小幡績さんが書いた「小泉にあって橋下市長にないもの」それは竹中平蔵、という面白いコラムに刺激され、考えました。橋下市政より現政権の国政の方が問題を抱えているではないか、と。
政治の役割は「企画・議論」より「決断・実行」です。熱量でいうと1:9ぐらいの比重とみてよいでしょう。自民政権では、前者を霞ヶ関、後者を永田町が担当していました。正確には、「企画・議論・実行」を霞ヶ関、「決断」を永田町というところが実態。
しかし、戦後復興、安保紛争、中ソ国交、沖縄返還、オイルショック、政治の季節が過ぎ、政治家も小粒になるにつれ、霞ヶ関:企画・議論が永田町:決断・実行のパワーを上回りすぎ、バランスを崩していきました。
そのバランスをいったん引き戻したのが小泉ー竹中ライン。竹中さんは小泉さんを乗せ、企画を続けました。小泉さんは竹中さんに乗り、決断を続けました。そして、小泉政権は政治主導でしたが、実は官僚機構を巧みに使いこなし、企画から実行までを周到に進めて行ったのです。
民主党政権は「政治主導」というかけ声のもと、見かけ上これを推し進め、あえてバランスを崩し、企画・議論も決断・実行も全て永田町が仕切ることとしました。そして、それが裏目に出ました。政治主導を官僚排除と翻訳してしまったからですね。
そして民主党議員は頭がいいから、企画・議論が得意で大好き。そちらに体重がかかりすぎ、決断・実行ができないというぬかるみにはまったのです。企画・論議のたまものであるマニフェストを決断して、政権取得後に実行に移す!その頃の意気はよかったのですが、それにつまづいた後は、一から企画・議論を重ねています。
ぼくが携わる知財戦略も教育情報化も議論議論の繰り返しで、決断と実行が見えなくなってしまっています。党の会合などに参考人として呼ばれて行っても、議員たちから政策の有効性やらコスパやら質問を受けるのですが、えっ、その問題、まだ「議論」するんですか?要するに、まだ「やらない」んですか? という場面が多い。政府の審議会などでも同じです。
民主党の「民主」は「話合い」という意味で、コンセンサスに達しなければ動かず、と。でも民間が政治に求めているのは、「熟議より決議」なのです。小泉政権時は決断・実行が速かったので、ぼくは産官学の議論を!とあれこれ場作りを仕掛けたのですが、今は逆。もうわかったから速くやろうよ、の場面です。
橋下さんは逆にやみくもな決断・実行への偏重が批判の的ですが、同時にそれが支持される理由でもあり、いま政治的に正しいと思うのです。
橋下市政の企画を担うのが脱藩官僚ブレーンなのでしょうが、政治をも引き受ける「竹中役」がいないのがネックになり得るというのが小幡績さんの指摘。というより、橋下さんは、小泉さんのポピュリズムと、竹中さんのサンドバッグとを一身で引き受ける、という覚悟なのでしょう。それは小泉さんが竹中さんを乗りこなしたように、橋下さんがブレーンをどう使いこなすのか、その人材操縦術にかかっているのでしょう。
それよりぼくは、橋下さんにとって重要なのは、ウラで役人を取り仕切る「飯島秘書官役」だと思います。そういう強面の懐刀はいるのかな~?
なんてことをと考えていたら、飯島勲/大下英治「官僚」という書を見かけました。飯島さんの証言で、小泉長期政権と安倍福田麻生鳩山菅の短命政権の違いが浮き彫りになっています。何点かメモしておきます。
財務、外務、厚生など出身の4人の秘書官、5人の参事官からなる「チーム小泉」はほぼ毎日、首相・秘書官と昼食を共にしていたといいます。それが全省庁への司令塔だったと。つまり、官から民へ、の小泉政権が実に官僚機構の操縦にチームとして腐心していたということです。
飯島さんは言います。「官僚を道具として使いこなす手段は、働いた官僚を人事で報いること」。そのとおりです。いい仕事をした官僚を処遇すればよい。官僚排除を進めても動かないことは民主党が実証済みです。地震後の動きについて、自衛隊、警察、消防に加え「国土交通省、農林水産省、厚生労働省の迅速な動きをわたしは高く評価します。」こういう声は政権内から上がってくるべきものですね。
「官僚は国有財産。どんな大手企業のエリートよりも、人的なネットワークや情報量では霞ヶ関の官僚にはかないません。」かつてはそうだったんです。ところが、最近のバッシングや官僚排除で官僚は引きこもり気味。ネットワークが弱まってます。これは国有財産の毀損。
「事務の官房副長官にとって政策は二の次で問題は日程作り」だとして、副長官に仕事をさせず次官会議を廃止した民主党政権に疑問を呈しています。政策の企画は各省で行うが、どう決定・実行するかが政治。そのメカニズムを知らず走っても動かないということです。
飯島さんは言う。予算を作るには、都道府県締切、概算要求、本予算、通常国会のプロセスがあり、これを経験しているかどうかが官僚として重要。法律を作る場合、全省庁との調整、法制局協議、省議・閣議、与野党根回し、国会成立。「キャリア官僚とはこれだけの作業を1人でこなせる人種。」イエス。しかも、作る前には審議会や業界調整やマスコミ対策などうんと長いプロセスがあるのです。官僚出身ではなく政治の場から見て来た飯島さんの官僚評は客観性とリアリティーがあります。
ぼくは30代で役所を出ましたが、それでも、新法2本、法改正1本をリーダーとして担当しましたし、官房の審査役や駆け出しチーム員で参加した法律を合わせると20本ぐらいにはなります。それで得たのは、企画力より、へこたれない根性、一個一個潰していく足腰、のようなもの。ひとまとまりの政策を実現するリアリティーです。
繰り返しますが、政策作成は企画1:実行9ぐらいの仕事。WhatよりHowが重要です。9の仕事は官僚を使わないと進まないのですが、現政権は1も9も官僚排除でやりたがり、結果、1の仕事もできなくなっているように見えます。
ぼくも霞ヶ関を飛び出したクチですから、官僚機構への疑問は多々あります。しかし、官僚の仕事やメカニズムを知らず叩いても国益を損なう。飯島さんのように官僚のリアリティーを踏まえて、どう仕事をこなすか、それは国政でも市政でも同じでしょう。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2012年3月15日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。