Changing the words
言葉を都合よく言い換えることで論点から逃げる
<説明>
「言葉の言い換え」は、問題の本質を隠すために、言説の言葉を言い換えることによって命題の論点を変更して、元々の論点への追求を回避するものです。偽りを信用させる存在であるマニピュレーターは、元々の自分の主張が偽であることを認めたくないため、あるいは論敵の主張が真であることを認めたくないため、ケースバイケースで論点を含まない言葉や論点以外の論点を含む言葉を使うことによって、論点を巧みに変更します。この「言葉の言い換え」は、しばしば「物は言いよう。何とでも言える」と批判されますが、この批判は妥当ではなく、実際には「言えない」ことを「言える」かのように偽っているのです。
■形式1
論者Aが言説SAを主張する
論敵Bが言説SAを否定する
論者Aが言説SAの論点を言い換えた言説SA’を主張する
論者Aにとって都合が悪い言説SAの存在が忘れられる
■形式2
論者Aの論敵Bが言説SBを主張する
論者Aが言説SBの論点を言い換えた言説SAを主張する
論者Aにとって都合が悪い言説SBの存在が忘れられる
<例>
<例1>
先生:A君、授業中に居眠りをするのはやめて、ちゃんと勉強しなさい。
生徒A:目を瞑っていただけです。話はちゃんと聞いています。
先生が論点としていることは、外見的に「居眠り」状態の生徒Aが授業をまっとうしていないことです。たとえ「目を瞑っていただけで話はちゃんと聞いている」としても生徒Aが授業をまっとうしていないことに変わりはありません。授業のプレゼンテーションは聴覚だけを前提とするものではないからです。なお、この例における授業は、義務教育の授業であることを前提としています(特殊なケースを除く)。義務教育でなければ、授業を聴かないのは個人の自由あり、その不利益の責任は個人にあります。
<例2>
妻:あなたまたゴミを出すの忘れたでしょ
夫:そんな何でもかんでも完璧を求めたら息が詰まっちゃうよ。
「ゴミを出す」ことは「完璧を求める」ことの一部であり、妻は夫に完璧を求めているわけではありません。
<例3>
女性A:私は結婚したら専業主婦になって夫に尽くしたい。
女性B:あなたは人生を男に消費される不幸な道を歩むことになる。
女性Bはフェミニズムを勘違いしています。女性Aが専業主婦になるのは義務ではなく個人の自由であり、幸福の可否は個人の価値観によります。このケースにおいても価値観次第では、夫が妻に人生を消費されることになる可能性もあります(笑)
<事例1>戦争法案
<事例1>衆・予算委員会 2015/04/01
福島みずほ議員(社民党):安倍内閣は、五月十五日、十四本から十八本以上の「戦争法案」を出すと言われています。集団的自衛権の行使や、それから後方支援という名の下に戦場の隣で武器弾薬を提供することを認めようとしています。詩を紹介させてください。
「明日戦争がはじまる」、宮尾節子。
「まいにち 満員電車に乗って 人を人とも 思わなくなった インターネットの 掲示板のカキコミで 心を心とも 思わなくなった 虐待死や 自殺のひんぱつに 命を命と 思わなくなった じゅんび は ばっちりだ 戦争を戦争と 思わなくなるために いよいよ 明日戦争がはじまる」。安倍晋三内閣総理大臣:我々が今進めている「安保法制」について「戦争法案」という名前を付けて、レッテルを貼って、議論を矮小化していくということは断じて我々も甘受できないと考えているわけで、真面目に福島さんも議論をしていただきたいなと本当に思うわけです。我々が進めている安保法制は、まさに日本人の命と平和な暮らしを守るために何をすべきかという責任感の中から、しっかりと法整備をしていきたいというものです。
福島議員:戦争法案、これは集団的自衛権の行使を認め、後方支援という名の下にまさに武器弾薬を提供するわけですから、戦争ができることになると思います。これを戦争法案、戦争ができるようになる法案ですから、そのとおりです。
福島議員は、法案の提出前の段階で「安保法制」を「戦争法案」と言い換えて非難しました。国際法で保障された「安全保障」と国際法に違反する「戦争」は論点が異なります。論拠不明な詩を朗読して感情に訴える行為も議論違反です。しかしながら、この後、この「戦争法案」という言葉に煽情された多くの国民が、感情を剥き出しにして「安保法制」に大反対することになります。
