今年8月、イケア・ジャパンが2006年以来、制服への着替え時間について給料を払っていなかったと報じられ大きな話題になりました。
「着替え時間は法律で労働時間に含むと決まっていますか?」
「始業前の掃除時間は労働時間になりますか?」
筆者にもそんな相談が増えています。経営者の立場からすると、始業時間までに着替えや掃除を済ませておくのが常識だと言いたくなるかもしれません。
反対に従業員の立場からすると、制服に着替えるために早く会社に出勤しているのだから着替える時間も労働時間だと言いたくなるかもしれません。
制服や作業着への着替えはあらゆる業種で行われているごく日常的な行為です。したがって着替えは労働時間に含まれるか? これは雇用に関するトラブルでも昔から議論になる「あるある」です。
そこで雇用の専門家である社労士の立場から、労働時間の定義や着替え時間の取り扱い、労働時間になる場合・ならない場合の違いはどこにあるのか?について法的な視点から考えたいと思います。
そもそも「労働時間」とは?
着替え時間が労働時間に含まれるか否かを理解するには、そもそも「労働時間とは何か?」を理解する必要があります。
労働基準法で定められている「労働時間」は、勤務開始から勤務終了までの時間から休憩時間を差し引いた時間のことです。つまり労働者が会社の指揮命令下に置かれている状況をさします。
指揮命令下とは、ある行為を行うことを会社から義務付けられている状態、または「行うことを余儀なくされている状態」をさします。
指揮命令下に置かれているか否かの判断ポイントは3つです。
① 会社からの業務命令で行動している
② 業務との関連性や必要性
③ 場所的・時間的拘束
注意したいのは、①の「業務命令」には黙示の命令も含まれるということです。
例えば、会社からは指示がなかったけれど従業員が自主的に残業した場合でも、残業せざるを得ない状況だったり、管理職が残業を黙認していたり、積極的に止めなかった場合は、黙示の業務命令があったと判断されやすいです。
そのため、実際にタイムカードを打刻した時間以外でも会社から命じられた(黙示の命令を含む)作業を行っている場合は労働時間になる可能性があります。つまりタイムカードの打刻時間=労働時間ではないのです。
切り捨てはダメ!
また、労働時間の計算は1分単位で行うことが原則です。よくあるのが、朝の始業前までの時間や終業後の時間を15分単位や30分単位で切り捨て処理をしてしまう事例です。例えば始業時間が9時の会社で8時46分に打刻すると、14分はタダ働き、つまり切り捨て処理をされてしまい、9時から働いたことになる、といった状況です。
労働時間を切り捨てたり切り上げたりすることを「丸め処理」とも言いますが、丸め処理で違法になるのが「切り捨て」です。
「朝の時間は準備時間だから」と無条件に時間を切り捨てて処理してしまう運用は、違法になる可能性があり非常に危険です。
冒頭に書いた「着替え時間」は始業前や終業後の時間に行われることが多く、丸め処理(切り捨て)を行うことで労働時間として集計されずに切り捨てられる事例も多くあるため注意が必要です。
着替え時間以外にもたくさんある労働時間になる行為
前述のとおり労働時間にあたるかどうかは指揮命令下にあるかどうかが重要な判断基準になります。
この視点から、どのような行為が労働時間になるのか見てみましょう。
●休憩時間中の電話当番
休憩時間は通常は労働者が会社の指揮命令下にないため労働時間にはなりません。ただし休憩時間に電話当番をするように命じられた場合は労働時間になります。
たとえ電話当番中一度も電話が鳴らなかったとしても電話を待っている「手持ち時間」として労働時間になります。手持ち時間とは、実際に作業をしていなかったとしても、会社から指示があった場合はすぐに作業に取り掛かれるよう待機している時間のことをいいます。
●就業時間外の研修
研修への参加が会社からの強制である場合は労働時間になります。例えば出席しないと懲戒処分を受けるなどの不利益があるとか、研修が業務内容と強く関連していて出席しないと業務に支障が出る場合などです。
●始業前の準備や掃除
「始業前までに準備や掃除をしておいて」と会社から指示されている場合は労働時間になります。例えば店舗などで開店前にお客様を迎えるための準備作業をする場合や閉店後の後片付けなどは労働時間になります。
従業員が自主的に準備や掃除をしている場合は労働時間になりませんが、従業員のほとんどが始業前に準備や掃除を行っている場合などは、明確な指示がなくても黙示の指示と認められ労働時間になる可能性があります。
