難民として生きる覚悟はできているか?

さまざまな確率試算があるが、この数十年の間に新関東大震災ないし東南海大震災が起きない方が奇跡らしい。政治家たちは、財政再建だの、年金問題だの、あいかわらずごちゃごちゃやっているが、そんなの、末期ガンの宣告を受けた者が長期住宅ローン返済の心配をしているようなもの。関東ないし東南海が壊滅するほどの大震災となれば、国も、企業も、これまでのことのすべてがワヤになる。そして、大震災は、むしろじつは運良く生き残れた後の方が大変だ。日本の半分がダメになった状況では、他国を含め、どこか別のところで「難民」となって生きる道を採らざるをえない。


1979年、イスラム原理主義による反動復古的なイラン革命では、近代欧米的な思想と生活に親しんでいた中上層の知的な人々が、国外への逃亡を余儀なくされた。当時、日本はイランとビザ免除協定があったので、この国にも一万人以上が逃げ込んだ。ところが、この国では、彼らの高い教養や技能を理解できず、ただの喰い詰めた浅黒い人種の「難民」として差別し、庇護者無き単純労働力として酷使した。いま、日本で大震災が起き、我々がどこか別の地で「難民」となるなら、同じような厳しい処遇にさらされると覚悟しておくべきだろう。

先の東日本大震災では、まだ関東や西日本が健在で、支援することもできたが、新関東大震災が起こったなら、その被害は東日本の比ではない。現在の関東一都六県は四千万、総人口の三分の一。そのうち、新関東大震災でどれだけの人が亡くなるか、想像するだに恐ろしいが、すくなくとも東京はもはや首都ではなくなり、本社でもなくなる。およそ数百万人が「難民」となって、新たな生活の地を求め、国内外をさまよわざるをえない。

転職市場を考えてみたらいい。言うまでもなく、農業・漁業など、他の地へは持って逃げられない。経営者だの、管理職だのも、なんの意味も無くなる。簿記会計や弁護士のような、日本だけでの特殊ルールに依存している技能も、他国では使いものにならない。まして滅びてしまった国の中での家柄や学歴など、もはやまったく意味をなさない。「難民」というのは、先方からすれば、顔の無い、ただの厄介な流れ者であり、その地になんの人脈も基盤も無く、善意の他人に雇用してもらわなければ明日をも生きていけない弱い立場だ。さて、あなたに、彼らがあなたを雇い入れるに足る何かがあるだろうか?

大工仕事ができる、大型重機を扱える、電設配管などの専門技術がある、自動車や機械の整備修理の能力がある、などは、復興支援関連の会社などに雇ってもらえる可能性が高い。日本語と英語の両方ができる医師や看護師なども、すぐに職に就ける。同様に、「難民」問題そのもののために、現地語ができる通訳も先方で需要が高いだろう。現地語ないし英語がわかる、というだけでも、雇い入れてもらえる可能性は飛躍的に高まる。

どうしてもだれにも雇い入れてもらえないなら、自営しかない。調理の経験があれば、現地で和食の店を開く、というのが定番だろう。歌やダンス、片言の現地語で、エンターテイメントの世界で人気を得れば、「変な外人」として生き残れるかもしれない。マンガやイラストなど、言葉に依存しない仕事もありうる。空手や柔道の指導なども、日本人らしさをウリにして生きる道だ。これらになんの能もないとしたら、現地の人々に単純労働力として安く使ってもらえるだけでも幸いと思わなければなるまい。

 
こうして考えてみると、この国がいかに脆弱な職業しか養成してこなかったか、サラリーマンとなって工場の機械や他国の労働の上に乗っかることしか考えてこなかったか、日本政府と日本人の危機管理の甘さが思い知らされる。小松左京がSFとして描いた『日本沈没』と一億総「難民」化は、もはや我々が直面している現実の未来だ。いまこの国に暮らしている人々の大半が、大震災で死ぬか、さもなければ、「難民」としての憂き目に甘んじるか、二つに一つしかない。いまからその覚悟して、他国でも生きて暮らせるような備えをしていくことは、非常持出袋を詰めるのと同じくらい大切なことではないのか。

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰博士
(大阪芸術大学哲学教授、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)