を促す。運動能力を大きく左右する筋肉はアスリートには非常に重要だ。言うまでもなくハバード選手はIOCの規定を全てクリアしていたが、テストステロンの正確な値は明らかにされていない。仮に10に近ければ、女子アスリートとしては有利かもしれない。また、「男性として第二次性徴期を過ごした人は、骨密度や筋肉量が女性よりも高くなる」との指摘もある(BBC NEWS Japan)。当然、同種目で競合する他の選手から「不公平」だとの不満の声が挙がったという。
トランスジェンダーの選手に出場の機会を拓いたIOCの決定を積極的に評価する一方で、私はスポーツにおけるジェンダー問題の複雑さに頭がくらくらしそうになる。以前の投稿で述べてきたように、性自認のみならず生物学的にも、人の性を男女の2区分に還元し切ることはできない。ジェンダーの平等と包摂とは多様な性、性自認を受け入れ、性別二分論を否定することである。しかし、身体の構造や機能と直に向き合わざるを得ないスポーツにおいてその実現は容易ではないように思われる。