2022年、世界の最大の関心事と言えばロシアによるウクライナ侵攻で異論はないかと思います。では、プーチン氏は一体何を求めてこんな賭けに出たのでしょうか?氏は作戦当初はさっさと終わると思っていたでしょう。私もそう予想していました。が、状況は全く相違しました。そして今でもこの行方を予想するのは困難であります。
プーチン氏からはロシアのイデオロギーを拡大させるというスタンスはあまり見出せません。むしろロシアとウクライナは不可分で一体だったはずなのにウクライナがどんどん西寄りになっていくことが許されなかったということではないかと思います。一種の兄弟げんか。もちろん、NATOの東方拡大で緩衝地帯がなくなるという危惧もあったのですが、それは後発事象でしょう。
結局の落としどころはプーチン氏の保身にあったのではないかと私は思うのです。大統領のみならず絶対的権力のトップに就く者としてその基盤を強固なものにし、更に影響力を高め、国民から圧倒的支持を得ることは権力者にとって最高の美酒です。ところが、プーチン氏の国内政策は決して芳しくなく、ライバルを蹴落とすことでしか地位を維持できませんでした。氏としては国民を自分に振り向かせ、自身の手腕を内外に見せつけるためのパフォーマンスだった、そしてそれは簡単にゲットできるはずだった、これが詰まるところではないでしょうか?
全く同様のことが中国で起こりました。習近平氏は国家主席として慣例を破って3期目就任を果たしました。そのプロセスは敵対する派閥をことごとく潰すことでなし得、誰も立ち向かえない圧倒的権力を確保しました。習氏が全知全能の権力者であればそれは素晴らしいでしょう。しかし、習氏もまた一人間であります。我々と何ら変わらないのです。たまたま、高いところに上っただけです。ならば、間違いも犯すし、困苦も当然あるのです。今般のコロナ対策の180度方針転換は論理性がほぼありません。
習近平氏もプーチン氏も勘違いをしています。それは両者の地位は盤石の岩の上ではなく、下が透けて見えるような薄氷の上にある点です。プーチン氏の場合は情報が入らなくなってきています。つまり、何が起きているか見えないのです。一方の習近平氏には良い話しか耳に入りません。「忖度の糸電話」では末端の事実と習氏の耳に入る情報ではまるで違うものになっているのでしょう。
昔、愛新覚羅溥儀の映画を見た方もいらっしゃると思います。幼少の溥儀は紫禁城から出られません。その高い塀の向こうで何が起きているのか、全く知る術がなく、幼心の彼はかんしゃくを起こします。が、取り巻きは「どうぞご安心ください」と言い続け、その間に辛亥革命が起きるのです。似たような話は大坂の陣で籠城する豊臣方は外で何が起きているのか、真実がきちんと伝わらない中、必死で信じ続けていたあのシーンとも重なります。
国家による挑発とは信念というより「勝手な妄想」に近いのではないか、と思うのです。例えば中国は台湾を武力侵攻をするでしょうか?力による制圧などすれば中国は世界から厳しく弾圧されることは目に見えています。私が思いつくのは習氏のイデオロギーとしての台湾統一、そして3期目就任の国内向けの公約という自己保身でしかありません。では香港の衰退ぶりを習氏はどう説明するのでしょうか?
北朝鮮が複数の無人機をソウル付近にまで飛ばし、韓国軍はそれを打ち落とせなかったと報じられています。ウクライナでも同じですが、武器としてのドローンの威力は高額な戦闘機よりはるかに優れており、今後の武器はこれが主体になるとみています。誰も乗っていない、おまけに打ち落とされるぎりぎりまでデータは取得できる、コストも大幅に安いのです。北朝鮮が果敢にもソウル近郊までそれを飛ばしたことは重要視しています。
では北朝鮮は何を求めているのか、と言えば私にはロシアの理論と同じ、朝鮮半島の支配権だろうとみています。つまり、南北に分かれた両国はそもそも兄弟であり、その関係を維持するために弟に勝手な真似はするな、と脅しを入れているのだとみています。北朝鮮は朝鮮半島に於いて兄だという自負があります。経済成長では弟と比べる意味すらありませんが、弟の勝手な振る舞いは絶対に許さない、という訳です。
当然ながらアメリカのみならず、日本が韓国と仲良くすれば金正恩氏は面白くない、という姿勢を示し、更にミサイルを飛ばすことになるでしょう。一番怖いのは金与正氏で彼女はいわゆる感情が勝手にエスカレートするタイプで男性にある理性的制御がほぼ出来ず、あり得ない残虐性と無謀さを持ち合わせているように見えます。よって与正氏の発言、行動には特段の警戒が必要とみています。
国家による挑発とは「権力者の病気」だと思っています。歴史を振り返っても同じようなことが起きたのは権力者の暴走に端を発したものが多いのです。力ある指導者が民をカリスマ性で引っ張り上げることは美談として伝わります。が、美談と横暴は紙一重であるとも言えます。
私はそのような権力体制を作り上げた国家そのものに問題があると思っています。これらの国では国民自らが国家を作るという思想と行動を長年に渡り搾取されており、自分たちの国を作るという発想そのものがが無いのです。これはアラブの春と同じです。国家の宿命ともいえるのでしょう。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年12月29日の記事より転載させていただきました。