●在宅勤務からオフィスへの移動時間
午前中に在宅勤務を行って、午後からオフィスに出勤する場合の移動時間は労働時間ではなく通勤時間になります。ただし、会社の業務命令で移動する場合や移動時間中に業務を行う場合は労働時間になる可能性があります。
●接待ゴルフや接待会食
営業職で休日に接待ゴルフに行くということがありますよね。参加する従業員にとっては仕事の一環だと考えている人も多いでしょう。ただ、ゴルフなどの接待は原則として労働時間にはなりません。ただし、会社が接待への参加を強制していて接待の場で業務の打ち合わせや契約を行うことを主目的としている場合は労働時間になります。
どのような行為が労働時間になるかどうかは、法的に明確なルールがあるわけではありません。これまで慣習的に行われてきたことが本来は労働時間にあたるというケースもあります。
「会社の飲み会は強制参加なら給料を払って欲しい」といった話が話題になったこともあるように、長年いる従業員は気にしていなくても、新入社員が疑問に思うこともあるかもしれません。
想定外の不平不満や残業代が発生しないよう、経営者や人事の方は改めて実態を確認してみてはいかがでしょうか?
着替え時間が労働時間になるケース・ならないケース
改めて冒頭で紹介したイケア・ジャパンの事例を考えてみると、従業員に制服を着用させている会社は多いと思います。着替え時間は10分程度の事ですが、毎日積み重なれば結構な時間です。そのため着替え時間が労働時間になるかどうかは賃金の支払いに影響する重要な問題と言えるのです。
ただ、労働基準法には「着替え時間」が労働時間になるかどうかは明記されていないため、着替え時間が労働時間に含まれるかどうかは実態によって判断されます。
着替え時間が労働時間に含まれるかどうかは、従業員が「指揮命令下におかれていたかどうか」が大きなポイントです。
着替え時間が労働時間になるケース
会社の指示により仕事を行うために必要な準備行為や後始末を会社内で行った場合は労働時間に含まれます。この準備行為に着替えも含まれます。
例えば、下記のようなケースです。
- 就業規則に制服着用が義務として明記されている
- 企業から着替えを命じられている(黙示の明示も含む)
- 業務のために着替えが必要である(統一の制服、安全上・衛生上の理由など)
- 着替える場所を会社が指定している
報道されたイケア・ジャパンの例では、会社が従業員に会社指定のシャツ、パンツ、靴に着替えるように指示していたと言われています。
イケアのように社内統一の制服があり、その着用を会社が指示している場合は着替え時間は労働時間になる可能性が高いです。着替えずに仕事ができない以上、業務をする上で当然必要な時間だと言えるからです。
着替え時間が労働時間にならないケース
着替え時間の中には労働時間にならないケースもあります。
労働時間にならないということは、会社からの指揮命令を受けず自由な時間です。従業員の意思で着替えただけで、着替えたくなければ着替えなくても良いということになります。
例えば、下記のようなケースです。
- 従業員の都合で会社に来てから着替えている(自転車通勤で会社に来てからスーツに着替えるなど)
- 終業後に遊びにいくために社内で着替えている
- 着替える場所が指定されていない(自宅で着替えても良い場合)
こういった場合、着替えは従業員の都合で行われていたり、着替える場所も拘束されていないため労働時間にはなりません。
なお、会社の指示で着替えをしていてもごく短時間なら労働時間にならないケースもあります。例えば、バッチを付ける、帽子をかぶる、靴を履き替える、ジャケットを羽織ると言ったようにごく短時間の場合です。
このようにどんな場合でも着替え時間が労働時間になるわけではありません。
これまでは「始業前には掃除と着替えを済ませておくこと」がビジネスマナーとされて来たため、タイムカードは着替えや掃除をしてから打刻するようにと指導してきた管理職は多いと思います。
こういった慣習もあり、業務の前後は「労働時間ではない」と誤解されている時間が多く、着替え時間はその典型例です。
労働時間に当たるのか否かの判断については、今までの慣習に従うのではなく正しい理解が必要になります。判断に迷う場合は専門家に相談することをお勧めします。
就業規則に「着替え時間は労働時間に含まない」と明記されている場合はどうなる?
