宇宙移住の妄想、地球環境の大切さ

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宇宙開発の口実に良く言われるのが、気候変動の進行その他でいずれ地球環境が人類の生存に適さなくなるから、地球外に飛び出して移住するための新天地を開拓する必要があるのだ!と言う、勇ましい(?)言い分だ。

私から見ると、地球や宇宙に対する何重もの「無知」に支えられた「妄想」だと思える。その無知は、大きく分ければ、宇宙の巨大さに関する無知と、地球環境がいかに生命にとって恵まれた所であるかに関する無知があると思う。あと、宇宙を移動する技術的な困難についての無知も。

まずは、宇宙の巨大さについて。実は、私は子供の頃「天文少年」であって、天体観測に勤しむ傍ら、天文学関連の書籍を種々読みあさり、宇宙に関する知識を相当程度に貯えた。天文学者に憧れていた。そして、初めは宇宙旅行などへの夢に酔いしれていたが、次第に現実を知るにつれ、宇宙への旅など単なる「夢物語」であると実感するようになった。その主な理由は、何と言っても宇宙が大きすぎることである。

まず、地球と太陽の平均距離を1天文単位(au)と言い、約1億5千万kmである。地球と月の間隔が約38万kmだから、その400倍近い遠距離である。ちなみに、現状、最も遠い惑星である海王星まで約30auある。これを一応、太陽系の半径とする。光の速さで1auは8.3分、海王星までは約4.16時間、つまり、光速だと太陽から出発して太陽系を飛び出すのに4時間ちょっとしかかからない(以前は惑星だった冥王星までだと、もっと遠いけど)。

ところが、一番近い恒星(プロキシマ)までは4.25光年離れている。つまり光速で飛行しても4年以上かかる距離にある。今の人工衛星で最も地球から離れ、宇宙を飛んでいるボイジャー1号の速さでも、1光年飛ぶには1万8千年かかる。つまり、一番近い恒星に着くには、7万7千年かかる。往復すると15万年以上・・。飛ぶときは「冬眠」状態にするんだという話もあるが、人間を冬眠でも15万年持たせる装置なんて、夢でしかないだろう。時空を反転させてワープ・・と言った話は、SF小説に任せる。こっちは、現実的な話をしているので。

人類は今のところ、最も近い天体である月にさえも往復したことは史上一度しかなく、次回は未定である。まして、月に「住む」のは、相当に困難だ。空気が全くなく、水もない。植物が育つ条件は全くないから、工場でも建てないと無理だが、相当な面積が要るし建設作業を誰がやるのかという問題もある。

水・空気・肥料・光を供給して植物を育てないと、持続的な食料供給は不可能だ。従属栄養生物である人間は、植物等の独立栄養生物なしには生きて行けないから。植物に頼らず、化学合成で無機物から有機物を作るのは、まだまだ先の話である。ましてや、光合成(H2O、CO2→糖、O2)や生物的窒素固定(N2→NH3、アミノ酸)のような高効率・精密な合成を細胞レベルで実現するなどは。

結局、無理な化学合成をするよりも、各種植物を育てる方が簡単で早い。月面で人間を養えるほどの植物工場ができるかどうか、これが第一の関門。

以上を勘案すると、もし一定数の人間が月で生活する条件ができるとすれば、それは地球から相当量の必要資材・機材等を持ち込まないとできないはずだし、それには膨大な数のロケットを飛ばさないといけないだろうと予想される。ビジネスなど、できる余地があるのかどうか?

次に近い火星へも、有人飛行はかなり困難なはずだ。そもそも、行くのに年オーダーの時間がかかる。その間の酸素、水、食料等の必要量は膨大だ。しかも火星に着いたら、再び飛び出すには地球を出発するに近い推進力が要るから、その燃料や機材も準備する必要がある。だから先に無人機で必要なものを送り込んでおくとする構想もある(一体、いくらかかるのやら・・?)。

人間が火星に移住すると言う計画もあるそうだが、これも絶望的に困難だ。まず、空気がない。火星の大気は圧力で地球の0.75%しかなく、その大半はCO2である。酸素はほとんどない。水も、地下に氷があるか探っている段階で、表面には皆無のようだし、現状の観察では緑は全く生えていない(生命の痕跡さえ、まだ探している段階だ)。この環境下で食料生産など到底できそうもないから、月と同じ問題が起こる。

結局、地球に最も近い天体でさえ、移動自体が困難で、まして「移住」など夢物語に近い。隣の恒星に行くことは、冬眠にせよ何にせよ7万年以上生きる人間(?)ができてからの話だ。やはり、恒星間有人飛行は到底無理だと、私は考える。

私が「地球外生命」の目撃情報に懐疑的なのも、そのせいである。太陽系内で地球以外に高度な生命体があるとは考えられないし、太陽系外で最も近い天体は4光年の彼方にある。もしそこに人間と似た生命体がいたとしても、4光年の距離は遠すぎる。どうやって、地球まで来るのか?たとえ電波で通信できたとしても、1通信往復するのに8年以上かかるのに。他の天体は、もっとずっと遠い(「宇宙人からの通信」を傍受しようという試みは、かなり前から行われているが・・)。