ちなみに福島議員は「テロ等準備罪」を「共謀罪」、「IR推進法案」を「カジノ法案」、「水道法改正法案」を「水道法改悪法案」、「働き方改革」を「働かせ方改革」といったように法案に対する言葉の言い換えを多数繰り返しています。レッテル貼りによる議論の矮小化は無意味であり、法案の成否は、論拠に基づいて個別に判断するのが論理的です。
<事例2>権力ゲーム
<事例2a>立憲民主党・両院議員総会 2017/10/24
枝野幸男代表:永田町の内側の権力ゲームに右往左往するのではなくて、あくまでも国民の側を向いて、国民のみなさんとともに歩むと。やはり永田町の内側の「数合わせ」「権力ゲーム」に我々もコミットしていると誤解をされれば、今回いただいた期待はあっという間にどこかに行ってしまうと思っておりますので。
立憲民主党の創設当時、その創設者である枝野代表は立憲民主党は永田町の「数合わせ」「権力ゲーム」には与しないと明言していました。しかしながら、しばらくすると「野党結集」「政党合流」という言葉に言い換えて「権力ゲーム」を展開したのです。
<事例2b>朝日新聞 2020/01/24
■枝野氏「合流で決まりと」 野党結集、拒んだ男の心中は
枝野氏が国民などに政党合流を呼びかけたのは臨時国会最終盤の昨年12月6日。国民の玉木雄一郎代表や社民党の又市征治党首らと会談し「より強力に安倍政権と対峙し、まっとうな政治を取り戻す。ともに戦っていただきたい」と求めた。
なお、「ゲーム」という和製英語は「遊び」の印象を与えます。枝野代表が言う「権力ゲーム」も「数合わせ」と同列な侮蔑の表現でしかありません。しかしながら、”game”の本質的意味は「一定のルールに基づく勝負」です。例えば【ゲーム理論 game theory】は【戦略 strategy】に基づいて行動する主体間の勝負の行方を数学モデルを使って推測する学問体系であり、むしろ「遊び」を推測するのは稀です。その意味で、民主主義の本質は、公正な選挙制度というルールに基づき、民意を力として勝負する「権力ゲーム」に他なりません。
<事例3>政治主導
<事例3a>フジテレビ『日曜報道』 2020/09/13
橋下徹氏:政策を決定した後に反対をした官僚を異動させるか?
菅義偉自民党総裁候補:私ども選挙で選ばれていますから、そういう中で、何をやるという方向を決定したのに反対するのであれば異動させる。
自民党総裁選の討論番組で菅候補は内閣人事局制度の継続を明言しました。これに対して立憲民主党・蓮舫議員はtwitterで次のように批判しました。
<事例3b>蓮舫議員 twitter 2020/09/13
選挙で選ばれてはいます。が、間違った政策を、間違った行政を誰も正さずに生まれたのが『忖度』でした。間近で見ていたのに、そこに気付かないのですか。
この当時、蓮舫議員は「政治主導」の制度を「忖度政治」と言い換えて批判を行っていましたが、政策方針の決定後に政策に反対する官僚を人事異動させるのは、行政組織のガヴァナンスを確保するにあたって必要不可欠な合理的行為であり、一般社会でも普通に行われていることです。組織の構成員が組織のルールに基づく指揮命令系統に従わなければ、組織のガヴァナンスは崩壊し、組織の存在意義自体がなくなります。党の決定に所属議員が次々と反旗を翻して崩壊した旧・民主党はその典型的な例です。
忘れてはならない事実として、そもそも、官邸が人事権を持つ「政治主導」をマニフェストに掲げたのは民主党政権であり、公務員の幹部人事の内閣一元管理を進めていた当時の担当大臣は蓮舫議員でした。
<事例3c>蓮舫内閣府特命担当大臣記者会見要旨 2010/12/07
内閣人事局は、まさに「政治主導」で幹部職の方たちの人事を一元的につかさどる、これは今年の通常国会で、残念ながらお認めはいただけませんでしたけれども、その考え方に基づいたものを、引き続き行っていきたいと思っています。
基本的には、私どもが新しい制度・組織を構築した場合には、人事院の役割というのは発展的解消に向かうと思っています。
公務員の幹部人事の内閣一元管理は、民意を行政の裁量権に反映する民主的な制度ですが、その推進者が制度の欠点を言葉を換えて批判するのはフェアではありません。
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