就業規則や雇用契約書に「着替え時間は労働時間に含まない」と記載されていたらどんな着替えも労働時間に該当しないのでしょうか?
その場合、着替え時間が前述した「着替え時間が労働時間になるケース」に該当しているか否かが可否を左右します。
制服を着用することを会社が義務付けていたり、着替える場所を指定しているような場合は、いくら就業規則に「労働時間に含まない」と規定しても着替え時間は労働時間として扱われます。実態が優先されるからです。
労働基準法は強行法規です。労働基準法に違反しているルールを定めても効力を発揮しないと言えます。
では、会社にも更衣室があるが、自宅で着替えて通勤しても良いという規定が就業規則に定められていたらどうでしょうか?
このケースの着替えは、原則として労働時間になりません。自宅で着替えを可能としている場合は、指揮命令下にあるとは言えないからです。
制服の着替え時間を労働時間として扱わないためには、着替える場所を会社に拘束しないというのは1つの方法です。
ただ、制服を着用して通勤することが著しく困難な場合は事実上着替える場所を会社に拘束しているとみなされる可能性がありますので注意が必要です。
着替え時間を労働時間に入れる場合の対策
着替え時間を労働時間に入れる場合はどのような工夫が必要なのでしょうか。
「タイムカードを打刻してから制服に着替える」「制服からの着替えが終わった後タイムカードを打刻する」というルールにすると、同僚と雑談する時間や化粧をしたりする時間もカウントされてしまう可能性があります。
また、着替える時間は個人差があり早い人もいれば遅い人もいます。着替えが遅い人の方が給料が増えるという現象が起こってしまうと従業員間の不平不満にも繋がりかねません。それでは困りますよね。
防止策として考えられるのは、着替え時間を一律の時間として定めその分の給与を支払うという方法です。イケア・ジャパンも新しいルールとして、着替え時間を一律5分とし1日10分間を労働時間として加算する形に変更しました。
その場合の一律の着替え時間は、会社指定の制服に着替えるのに通常かかる時間を考慮して決めるべきですが、イレギュラーな対応が必要になった場合の申告制度や状況の変化に応じて適宜見直しの機会を設ける必要があります。
まとめ
イケア・ジャパンのニュースは、着替え時間に関する問題に光を当てた一例です。
「始業前に掃除や着替えをしておくのは常識だ」という考え方は今だに根強く、実際「着替えてから打刻して」と指示している会社も多いのが実情です。
ただ、10分程度の着替え時間の賃金支払いといえども、月単位で合計すると結構な時間になります。働く側からすると「仕事をする上で必要な時間なのだから給料を払って欲しい」と思うのも無理のないことです。
また、昨今はリモートワークの普及や働く人の多様化が進み、労働時間かどうかの判断が難しい事例も増えてきています。労働時間かどうかの線引きはこれまで以上に明確にしていかなければならないという社会的ニーズが高まる中、企業側でその対策が行われていないことが多いようです。
労使間のトラブルを未然に防止し、双方が働きやすい職場環境を構築するためにもしっかりと対策を講じておきたいですね。
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桐生 由紀 社会保険労務士
大学卒業後、大手財閥系企業の管理部門業務に従事。第1子出産を機に専業主婦になるが、配偶者の急死により二人の子供を抱えてシングルマザーになる。Authense法律事務所に再就職し、法律事務所と弁護士ドットコムの管理部門の構築を牽引する。その後、Authense社会保険労務士法人を設立し代表に就任。現在は、弁護士法人でHR部門を統括しつつ、社会保険労務士法人の代表として複数のクライアントを支援している。プライベートでは男子3人の母。
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編集部より:この記事は「シェアーズカフェ・オンライン」2023年10月6日のエントリーより転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はシェアーズカフェ・オンラインをご覧ください。