太陽系を含む我々の銀河系は、直径約10〜20万光年、厚さ約1000光年の円盤で、2000〜4000億個の恒星を含むとされているから、銀河系内にも地球に似た惑星が存在し得るだろう。しかも宇宙には銀河系に類する集団が無数に存在する。だから、人間そっくりの生物が他の天体に存在していても不思議はないのだ。しかし、そこに生きる生命体に出会える確率は、ゼロに近い。

これらの天文学的知識は、逆に、地球と言う天体の特殊性を浮き彫りにする。まず、太陽と地球の距離が丁度良かった。近すぎれば金星のように暑く、遠すぎれば火星のように寒かったろう。水が固体・液体・気体の3態を維持できる温度・圧力条件が備わっていることも幸いした。さらに、内部が流動状態にあるため地磁気が発生し、それが太陽風などへの防護壁になって、大気の損失を防いだ(火星では、地磁気がないため大気が大半吹き飛ばされたとされている)。

また大気中に水蒸気などの温室効果ガスがあったお陰で、地球表面温度は生命活動に適する範囲に収まった(温室効果がないときの地球表面温度はー18℃と推定される)。

大気が存在し、中の酸素濃度が高まるにつれて成層圏でオゾン層が形成され、有害な紫外線が地表に到達するのを防いだので、生命体は海から地上に進出できた。大気中にCO2があったために地上で独立栄養生物の植物などが繁茂し、これをエサとして各種動物等の従属栄養生物が繁栄することができた。これにより、生態系内で生産者・消費者・分解者の共存が可能となり、地球上での水や各種元素(炭素、窒素など)の循環が可能になった。この物質循環システムこそ、地球上で生命体が永らく生存できたカギ要素である。

このように、地球では何重もの幸運が重なって、現在の生命あふれる星になっている。どの条件が欠けても、数十億年に及ぶ生命活動の持続はあり得なかった。従って、これほどの好条件に恵まれた惑星の存在確率は、相当に低いだろう。

人間の数が増大し、地球表面の様相も僅か数百年前と現在では一変している。現在の世を「人新世」と呼ぶのは、何も不思議なことではない。それ程までに、人間活動が地球環境に与えた影響は大きい。また科学・技術も進展し、確かに月に行ってくることも実現された。しかし、だからと言って、地球が住めなくなったら別の天体に・・などと簡単に言えるものだろうか?この地上には何十億もの人々が生きているのに。

結論を言おう。我々人類の住み処は、この地球以外にはあり得ない。地球を飛び出しても、住める場所はない、少なくとも太陽系内には。そして太陽系外は、最も近い天体でさえ4光年の彼方にあり、今のロケットでは着くまでに7万年以上かかる。とても、たどり着けない。

一方、地球環境は生命の維持にとって奇跡的とも言える好条件に恵まれている。我々の周囲の温度・圧力・酸素濃度その他の大気条件がすでにそうであるし、水と言う物質の「異常性」も生命にとって奇跡的に好都合にできている。

例えば、水は多くの物質を異常に溶かすし、分子量が小さいのに比熱が大きく気化熱も大きい。また、氷(固体)の密度が水(液体)のそれよりも小さいのは全くの異常である(密度が固体<液体である物質はほとんどない)。しかしそのお陰で氷山は沈まず、池や川の氷も沈まない。これらの性質が、生命にとって如何に有難いことか。

つまり、我々の住む星は、どんな条件から見ても「有り・難い」存在なのだ。その有難味を、十二分に味わうべきである。ゴミや吸い殻をポイ捨てし、食べ物をぞんざいに扱うなど、とてもできなくなるはずだ。また戦争は最大の環境破壊であるから、まずは戦いを止める必要がある。

人間など、奇跡的に恵まれた地球環境の下で生かされているちっぽけな存在に過ぎない。まずは、そのような謙虚な心持ちから、物事を考える方が良い。科学や技術が進めば何でも可能になるなどと、思い上がらぬ方が良い。このまま思い上がった行動を続ければ、人類は滅びる可能性が高い。大昔の「バベルの塔」や「ノアの方舟」の寓話も、それを物語るものである。

最近の「宇宙ブーム」は、宇宙関連技術が第一義的に軍事技術であることから目をそらせ、大きな資金に群がる人々の、宣伝材料に使われているだけに思える。人間には、地上でこそ先にやらなければならない重大事が多数ある。宇宙開発は無人機に限定し、資金・エネルギー・資源は、まず地上にこそ投下すべきだ。

マスコミの方々にお願いしたいが、科学番組や記事等で宇宙旅行などを「夢だロマンだ」などと燥ぎ立てず、宇宙空間が如何に過酷で大変なところであるかの現実を伝え、地球環境が如何に貴重であるかをもっと宣伝していただきたい。ついでながら、教育界の方々にも。