最近、コンサート会場で顔面認証を行っていると聞いたことがある。
チケットを購入した本人しか入場できないようにするためで、ダフ屋行為を閉め出すための方策だそうだ。
ダフ屋行為は禁止すべきだろうか?
このことを考える前提としてアリストテレスの配分的正義を紹介する。
配分的正義とは「各人が何らかの事物に対する自己の相応しさに応じてそれを比例的に持つことも目標とする」ものだ。
平易に言ってしまえば、「持つに相応しい人が持つべきだ」ということになる。
例えば、バイオリンのストラディバリウスのような名器は素晴らしい演奏ができる演奏家が持つべきで、大金持ちが応接室の展示品として持つのは間違っているということになる。
この配分的正義によると、コンサートチケットを手にするのに相応しい人は「コンサートを心から楽しめる熱心なファン」だということになる。
では、「コンサートを心から楽しめる熱心なファン」とはどういう人を指すのだろうか?
(昔のチケット売り場のように)チケット売り場の前で1週間くらい徹夜して並ぶ人たちだけが熱心なファンなのだろうか?
並ぶことはできなくとも、「100万円出してもいいから一度でいいからコンサートに行きたい」という人も熱心なファンとは言えないだろうか?
功利主義的に考えれば、コンサート会場全体を一つの社会とみなして、会場にいる人たち全員の満足度が最も高くなるようにするのが正しいということになる。
1週間徹夜で並ぶファンや100万円を出すファンが混在しても構わないだろう。
そうであれば、ダフ屋は100万円出しても入場したいファンの利益になっていると考えることもできる。
リバタリアニズムは自由意思に基づく取引は制限すべきでないという考え方なので、ダフ屋行為を制限すべきではないという結論になる。
そもそも、ダフ屋行為が禁止されたのは、戦後の食糧難の時代に配給券の買い占めを禁じることや、暴力団の資金源にならないようにすることが目的だった。
食料の配給券もなくなり暴対法が整備された今日、ダフ屋行為を規制する意味があるのだろうか?
いっそ、チケットの定価販売をやめてリバースオークションを行うべきだという考えもある。
リバースオークションとは、高値から競り落とす方法だ。
例えば、チケット枚数が1000枚だとすると、スタートが1枚100万円で10人応札すれば残りは990枚、90万円で20人応札すれば残りは970枚・・・というふうに高値を付けた人が優先的に購入できるシステムだ。
リバースオークションに対しては「金持ち優遇で不公平だ!」という反論があるだろう。
しかし、有名グループのコンサートを日本国中追いかけているファンがたくさんいる。
地方都市でコンサートが行われて地域のビジネスホテルが満室になり、学会が開けなくなったという話を聞いたことがある。
チケット代よりもはるかに高額な交通費や宿泊費を支払っている「お金持ち」のファンがたくさんいるのが現実だ。
また、ファンクラブの会費もチケットを取るための「積立金」だとすれば、これまた定価以上のお金でチケットを手にしていることになる。
アーティストとしては、日本中追いかけてきてくれるファンはありがたいが、大金を払ってでも一生に一度でいいから生で聴きたいという人たちや、コンサート開催地の人たちという、多様な人たちが来てくれた方が満足度が高まると思うのだが・・・。
編集部より:この記事は弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2022年11月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。