プーチン氏とキリル1世は「サタン」?

たとえその言動が気にくわないとしても、その人を「悪魔」(サタン)呼ばわりするのは賢明とはいえない。ウクライナ国家安全保障会議のオレクシー・ダニロフ書記官は28日、ウクライナ正教会指導部に対し、「モスクワから距離を置くように。ロシアと関係がないのならば、プーチン(大統領)を悪魔と呼ぶべきだ」と要求したのだ。

ウクライナ正教会関係者との内々の話し合いの場で要求したのではなく、テレビのカメラの前でそのように主張したのだ。

▲ドニエプル川から見たキーウ・ペチェールシク大修道院(洞窟修道院
ウィキペディアから、Norbert Aepli氏撮影

話を進める前に、ウクライナ正教会の状況を簡単にまとめる。ウクライナ正教会は本来、ソ連共産党政権時代からロシア正教会の管轄下にあったが、2018年12月、ウクライナ正教会はロシア正教会から離脱し独立した。その後、ウクライナ正教会と独立正教会が統合して現在の「ウクライナ正教会」(OKU)が誕生した。

ロシア軍のウクライナ侵攻を受け、キーウ総主教庁に属する正教会聖職者(OKU)とモスクワ総主教庁に所属する聖職者(UOK)が「戦争反対」という点で結束してきた。

ウクライナ正教会(モスクワ総主教庁系)の首座主教であるキーウのオヌフリイ府主教は2月24日、ウクライナ国内の信者に向けたメッセージを発表し、ロシアのウクライナ侵攻を「悲劇」とし、「ロシア民族はもともと、キーウのドニエプル川周辺に起源を持つ同じ民族だ。われわれが互いに戦争をしていることは最大の恥」と指摘、人類最初の殺人、兄カインによる弟アベルの殺害を引き合いに出し、両国間の戦争を「カインの殺人だ」と呼び、大きな反響を呼んだ。

その後、モスクワ総主教のキリル1世を依然支持するウクライナ正教会(UOK)は5月27日、全国評議会でモスクワ総主教区から独立を決定した。曰く「人を殺してはならないという教えを無視し、ウクライナ戦争を支援するモスクワ総主教のキリル1世の下にいることは出来ない」という理由だ。ロシア正教会は332年間管轄してきたウクライナ正教会を完全に失い、世界の正教会での影響力は低下、モスクワ総主教にとって大きな痛手となった。

上記のダニロフ書記官が「プーチンを悪魔と呼ぶべきだ」と要求したウクライナ正教会はUOKだ。ウクライナ側は、UOKはロシア正教会から別れ、プーチン大統領のウクライナ侵略を非難してきたが、依然モスクワと協力している、との疑いを持ち続けている。そのため、UOK関連の施設をこれまで数回捜索してきた。そして今回、ダニロフ書記官はテレビの前でUOKに対し、プーチン大統領、そして大統領の戦争を支持するロシア正教会最高指導者キリル1世を「悪魔」と呼ぶべきだと要求したのだ。

同書記官の要求は、世界的に有名なキーウ・ペチェールシク大修道院にある正教会の所在をめぐる論争の中から飛び出したものだ。ウクライナ指導部はUOKに対し、モスクワから距離を置くよう強く求めてきた。キエフの洞窟修道院に対する教会のリースは、年の変わり目に終了するのを受け、パヴェル・レベジ洞窟修道院長は、ウクライナのゼレンスキー大統領にリースの延期を求めてきた経緯がある。

ウクライナ戦争では、ロシア軍によるマリウポリの廃墟化や“ブチャの虐殺”など多くの民間人が虐殺されてきた。ウクライナ国民にとって、ロシア軍、そしてその最高指導者プーチン大統領は悪魔のような存在だ。その戦争を支持する精神的指導者キリル1世に対しても同様だろう。主権国家に一方的に侵攻し、戦争犯罪を繰り返すロシア側は侵略者と呼ばれても弁解の余地はない。

一方、キリル1世は低堕落の西側社会を「悪」と呼び、ロシアを正義として信者に「善悪の戦い」を呼び掛けてきた。キリル1世はロシアのプーチン大統領を支持し、「ウクライナに対するロシアの戦争は西洋の悪に対する善の形而上学的闘争だ」と強調し、西側社会の退廃文化を壊滅させなければならないと強調する。

中途半端な勝利は許されないから、戦いには残虐性が出てくる。相手を壊滅しなければならないからだ。ロシア正教会から離脱したウクライナ正教会に対し、モスクワでは「サタン宗教」と呼ぶ声が聞かれるほどだ。

ダニロフ書記官が今回、UOKに対し、ロシア側と同じ土俵に上がって「プーチン氏とキリル1世はサタン」と叱責したわけだが、賢明とはいえない。喜ぶのは、悪魔だけだ。紛争を不必要にエスカレートさせ、停戦の可能性を一層難しくさせてしまうからだ。それこそ悪魔の仕業だ。

いずれにしても、ロシアの戦争犯罪行為は国際社会の法廷で裁くべきテーマだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年12月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。